心の復興、一歩ずつ-捜し続ける父の思い

福島県大熊町の自宅跡に立つ木村紀夫さん。次女汐凪(ゆうな)さんを捜す大切な拠点だ

 柔らかな日差しが降り注ぎ、冬とは思えない暖かな日曜日となった11月30日、福島県大熊町の木村紀夫さん(49歳)と南相馬市の上野敬幸(たかゆき)さん(41歳)が長野市で公開対談しました。2人とも津波で行方不明になったわが子を捜し続ける父親です。「3・11は続いている」と題して長野の支援者たちが企画した集会で、捜索を続ける意味や心の復興について2時間半にわたって語り合いました。

木村さん(中央)と上野さん(右)の対談。左は司会を務めた作家の渡辺一枝さん
木村さん(中央)と上野さん(右)の対談。左は司会を務めた作家の渡辺一枝さん

 2人に共通する悔しさは、東京電力福島第1原発事故のせいで津波襲来直後に捜索救助活動が全くされなかったことです。そして子を守るべき父親なのに、娘や息子を助けてあげられなかったこと、いまだに捜し出せていないこと。原発事故を恨み、自らの無力を責め続けています。

 木村さんの家は第1原発から南に3キロで海から100メートルのところにありました。父王太朗さん(当時77歳)の遺体が見つかったのは1カ月半後。家の前の田んぼで、野ざらしになっていました。40キロ南の沖合で見つかった遺体がDNA鑑定で妻深雪さん(当時37歳)と分かったのは3カ月後でした。既に火葬されていて、遺骨と対面するしかありませんでした。どんなに捜しても次女の汐凪(ゆうな)さん(当時7歳)が見つかりません。

3・11からこれまでのことを話す木村さん
3・11からこれまでのことを話す木村さん

 原発事故が起きて、大熊町ではとにかく避難しろという状態になりました。長女の舞雪(まゆ)さん(13歳)と母の巴(ともえ)さん(75歳)を車に乗せ、深雪さんの実家がある岡山県で2人を降ろすと、とんぼ返り。でも大熊町は立ち入り禁止です。さまざまな避難所を回り、手製のビラを貼って、連絡が取れない3人を捜しました。

木村さんが避難所に貼って回ったビラ
木村さんが避難所に貼って回ったビラ

 その後、巴さんは単身で会津若松市の仮設住宅に入居。木村さんは舞雪さんのことを考え、放射能の心配がない長野県白馬村で見つけた元ペンションの住宅を購入しました。白馬を生活の拠点としながら、月1回立ち入りが許される機会に大熊町に入り、自宅に近い海辺やがれき集積場で汐凪さんを捜しています。

 上野敬幸さんのことは5月1日の本欄で紹介しました。警察も消防も自衛隊も誰も助けに来なかった原発から北に22キロの南相馬市萱浜で、消防団の仲間たちと遺体を収容し、不明者を捜し続けてきた「福興浜団」のリーダーです。母順子さん(当時60歳)と長女永吏可(えりか)さん(当時8歳)が亡くなり、父喜久蔵さん(当時63歳)と長男倖太郎君(当時3歳)が行方不明のままです。同じ境遇の木村さんと出会い、浜団のメンバーとともに昨年から捜索を手伝っています。

 木村さんが住んでいた地区のがれき集積場を掘り返すと、津波当日に汐凪さんが履いていた靴が見つかりました。スキーウエアや体操服、家族で撮ったプリクラ、深雪さんのニットパーカーも出てきます。山のように積み上げられたがれきの中に、汐凪さんがいるのではないか。木村さんはいつもそんな思いに駆られます

がれきの山から掘り出された物に汐凪さんの手がかりがないか調べる木村さん(6月、福島県大熊町)
がれきの山から掘り出された物に汐凪さんの手がかりがないか調べる木村さん(6月、福島県大熊町)

 流された自宅跡の裏山には、お地蔵さんと慰霊碑を建てました。夜になるとソーラー式の灯籠がともります。木村さんと上野さんや浜団のメンバーで、一緒に石造りの像と碑を担ぎ上げ、周辺の草を刈って整地しました。どれも、いつ汐凪さんが帰ってきてもいいようにという木村さんの思いです。

