いま、JRA障害界の怪物オジュウチョウサンが人気だ。2018年中山グランドジャンプ(JGI)を後続に10馬身以上つけて圧勝したことで人気に拍車がかかり、グッズもよく売れている。障害競走では目下9連勝中で向かうところ敵ナシだ。

 そんなオジュウチョウサンが7月7日、4年8か月ぶりに平地競走の開成山特別(500万下)に出走する。陣営の目標は高く平地でもGI、特にファン投票により出走の可能性が高まる有馬記念(GI)を狙う意向で調整に入っている。しかし、現在のJRAの規定では平地と障害が明確に区別されているため、オジュウチョウサンは平地においては2戦0勝の未勝利馬で最下級クラスに属している。年末の有馬記念のゲートに入るためには、最低でも平地での1勝が必要になる。

 障害と平地の両方を走る馬はとても少ない。トレセンに入るサラブレッドたちに最初から障害競走を目指す馬はいないし、平地で何かを諦めたときの選択肢のひとつとして障害に活路を見いだしているのが現実だ。

 しかし、障害競走を経験したあと、実際に有馬記念を勝った馬がいる。1992年に制したメジロパーマーだ。同年の宝塚記念も優勝しておりグランプリ春秋制覇。翌1993年には天皇賞(春)(GI)でライスシャワー、メジロマックイーンに続く3着に逃げ粘っている。戦法は逃げ一筋とかなりの個性派だった。そんなメジロパーマーについて振り返ってみた。

障害での経験と"障害帰り"のレッテルが有利に働き、春秋グランプリを制覇

 メジロパーマーは1987年生まれ。馬主であるメジロ牧場は、生産から育成も行うオーナーブリーダーであった。この年のメジロ牧場の所有馬の活躍は目覚ましく、同期には弥生賞を制してクラシック戦線で高い期待を寄せられたメジロライアン。4歳(現3歳)夏から頭角を現し、秋に菊花賞を制覇。天皇賞(春)は2回制覇し、のちに獲得賞金10億1465万7700円(当時の世界最高記録)を稼いだメジロマックイーンがいた。この2頭と比べると、馬主のパーマーへ寄せる期待は高くはなかった。

 なにせパーマーは気分屋で成績にムラがあったのだ。しかも、首の高い走法で暴走気味に引っかかる。デビュー直後の3歳(現2歳)の夏の函館で4戦2勝し早々にオープン入りを果たしたが、5歳(現4歳)夏には500万下まで降級。その夏の札幌で500万下特別、札幌記念(GIII)を連勝したものの、その後しばらくはオープンや重賞クラスに入ると力不足は否めなかった。

 そこで、メジロパーマー陣営は障害に新しい活路を見出した。そして、この選択がのちのパーマーに多大な効果をもたらすことになる。

 障害入りしたメジロパーマーは、まず競走で走る前のテストで破格の走破時計を叩き出した。レース初戦も速いペースでレースを引っ張り優勝している。しかし、走るときの首は高いのに、飛越は全体的に低い。そのため、早い段階から陣営はパーマーが障害を続けていくのにリスクを感じていた。メジロパーマーの現役時代、調教全般に携わっていた大久保雅稔さんに話を伺った。

「1戦目は無事走り終えたけれど、2戦目は脚に白いペンキをつけて帰ってきました。障害物に塗られたペンキの跡でした。レース中に脚をぶつけていたのです。このまま障害を続けていたら、いつか事故につながりかねないということで障害を諦めることにしました。」(大久保さん)

 しかし、障害を走った効果は確実にあった。肉体面ではトモと呼ばれるお尻から後ろ脚にかけての筋肉が鍛えられてボリュームが出た。そして、精神面では意外なまでに高い効果がみられた。

