死と対話し、生と向き合う-復元納棺師・笹原留似子さん

笹原さんと見た相馬小高神社のしだれ桜。笹原さんの遺体復元・納棺会社も社名は「桜」

ラジオ福島の名物アナウンサー大和田新さん(59歳)に誘われ、岩手県北上市の復元納棺師・笹原留似子(るいこ)さん(41歳)と桜咲く相馬地方を回りました。

亡くなった人を安らかな表情に整え、遺体をひつぎに納めることが笹原さんの仕事です。東日本大震災では陸前高田など岩手県の沿岸部で、損傷が激しかった犠牲者の顔や体を修復して遺族に対面してもらうボランティアをしていました。300以上の遺体を復元した別名「おもかげ復元師」。震災の死者と、まさに真正面から対話を続けてきた人物です。NHKスペシャルで活動が紹介され、複数の著書もありますから、ご存知の方も多いと思います。

津波で両親と長女永吏可(えりか)さん(当時8歳)、長男倖太郎君(当時3歳)を亡くした南相馬市原町区萱浜の上野敬幸さん(41歳)を訪ねました。笹原さんは2年ぶりの訪問です。震災の半年後に生まれた次女の倖吏生(さりい)ちゃん(2歳)が笑顔で迎えてくれました。お姉ちゃんとお兄ちゃんから1文字ずつもらった名前です。

上野さん宅は東京電力福島第1原発から北に22キロの位置にあります。一帯は津波で壊滅的な被害を受けました。しかし警察や自衛隊の救助捜索チームは全く来ませんでした。震災発生翌日の2011年3月12日、原発建屋の爆発で避難や屋内待避の指示が出たからです。上野さんは若い消防団の仲間と、自分たちだけで地域の人たちを必死に捜しました。水没したがれきの下から、よく知った顔の遺体をいくつも引き上げました。「なんで誰も助けに来ねぇんだ」。怒りと悔しさと悲しみに体を震わせながらの日々でした。警察や自衛隊がようやく来たのは震災1カ月後でした。

上野敬幸さん一家と笹原留似子さん(中央)=4月7日
上野敬幸さん一家と笹原留似子さん(中央)=4月7日

父喜久蔵さん(当時63歳)と倖太郎君がまだ見つかっていません。消防団仲間の捜索には次第に県内外のボランティアも加わるようになり「福興浜団」というグループに発展しました。今も欠かさず毎週末に沿岸の捜索を続けています。父と息子だけでなく、すべての行方不明者が見つかるまで捜し続ける。それが上野さんの生きるテーマです。

笹原さんと上野さんは太陽が差し込む居間の窓際で、昔からの仲間のように語り合いました。ご本人は多くを語りたがりませんが、笹原さんも20代のころ、生まれて間もないわが子を亡くした経験があるそうです。その痛みが笹原さんの生と死を考える原点だとお見受けしました。

上野さんの妻貴保さん(37歳)も交えて、亡き家族と話をしたり存在を感じたりすることが話題になりました。毎朝4人の遺影に話し掛けるのが上野さんの日課です。「でもねえ、家の中とかじゃあ全く見えないんだよね。夢も見ないから、俺」と上野さん。笹原さんは「さっきまでお姉ちゃん(永吏可さん)がすぐ脇にいたよ。ここに着いた時から存在を感じてて、髪留めのゴムがいるって言ってた」と話します。

笹原さんは震災で家族を亡くした子どもたちのケア活動を岩手県大槌町でやっています。その子どもたちと9月に、死者を供養する霊場として知られる青森県・下北半島の恐山へ行く計画を立てています。「家族が好きだった食べ物を持って行って、亡くなった家族とたくさん話をしよう」と。上野さん夫妻とも「行こう、行こう」と盛り上がりました。

上野さん宅を辞して、近くの村上海岸へ。道中には、がれきや流された車がまだ放置されています。福島の津波被災地は原発事故で復旧作業そのものが遅れています。「えーっ、まだ残ってるんだ。信じられない」。岩手や宮城の復旧・復興状況とは全く違う光景に、笹原さんは驚いた様子でした。海岸に着くと、下を見ながら何かを捜しています。

行方不明者を探し始めた笹原さん=4月7日、南相馬市の村上海岸
行方不明者を探し始めた笹原さん=4月7日、南相馬市の村上海岸

震災の行方不明者は今年3月11日現在、全国で2633人。「今も見つからない家族の帰りを待っている人がたくさんいますから、指1本、髪の毛1本でも見つかればいいなという気持ちになりますよ」。笹原さんはそう言いました。ケアしている子どもたちにも親が行方不明という子がいます。岩手県警には「不明者捜索を絶対にやめないでほしい」と要請しているそうです。警察があきらめずに捜し続けてくれているということが、子どもたちの生きる支えになっていると感じるからです。

笹原さんが取り組む活動は「子ども夢ハウスおおつち」です。大槌町の空き家を借り、震災で父や母、祖父母、きょうだいを亡くした子どもたちの居場所・遊び場として開放しています。山口市の社会福祉法人と協力して運営し、作業療法士の若者が常駐しています。

震災後、笹原さんは仕事を通して子どもの後追い自殺や未遂が多いことに気付きました。ある未遂の子に動機を尋ねると「お母さんのところに行きたかったから」と言ったそうです。

「亡くなったお母さんに会いたい。誰も否定できない、正直な気持ちですよね。親が死んでつらい、苦しいというのは当たり前のことなんだ、自分の心に押し込めず、大人たちに言っていいんだと子どもたちに知ってもらいたいんです。大人も苦しいときがあるし、泣くこともある。悲しみは絶対になくならない。でも、悲しみには思い出がある。亡くなった父や母のぬくもりを感じながら、生きる力を持ってほしい」。そんな思いで子どもたちと向き合っています。

夜は大和田さんのラジオ番組「月曜Monday(もんだい)夜はこれから」に出演です。「今後どうやって福島とつながっていこうか、あらためて考えました。原発のせいで捜せなかった不明者を見つけるには、ボランティアの手がもっと必要でしょう。私も時間を見つけて捜索に来たい」。笹原さんは静かにそう言いました。

「生と死はとても近いところにあります」と話す笹原さん(4月7日、ラジオ福島)
「生と死はとても近いところにあります」と話す笹原さん(4月7日、ラジオ福島)

笹原さんは遺体を修復するとき、さまざまに話し掛けながら事を進めていきます。「頑張ったね」「もうすぐ家族に会えるよ」。NHKスペシャルでもそんな場面があったのを思い出しました。笹原さんによりますと震災当時、遺体安置所でも若い警察官が「ひつぎ動かしますよー」「きっと誰かが迎えに来るからね」と折に触れて遺体に声を掛けていたそうです。そうしたお巡りさんたちにも自らの体験を子どもたちに語り継いでほしいと笹原さんは願います。

死と対話し、生と真剣に向き合う。死に近いところで懸命に仕事をしてきた人たちからは、学ぶべきことがたくさんあります。生と死をしっかりと見つめ、みんなで痛みを分かち合える震災後の社会でありたいと思います。

(参考)

復元・納棺会社「桜」のサイト。笹原さんのブログがあります。

http://www.sakura-noukan.com/

子ども夢ハウスおおつちのブログ

http://yumenomizuumi.com/blogotc/

ラジオ福島・大和田新さんの「月曜Monday(もんだい)夜はこれから」はUstreamで視聴できます。笹原さんの出演は4月7日放送分。

http://www.ustream.tv/channel/rfc-radio