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労働者の街、川崎でホームレスが減っている――現場で何が起きているのか

高橋浩祐米外交・安全保障専門オンライン誌「ディプロマット」東京特派員
多摩川六郷橋付近の土手にあるホームレスのテントはがら空きだった(高橋浩祐撮影)

戦後、「労働者の街」や「工場の街」として知られてきた川崎で、ホームレスの姿がだんだんと見られなくなっている。JR川崎駅直結の商業施設ラゾーナや地下街アゼリア周辺で見かけるホームレスの数もぐっと減っている。

筆者は川崎で生まれ育ったが、昔から多摩川の土手には、青いテントのホームレスの小屋がたくさんあった。読者の中にも、JR東海道線や京浜東北線、京急線の車窓から、そうした土手にある青いテントを見た人がいるかもしれない。

しかし、10月6日午後、多摩川の六郷橋付近の土手に改めて行ってみると、ホームレスの小屋はたくさんあるのだが、人がなかなか見当たらない。ホームレスの人はいったいみんなどこに行ったのか。

がら空きとなった多摩川六郷橋付近にあるホームレスのテント(高橋浩祐撮影)
がら空きとなった多摩川六郷橋付近にあるホームレスのテント(高橋浩祐撮影)

●川崎市が自立支援活動に注力

実は、川崎市の自立支援センターが、「生活づくり支援ホーム」と呼ばれる支援施設に入るようお願いし、実際に多くのホームレスがそこに入所している。自立支援センターが、ホームレスの人々に「コロナ対策の特別定額給付金10万円も受給できるから」と、施設に入所するよう促してきたことが大きい。

川崎市内には、そうした自立支援の施設が川崎区日進町、幸区南幸町、高津区下野毛の3カ所ある。それぞれの定員は80人、15人、50人になっている。各施設は、川崎市からホームレスの自立支援事業を委託された中高年事業団「やまて企業組合」によって運営されている。

筆者は10月5日、自立支援センターの巡回相談員の木田豊一さん(45)と落合哲夫さん(74)の巡回活動に同行取材した。2人は実に細かく市内を回り、ホームレスの相談に乗ったり、自立支援の手助けを行ったりしていることがわかった。取材を通じて、2人は現在、市内にいる210人以上の全ホームレスの居場所や名前はもちろん、誕生日さえも把握していた。お世辞を抜きにして、川崎市のホームレス支援が他都市と比べ、手厚いのは巡回員の方々の現場力の賜物だと思っている。NPO法人「川崎水曜パトロールの会」も路上生活者の巡回や支援に当たっている。

川崎市高津区下野毛1丁目にある自立支援センター(高橋浩祐撮影)
川崎市高津区下野毛1丁目にある自立支援センター(高橋浩祐撮影)

●台風19号の影響で、施設入居者が急増

川崎市高津区下野毛1丁目にある自立支援センターには、現在、定員50人のうち、女性3人を含む47人が入所している。

施設長の及位鋭門(のぞき・えいと)さんによると、多摩川に大規模な河川氾濫をもたらした2019年10月の台風10号の前は、40人前後だった。台風の影響で、河川敷から逃れて入所した人が10人ほど増えたという。

さらに、新型コロナウイルスの影響で、もともとネットカフェに住み、派遣や日雇いの仕事をしていた人が仕事を失った。このため、ネットカフェの宿泊料などの料金が支払えなくなり、区立の福祉事務所に相談し、この高津区下野毛の施設に入所してきたケースも増えたという。今、施設にいる47人中、30代から40代の10人くらいがそのような人に当たる。筆者は施設の入居者の実態を知り、コロナで仕事がなくなった影響が甚大であることを改めて実感した。

入居している人の平均年齢は60歳前後で、男性が44人、女性が3人になっている。

昔からホームレスと言えば、中高年の男性が多い印象だったが、最近は女性のホームレスも増えている。

及位さんは「女性のホームレスは長期化しやすい。当方も非常に勧誘しにくいのが実情」と話した。

筆者がよく知るJR武蔵小杉駅のバスロータリー前に長年いるおばあちゃんも、JR川崎駅からミューザに向かう高架路にいる高年女性も、施設への入所を勧められても、断固として断っている。本人にしか分からない事情があるようだ。