「障害にいく以前は、一本調子でとにかく引っかかってばかりでした。気分のいい走りができたときは札幌記念(1991年、GIII)を制したように重賞でも通用したけれど、気持ちが乗らないと成績は良くなかったんです。でも、障害を経験して緩急をつけることを覚えました。レース中にひと息つくようなためる競馬ができるようになってレースぶりに幅が出ました。結果的に調教でも以前より落ち着くことを覚えて、予定どおり調教を積めるようになったんです。」(大久保さん)

 そして、平地に戻って1戦したあとの新潟大賞典(GIII)で大きな転機を迎える。デビュー4年目の山田泰誠騎手(当時)とコンビを組んだメジロパーマーは手頃なハンデも功を奏し、まんまの逃げ切り勝ちを果たしたのだ。これで重賞2勝目をあげる。

「障害帰りだったせいか、重賞勝ち馬でしたがハンデが軽かったんです。調子はすごく良かったので、ハンデが決定する週の始めごろから厩舎の皆さんとかなり手ごたえを感じていたんですよ。」(山田さん)

 続く宝塚記念はファン投票第1位だったメジロマックイーンが故障により回避したため、正直ガッカリ感が漂う中での出走だった。人気もかなり割れており、メジロパーマーは13頭中9番人気と期待は低かった。ところが、むしろその人気のなさがメジロパーマーにとっては好都合だった。一般的に逃げ馬は人気を背負うほどマークがきつくなる。裏を返せば、ライバルたちは人気のない馬が逃げても厳しくマークはしないからだ。

 さらに、山田騎手との相性の良さも結果につながった。暴走気味に走るために制御も難しいとされることが多かったが、山田騎手とならうまくコミュニケーションがとれていた。実は山田騎手は馬を御す際、腕力ではなくテクニックで勝負するタイプのジョッキーなのだが、それがパーマーにはピタリと合ったのだ。

「レースでは引っかかり気味に走りますが、僕はそれまでにもっとひどく引っかかる馬を任されていたせいかパーマーはそれほどひどいとは感じなかったですね。気分よく先頭に立ったら、そのあとは自分の脚腰で馬にブレーキをかけながらとにかくペースを落とすように心掛けていました。」(山田さん)

■1992年宝塚記念(GI) 優勝馬メジロパーマー/JRA公式

 同じ1992年年末の有馬記念にも出走したが、このときはなんとブービー人気。その前の天皇賞(秋)で大逃げを切って惨敗と、やはり"障害帰り"のレッテルから上半期のチャンピオンであるにも関わらず人気が集まらなかったのだ。しかし、レースは宝塚記念と同じように掛かり気味にメジロパーマーが逃げてそのまま押し切った。

 有馬記念の優勝後、山田騎手は「宝塚記念を勝っていたから自信はあったし、レースはもっと厳しい流れになると覚悟していた」と本音を漏らした。実は、障害を経験した馬のことを競馬サークルでは"障害帰り"と呼んでおり、格下に見る傾向がある。

「GIを勝った後でも『障害帰りじゃないか』と甘くみられていました。でも、その効果もあってマークがきつくならずに済んだ。もともと気分よく走れるかが大事な馬なので、かなり効果がありましたね。」(大久保さん)

メジロパーマー号 提供:レイクヴィラファーム
メジロパーマー号 提供:レイクヴィラファーム

オジュウチョウサンはメジロパーマーに続けるか!?障害界のスターが背負う偉大な夢

 オジュウチョウサンは平地では未勝利だが、全兄のケイアイチョウサンは重賞(2013年ラジオNIKKEI賞・GIII)も勝っている。血統的には平地で勝利をあげるのも夢ではないはずだ。

 山田さんはオジュウチョウサンの挑戦に「500万下の条件なら面白いですね」とエールを送る。大久保さんも「障害で強くなった馬が平地時代にできなかったことにもう一度チャレンジするのは夢がありますね」と期待を寄せていた。

 オジュウチョウサンは憧れの有馬記念のゲートに入り、さらに平地でもGIを制することができるのか!?チャレンジはいま、始まったばかりだ。