Yahoo!ニュース

ウマ娘実装のアイネスフウジン 3歳チャンピオンから若武者に敗れた弥生賞、痛恨の皐月賞

花岡貴子ライター、脚本&漫画原作、競馬評論家
「ウマ娘プリティーダービー」の育成キャラ・アイネスフウジン(Cygames)

いまも史上1位 1990年日本ダービーの入場人員は19万6517人

 10日、アイネスフウジンが人気ゲーム「ウマ娘プリティーダービー」の育成キャラに実装される。アイネスフウジンといえば1990年の日本ダービー馬だ。ダービー当日、東京競馬場には入場人員19万6517人もの大観衆が集まった。この入場人員数はJRA史上最高であり、その記録は未だ破られてはいない。

 そして、私もその中のひとりだった。地鳴りのような大歓声の中で、自然に湧きあがった"ナカノコール"は忘れられない。先輩記者によれば、競馬場で人の名前がコールされるなどありえないことで、スポーツ観戦のような雰囲気を感じさせた瞬間だった。

 1988年からのオグリキャップブーム、地上波のバラエティー番組にも出演するほど知名度が高かった武豊騎手の人気など、競馬ブームはかなり盛り上がっている時代であった。

朝日杯3歳ステークスを制し、3歳チャンピオンに

 アイネスフウジンは美浦の加藤修甫厩舎の管理馬で1989年9月にデビュー。新馬2戦(当時は可能だった)は勝てず、3戦目の未勝利戦で逃げ切り勝ちをおさめた。

 次のレースとして陣営は3歳(※当時の馬齢表記)の1勝馬たちが戦う葉牡丹賞(3歳400万下)を視野に入れたが、主戦の中野栄治騎手らと協議の上、3歳チャンピオンを決める朝日杯3歳S(GI)に駒を進めることになった。ちなみにこの葉牡丹賞はプリミエールが優勝。1番人気のメジロライアンは5着に敗れている。

 1989年12月の中山、朝日杯3歳Sは2勝馬のカムイフジや京成杯3歳S(GII)まで3連勝中の逃げ馬サクラサエズリが人気を集めた。特にサクラサエズリは牝馬で、当時は3歳牡馬のチャンピオンを決めるこの一戦に牝馬が参戦すること自体が珍しかった。ゆえにカムイフジより実績上位のサクラサエズリは1番人気を譲ったを察する。

 同型のアイネスフウジンとサクラサエズリ。先手争いが注目されたが、勢いよくハナに立ったサクラサエズリに対し、アイネスフウジンは馬群から徐々に抜け出しサクラサエズリの2番手につけ、そのままこの2頭がそのままの体勢でハイラップを刻みながらゴールを目指した。4コーナー過ぎ、サクラサエズリはインコースをぴったりとまわったまま追い出しをはかるが、アイネスフウジンの操る中野騎手の手は動かない。そして、ラスト150m付近で満を持して中野騎手がアイネスフウジンを促すと、スッと先頭に立ち、必死に追われるサクラサエズリを尻目に先頭のままゴールした。

 この朝日杯3歳ステークスの走破時計は1分34秒4で、1976年にマルゼンスキーが記録した時計を上回るレコードタイムであった。

■1989年 朝日杯3歳S(GI) 優勝馬 アイネスフウジン

単枠指定の弥生賞 若手のホープ・横山典騎乗のメジロライアンに敗れる

 4歳緒戦は共同通信杯4歳S(GIII)。終始先頭のまま、2着のワイルドファイアーに3馬身差をつけての勝利だった。続く弥生賞はアイネスフウジンの人気集中が予想されたため、連勝式は枠連しか売っていなかった当時ならではの「単枠指定(どの馬番に入っても1枠1頭とする)」の対象馬となった。

 最終的なアイネスフウジンの単勝オッズは1.9倍。しかし、アイネスフウジンは折り返しの新馬2戦目で重馬場を経験しただけで、しかもその時は2着に敗れていた。

 レース時、晴れてはいたが、かなりの泥んこの道悪馬場。いつもどおりアイネスフウジンは逃げてレースを進めたが、最後の直線で狭い馬群を泥だらけになりながら割って出たメジロライアンがそのまま先頭に躍り出た。一方、アイネスフウジンはメジロライアンと共に上がってきたツルマルミマタオー、ホワイトストーンらに先着を許し、4着に終わったのだった。

絶好1枠2番の皐月賞 スタート直後の不利がたたりハクタイセイにかわされる

 それでも、アイネスフウジンはクラシック第一弾の皐月賞(GI)でも1番人気に推された。逃げ馬の3歳チャンピオンが1枠2番と内の偶数枠に入り主戦の中野騎手は戦前から逃げ宣言をしていたし、実績のある良馬場でのレースになりそうということで多くのファンに支持された。アイネスフウジンの内、1番枠に入ったワイルドファイアーは同じ加藤修甫厩舎の管理馬という点も明らかにアイネスフウジンにはラッキーだった。

 ただ、この時点でアイネスフウジンへの世間の評価は単枠指定だった弥生賞と比べると明らかに落ちていた。メディアで踊る見出しは"混戦の皐月賞"。弥生賞を勝ったメジロライアンが2番人気、10月から2月のきさらぎ賞まで5連勝をあげた関西馬・ハクタイセイが3番人気だった。当時は今ほど東西の交流がなかったこともあり、ハクタイセイは初の東上であった。

 それでも、アイネスフウジンにとって格好の舞台と思われたが…。スタート直後、不運に襲われる。よりによって、3枠のホワイトストーンが大きく内に斜行し、アイネスフウジンの目の前で1番のワイルドファイアーにぶつかったのだ。明らかな不利。アイネスフウジンが体勢を立て直している間に外からフタバアサカゼが玉砕気味に先手を主張した。アイネスフウジンは追いついて2番手でレースを進めるも自分でペースは握れなかった。朝日杯でサクラサエズリと2頭でハイペースに持ち込んでラストでかわした競馬とは明らかに違う落ち着いたペースになってしまった

 結果的にはこれが仇となり、粘るがスパっと切れる脚がないアイネスフウジンはキレのある差し脚が武器のハクタイセイにゴール前でクビ差かわされた。

 レースを終えたアイネスフウジンは全力を出し切って疲労が激しかった。そのため、しばし休養に入り、満を持して日本ダービーへ向かうことになった。

 2番人気だったメジロライアンは後方からレースを進めて差す競馬で挑んだが、届かずの3着。アイネスフウジン同様、直行で日本ダービーを目指すことになった。

■1990年 皐月賞(G) 優勝馬 ハクタイセイ (2着 アイネスフウジン)

■1990年日本ダービー(GI) 優勝馬 アイネスフウジン

ライター、脚本&漫画原作、競馬評論家

競馬の主役は競走馬ですが、彼らは言葉を話せない。だからこそ、競走馬の知られぬ努力、ふと見せる優しさ、そして並外れた心身の強靭さなどの素晴らしさを伝えてたいです。ディープインパクト、ブエナビスタ、アグネスタキオン等数々の名馬に密着。栗東・美浦トレセン、海外等にいます。競艇・オートレースも含めた執筆歴:Number/夕刊フジ/週刊競馬ブック等。ライターの前職は汎用機SEだった縁で「Evernoteを使いこなす」等IT単行本を執筆。創作はドラマ脚本「史上最悪のデート(NTV)」、漫画原作「おっぱいジョッキー(PN:チャーリー☆正)」等も書くマルチライター。グッズのデザインやプロデュースもしてます。

花岡貴子の最近の記事