高津区下野毛の施設はあくまで次の住まいが決まるまでの利用施設になっている。月ペースでおよそ20人が施設を退所し、新たに20人が入所している。このため、入所中の母数はほぼ同じで、減ってはいかないという。入居者の住まい探しでは、保証会社のアーク賃貸保証を利用できる仕組みになっている。

●施設入居中の47人のうち、35人ほどがコロナ給付金の受給者

この高津区下野毛の自立支援施設に入居し、コロナ特別定額給付金の10万円を受け取れた人は延べ約80人に及んでいる。現在入居中の47人に限れば、35人ほどがコロナ給付金の受給者だという。コロナ給付金が、ホームレスの自立支援にとっても大きな力になっていることが分かる。

自立支援センターの部屋は5人一組の相部屋になっている。2段ベッド1つを、1人で使えるようになっている。集団生活の部屋となるため、集団生活になじめない人はなかなか入所したがらない。「独りがいい」と語り、あくまで土手にとどまることを願うホームレスもいた。また、借金取りから逃げてきて、ひっそり土手で暮らしているなど、ホームレスの人々には様々な事情がある。

川崎市高津区下野毛にある自立支援センターの部屋内(高橋浩祐撮影)
川崎市高津区下野毛にある自立支援センターの部屋内(高橋浩祐撮影)

川崎市中原区の丸子橋付近の土手に住んできた63歳のTさん(仮名)は、ホームレス生活を14~15年続けてきた。しかし、持病を抱え、体力的にも自信がなくなってきたことやコロナ給付金が受給できることを理由に、数カ月前に下野毛の自立支援センターへの入所を決めた。

「弟に戸籍を抜かれた」と悔しそうな顔をしながら話したTさん。

岩手県出身で、もともと建設業にかかわっていただけに、鉄パイプ造りで高床式の小屋を自らの手で建てて、暮らしてきた。ソーラーパネルも設置し、地デジも視聴できる。

川崎市自立支援センターの入所を決めた63歳男性Tさんの小屋。写真左は川崎市自立支援センター巡回相談員の木田豊一さん、右は落合哲夫さん(高橋浩祐撮影)
川崎市自立支援センターの入所を決めた63歳男性Tさんの小屋。写真左は川崎市自立支援センター巡回相談員の木田豊一さん、右は落合哲夫さん(高橋浩祐撮影)

Tさんのように、ホームレスの中には建築に得意な人がいたり、電気関係に強い人がいたりする。そして、お互いに身を寄せ合い、助け合いながら生きてきた中高年の人も多い。

●「川崎に来れば何とかなる」

「川崎にホームレスが集まっている。『川崎に来れば何とかなる。給付金ももらえる』と思われている」

多摩川の六郷橋付近の土手に住むホームレスの平尾美喜雄さん(72)は10月6日、こう話した。

多摩川の六郷橋付近の土手に住む平尾美喜雄さん(72)(高橋浩祐撮影)
多摩川の六郷橋付近の土手に住む平尾美喜雄さん(72)(高橋浩祐撮影)

筆者は今回川崎と横浜で10人以上のホームレスを取材したが、名前出しも写真の撮影も許可されたのは、平尾さんが初めてだった。多くの人には取材時にたばこ一箱やQuoカード500円分を渡して、話を聞かせてもらった。しかし、平尾さんはとても気さくで、そうした必要もなかった。

平尾さんは50歳の頃から、20年以上も川崎でホームレス生活を続けている。青森県出身で、以前は建設の現場仕事をしていた。現在は空き缶の回収で一日2000~3000円の収入を得ている。空き缶1キロで100円の相場となっている。

昨年の台風19号の河川氾濫の時も、小屋は水浸しになったものの、避難はしなかったという。この六郷橋付近の多摩川土手はまもなく堤防工事が始まる予定で、平尾さんも移動を余儀なくされている。このため、今は川崎のハローワークに通うなどして、職を得ようと必死だ。高齢ながらも、住み込み可能な仕事を探している。

