飯舘村・命のおにぎりが紙芝居になりましたー涙と笑いの初上演

紙芝居を上演した福島県伊達市の菅野さん夫妻。見ている皆の目に涙があふれました。

今年2月、大雪の国道で立ち往生した車のドライバーに、東京電力福島第1原発事故で避難中の福島県飯舘村民が仮設住宅からおにぎりを炊き出した話を当欄で書きました。その感動ストーリーが紙芝居になり、5月9日、舞台となった福島市松川町の仮設住宅で初上演として村民たちに披露されました。雪の日にみんなで頑張って人助けをした村のじいちゃん、ばあちゃんたちは、紙芝居を見ながらぼろぼろと泣きました。「人さまのお役に立ててよかった」と。

紙芝居は共同通信の配信記事を載せた新聞でこの話を知った広島の紙芝居作家いくまさ鉄平さん(57歳)=本名・福本英伸さん=が作りました。広島市にある市民団体「まち物語制作委員会」の事務局長さんです。 委員会は東日本大震災の被災地で、民話や史実を紙芝居で伝える活動に取り組んでいます。福島県内でその活動に参加している伊達市保原町の菅野米生 (よねお) さん(67歳)、 幸枝さん(63歳)夫妻が上演しました。

菅野さん夫妻の語りで上演された「命のおにぎり」
菅野さん夫妻の語りで上演された「命のおにぎり」

題は「おたがいさま 命のおにぎり」。東日本の各地で記録的な大雪となった2月15~16日、仮設住宅前の国道4号で渋滞の車列が全く動いていないことに、あるばあちゃんが気付きました。ちょうど富山県高岡市の浄土真宗本願寺派の門信徒さんたちから震災支援で寄せられたコシヒカリが1斗5升ありました。みんなで約300個のおにぎりを作り、炊きたてが冷めないように発泡スチロールの箱に入れて配って回りました。

ドライバーの中には持病の糖尿で意識を失いかけていた人もいて「命を救われた」と感謝しました。村民たちは「これまで全国、全世界からたくさんの支援を受けてきたから、その恩返しです」と謙遜しながらも、大いに喜びました。脚色はなく、一連の経緯を基に紙芝居のストーリーは構成されています。

アコーディオンで盛り上げる千本松四郎さん
アコーディオンで盛り上げる千本松四郎さん

仮設の集会所には約40人の村民が集まりました。菅野さんの会社員時代の上司、千本松四郎さん(71歳)がアコーディオンで「ああ上野駅」や「上を向いて歩こう」といった懐かしのメロディーを弾き、みんなで歌って場が盛り上がりました。

いざ紙芝居スタート。自分たちの話なのに、冒頭から既に何人ものばあちゃんがハンカチで涙を拭っています。

ものすごい雪だったこと。仮設の前でたくさんの車が立ち往生していたこと。何か飲み物や食べ物を配ったほうがいいんじゃないかと、みんなで相談したこと。物語が進むにつれ、集会所内で涙は広がりました。上演している菅野さん夫妻も感極まり、場面場面でセリフが詰まりました。取材している私も、もう我慢ができません。ズボンのポケットから博多山笠の手ぬぐいを出して涙と鼻水を拭きました。

自分たちの話なのに紙芝居を見ながら涙を拭う飯舘村のばあちゃんたち
自分たちの話なのに紙芝居を見ながら涙を拭う飯舘村のばあちゃんたち

大きな拍手で紙芝居は終わりました。幸枝さんが「うちのお父さんは練習するたびに、いつも泣くんですよ」と泣き笑いの顔で言います。つるんとした頭を触りながら菅野さんが照れ笑いすると、つられてばあちゃんたちが笑いました。仮設の自治会長・佐藤明康さん(72歳)が「感謝の気持ちで一杯です。一生の思い出になりました」と泣きながら菅野さん夫妻に感謝の言葉を述べました。涙と笑いが行ったり来たりです。

上演を終えた菅野さん夫妻と飯舘村の人たちは、いつまでも語り合いました
上演を終えた菅野さん夫妻と飯舘村の人たちは、いつまでも語り合いました

「ちょっとした気持ちでやったことが、こんな感動的な物語になるなんて思いもしませんでしたよ」。問わず語りにばあちゃんの1人が言いました。

紙芝居を作った福本さんは、私の電話取材にこう話してくれました。

「震災原発事故直後の話は、いろいろ報道されました。しかし被災した人々が今どうしているのかは、あまり全国に伝わっていません。飯舘村のおにぎりの話は、まさに今の話でした。与えられるばかりだった被災者が、与える喜びを強く感じる出来事だったのです。今後の被災地支援のあり方を考えるきっかけにもなりましたので、ぜひ紙芝居で伝えたいと思いました」

お互いに「ありがとう」と笑い合う飯舘村のじいちゃん、ばあちゃんと菅野さん夫妻
お互いに「ありがとう」と笑い合う飯舘村のじいちゃん、ばあちゃんと菅野さん夫妻

菅野さん夫妻は「できるだけ県内外各地に足を運んで、紙芝居を上演したい」と意気込んでいます。飯舘村の命のおにぎりは、これからさらに感動の輪を広げることでしょう。

忘れてならないのは、政府が当初2年限りと約束した原発避難民の仮設暮らしが既に4年目に突入していることです。幼い子を持つ若い世代や中高年層の生活は避難先の都市部で定着し、村に近い福島市などの仮設住宅にいるのは60代以上の高齢層ばかり。世代ごと三つ四つに離散した大家族の暮らしが元に戻るのは、ほとんど無理な状況になっています。

仮設住宅には震災原発事故後4回目の夏の気配が漂い始めました。冬は地面から凍り付くような冷気が襲うプレハブは、夏になると炎熱地獄に変わります。独居の高齢者が仮設の部屋で孤独死するニュースは絶えません。

飯舘村だけでなく、全ての仮設のじいちゃん、ばあちゃんたちが少しでも元気と健康を保ちながら、未来に希望を持てる日々であってほしいと願います。復興政策にかかわる全ての皆さん、早くなんとかしないとまずいですよ。