町長の涙、姉妹の誓いー震災原発3年の福島県浪江町

海際で行方不明者の手掛かりを捜す浪江町の馬場有町長。奥に福島第1原発が見える。

東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から3年の3月11日、町民全員が町の外で避難生活を続ける福島県浪江町で、津波犠牲者の遺族や行方不明者の家族約70人が県警の不明者捜索活動に初めて参加しました。海辺では時折、骨片が見つかっています。馬場有(たもつ)町長も長い棒を手に、消波ブロックの隙間や砂浜のがれきをかき分けて、何か手掛かりはないか捜しました。

請戸漁港近くの海岸を捜索する浪江町民たち
請戸漁港近くの海岸を捜索する浪江町民たち

浪江町では津波で151人が死亡し、33人が今も行方不明です。ほかに長引く避難生活の中で320人が震災後に亡くなり、関連死に認定されました。地震と津波と原発と、すべての厄災の直撃を受けた町です。

捜索活動が行われた請戸(うけど)地区は、漁港を中心に商店や住宅が並ぶにぎやかな港町でした。海辺で一人たたずんでいた馬場町長の目から、涙がこぼれ落ちました。

「悔しい、悲しい。いつまでもこの気持ちは消えませんねぇ」。町長はゆっくりと言い、町並みがなくなって荒れ果てた一帯を見つめました。 「助けられる命がたくさんあった。でも(2011年)3月12日の避難指示で、それができなかった。このへんはねぇ、家がたくさん建ってたんですよ」。問わず語りに、あのときを振り返りました。

捜索救助できなかった3年前を思い出し、馬場有町長は「悔しい」と涙をこぼしました。
捜索救助できなかった3年前を思い出し、馬場有町長は「悔しい」と涙をこぼしました。

津波に襲われた2011年3月11日、がれきの隙間や屋根の上では助けを求める声がいくつも上がっていました。同時に町の南にある第1原発ではメルトダウンへの緊急事態が刻々と進みました。浪江は町の半分ほどが第1原発から20キロ圏内です。翌12日早朝、馬場町長は国や県の指示が何もない中で、10キロ内の町民に避難を促しました。救出や捜索どころではありませんでした。

警察などの捜索活動が始まったのは1カ月後でした。野ざらしだった多くの遺体は損傷が激しく、外見では身元が判別できない状態でした。放射性物質が付着している可能性があるとして、横たえた遺体にはホースで水がかけられました。死者の尊厳はもとより、その光景を見てしまった遺族の尊厳も踏みにじられました。助けてやれなかった。捜してやれなかった。原発事故さえなかったら、もっと早く捜せてあげたのに。身内の遺体が見つかった遺族にも、見つからない不明者の家族にも、深い心の傷が残りました。

何もないままの請戸地区
何もないままの請戸地区
波打ち際を捜索する福島県警の警察官
波打ち際を捜索する福島県警の警察官

それから3年。合同捜索の現場には、大勢の警察官や消防団員に混ざって若い3姉妹の姿がありました。行方不明の鈴木文雄さん(当時64歳)、十四代(としよ)さん(当時61歳)夫妻の長女幸江さん(31歳)、次女春江さん(29歳)、三女美保さん(25歳)です。津波が来たとき自宅には両親と、きょうだいでただ1人の男性だった東京電力社員の清孝さん(当時24歳)がいました。地元の工業高校を出て福島第2原発に勤めていた清孝さんは、たまたま半日休を取って家にいたのです。清孝さんの遺体だけは1カ月後に見つかりました。

3姉妹は海にほど近い自宅跡に花を供えて手を合わせ「早く見つけてあげるからね」と両親に話し掛けました。そして浜をゆっくり歩き、砂を掘り返したり、がれきをひっくり返したりしました。あれから3年がたち、初めて自分たちで父と母を捜したのです。しかしそれは見つけることの難しさを実感する作業でもありました。

結婚して幸江さんは東京、春江さんは仙台で暮らし、独身の美保さんは福島県伊達市で避難生活です。浪江町は全域が避難区域として立ち入りが制限され、請戸地区は比較的放射線量が低いエリアですが、簡単に帰郷するというわけにはいきません。復旧・復興作業は全くされておらず、壊れた家屋はそのまま、打ち上げられた漁船が今もあちこちにあります。

3月11日朝、浪江町請戸地区の慰霊碑に手を合わせる人
3月11日朝、浪江町請戸地区の慰霊碑に手を合わせる人

春江さんは「請戸を離れて暮らしていることもあって、父と母が亡くなったと思いたくない、受け入れたくない心理がずっとありました」と話しました。どんな死であれ、愛する家族の遺体を抱き締め、きちんと弔いをして、少しずつ死を受け入れていくのが人間としての「喪の作業」と言えましょう。浪江に限らず、行方不明者の家族は皆、この当たり前の手続きができないまま時間だけが経過しています。

「初めて捜索に参加して、3年前と全く変わっていない町の惨状を見せつけられると、震災直後の喪失感がよみがえってきます。少しでも両親の手掛かりがほしいという気持ちはありました。だけど、3年たって捜すのはとっても難しいな、と。なんか、うまく言葉にできません」。春江さんは複雑そうな表情でした。

本居(旧姓鈴木)春江さん
本居(旧姓鈴木)春江さん

捜索に続いて町主催の追悼式が町内の斎場で開かれ、春江さんは遺族代表として祭壇の前に立ちました。「命の尊さやはかなさ、この惨事を経験した私たちだからこそできることがある。前よりも魅力ある浪江町になるよう、力を合わせていきたいと思います」と誓いました。

「自分で決めた道を、しっかり貫きなさい」が母、十四代さんの口癖だったそうです。「捜索、追悼という今回の機会をいただいて、慰霊というか、初めてちゃんと亡くなった両親と向き合えたような気がします。両親が生きていたころの私よりも幸せになろう、両親にほめてもらえるような生き方をしようと思いました」。春江さんが姉妹を代表して、前を向く思いを話してくれました。

警察庁のまとめでは、東日本大震災の行方不明者は青森1人、岩手1142人、宮城1280人、福島207人、茨城1人、千葉2人の計2633人います。多くは死亡届が出され、戸籍上は亡くなったことになっています。だけど、それぞれの家族は今も愛する人を探し続けています。そのことに心を寄せ続けていきたいと思います。