「自分のように20年もホームレス生活を続けていたら、一般の人とは違ってしまう。人生どん底に落ちたら大変」

「寅さんでさえ、年に2回は家に帰って、妹・さくらに会っていた。しかし、自分は35年も帰っていない」

「親の死に目にも会えなかった。墓参りもしていない。弟の妻の顔さえも知らない。そう簡単に帰れない。でも、死ぬまでに何とか墓参りに行きたい」

平尾さんからはこちらの胸を打つような言葉が相次いだ。平尾さんのように、多くのホームレスの人は家族や親せきとも絶縁関係にある印象だ。以前取材した脱北者と似ていて、家庭が崩壊している印象を持っている。

平尾さんには菊池寛の小説『父帰る』のように、家族や親せきの許しをこうて、何とか親の墓参りを実現してほしいと願うばかりだ。

多摩川の六郷橋付近の土手に住む平尾美喜雄さん(右)と筆者(高橋浩祐撮影)
多摩川の六郷橋付近の土手に住む平尾美喜雄さん(右)と筆者(高橋浩祐撮影)

●行政当局のホームレス支援対策の課題

川崎市生活保護・自立支援室によると、市内に居住するホームレスの数は2003(平成15)年の1038人をピークに、2009年から11年連続で減少している。最新調査の2020(令和2)年1月時点では、前年比で71人減の214人だった。台風19号の影響で、河川にいたホームレスが大幅に減った影響が大きい。

しかし、ネットカフェやDVD鑑賞店などに急きょ移った人々の数は把握できていない。ネットカフェなどの終夜営業店舗は、行政当局による毎年のホームレスの全国調査対象になっていないためだ。しかし、ネットカフェを調べないと、ホームレス全体の実情は見えてこないし、効力のある対策も打てないだろう。

特に30代から40代のホームレスには、終夜営業の店舗を利用している人が少なくない。筆者は10月6日午後、JR川崎駅前にあるネットカフェやDVD鑑賞店の3店舗に取材にいったが、受付には、たくさんのビニール袋や紙袋からなる荷物を持ち、12時間の滞在を申し込む中高年の女性の姿もあった。

ある店長は「台風19号時にはホームレスの人々がたくさん来た。今もそんなに数は多くはないが、利用され続けている。しかし、宿泊料金は何千円に及ぶため、手に職がないホームレスの人の店舗の利用は限られているのも実情」と話した。

川崎市生活保護・自立支援室の吉濱聡担当課長は「川崎のネットカフェには、(新型コロナ禍でも)営業してもらっていて助かった面がある。全部の店が閉まっていたら、全員が締め出されてしまった。川崎のネットカフェは半分以上が営業していた」と話した。

若年層のホームレスは、「虫が嫌」などといった理由で野宿が長続きせず、ネットカフェなど屋根のある場所との行き来も多いようだ。きめの細かく、総合的なホームレスの自立支援策を行うためには、やはりネットカフェなど終夜営業店の実態把握が欠かせなくなっている。今後の大きな課題だ。

米外交・安全保障専門オンライン誌「ディプロマット」東京特派員

英軍事週刊誌「ジェーンズ・ディフェンス・ウィークリー」前東京特派員。コリアタウンがある川崎市川崎区桜本の出身。令和元年度内閣府主催「世界青年の船」日本ナショナルリーダー。米ボルチモア市民栄誉賞受賞。ハフポスト日本版元編集長。元日経CNBCコメンテーター。1993年慶応大学経済学部卒、2004年米コロンビア大学大学院ジャーナリズムスクールとSIPA(国際公共政策大学院)を修了。朝日新聞やアジアタイムズ、ブルームバーグで記者を務める。NK NewsやNikkei Asia、Naval News、東洋経済、週刊文春、論座、英紙ガーディアン、シンガポール紙ストレーツ・タイムズ等に記事掲載。

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