 一帯は放射線量の高い帰還困難区域です。福島県内の除染で出た草木や土などの廃棄物をいったん保管する中間貯蔵施設の建設予定地でもあります。でも木村さんは「絶対に国に土地は売らない。ここは捜索の拠点だし、家族に会える場所だから」と強く思っています。

 さて、木村さんと上野さんの公開対談です。あの日から3年8カ月。「津波の後すぐに家のそばに入って捜せばよかったな、と。今も悔やんでます。だから自分で捜し続けないと納得がいかないですよ」。木村さんが遠くを見つめます。上野さんも「自分がやるべきことはただ一つ。倖太郎を見つけて、抱きしめて謝ること」と消えることない無念を口にしました。

上野さんは「全ての行方不明者を見つけるのが生き残った者の義務」と話す
上野さんは「全ての行方不明者を見つけるのが生き残った者の義務」と話す

 上野さんが続けます。「防波堤の建設とか農地基盤整備とか、復興というと何でも急がされるけど、まだ前を向くことができない人はたくさんいます。気持ちが進むスピードは人によって違いますから。足の速い人が、遅い人を待ってあげられるような優しい復興であってほしい。僕も最初のころは全く笑わなかったし、人としゃべる気にもなれなかった。浜団にボランティアで集まってきてくれた人や、いろんな人との出会いに助けられ、少しずつ笑えるようになってきました。この3年8カ月、人に助けられていることを実感します。助けがなければ、今も笑うことができないと思います」

会場の長野市生涯学習センターには、2人の話を聞きに100人ほどが集まりました
会場の長野市生涯学習センターには、2人の話を聞きに100人ほどが集まりました

 100人近くが2人の対話を聞きに集まりました。上野さんが時折愛嬌ある発言をして、笑いも起こる和やかな雰囲気でした。

 ありがとう。笑い合おう。上野さんはこの二つをキーワードに、地元の復興に取り組んでいます。悲しみにあふれた地を、生きている者同士がいたわり合い、亡くなった人々が天国から心安らかに見守ってくれるところに再生させたいと願うからです。

 対談の3日前、福島市内で上野さんを囲む小さな集まりがありました。南相馬市の南隣、浪江町請戸の出身で、実家が流されたシンガーソングライターの門馬よし彦さん(35歳)が、上野さんをテーマにした新曲を披露してくれました。

上野さんの前で新曲「一歩ずつ」を歌う門馬よし彦さん(11月27日、福島市)
上野さんの前で新曲「一歩ずつ」を歌う門馬よし彦さん(11月27日、福島市)

「一歩ずつ」(作詞作曲・門馬よし彦)

かれはてたはずの場所に

咲かせてくれた花

潮風にゆられて

今日もまた

そっと背中をおしてくれる

ぼんやりしてたけしきが

少しずつ見えてきたよ

いつも側に居てくれるんだね

たくさんありがとう

ふりかえると

どこまでも見える空から

とんできた紙ひこうきは

世界中から届いた

君からのあふれるメッセージなんだ

ここにある想いは

全てを笑顔に

導いてくれるから

一歩ずつ前に

さざ波の音の中に

聞こえるその声は

優しすぎて

優しすぎて

いつも元気くれるんだ

夏の夜空にあがる花火は

すぐに消えちゃうけれど

この手の中の数えきれない

ぬくもりは

どこまでも一緒だよ

あきらめない

想いは

涙を笑顔に

君がおしえてくれた

一歩ずつ前に

 いま木村さんは白馬村で、電気をなるべく使わず自然と共生する暮らしに取り組んでいます。そしていつかは大熊町に帰り、自分の土地に隠居小屋を建てたいと夢見ています。上野さんは津波で壊れた自宅をそのまま残し、すぐ隣に新しい家を建てました。家族みんなで暮らしてきた地で、これからもしっかり踏ん張って生きていく決意です。

 一歩ずつ。父は捜し続け、生き続けます。

5月、白馬村の木村さん方を上野さんが訪れました
5月、白馬村の木村さん方を上野さんが訪れました

【追記】2016年12月、木村さん宅に近いがれきから、あごや首の骨が見つかり、福島県警のDNA鑑定で汐凪ちゃんと確認されました。木村さんは「まだ一部だけなので、これからも捜し続けます」と話しています。