津波犠牲の10歳少女と灯台をめぐる物語-福島・いわき

鈴木姫花さんが見つめた塩屋埼灯台(撮影・中村靖治)

 幼いころから見つめ続けた海と灯台に抱かれて、少女は天国に召されました。福島県いわき市の豊間小4年、鈴木姫花(ひめか)さん(当時10歳)。3年前、東日本大震災の津波で命を奪われました。絵が大好きで、絵がとても上手で、大人になったらデザイナーになりたいと夢見ていました。空と海と灯台を生き生きと描いた彼女の絵は、永遠に私たちの心に刻まれ続けます。

 先週末の土曜日(2月22日)、震災で壊れたいわき市の塩屋埼灯台で復旧工事を終えた記念式典がありました。姫花さんの両親と2人の弟が招かれ、震災後3年の復活を祝い、一般見学再開のテープカットをしました。

 岬の高台にある灯台に向かう坂道を登り切った広場の手すりに、姫花さんの絵を転写したハンカチが額に入れられ、掲示されていました。震災前の2009年、海上保安庁関連団体のコンクールで入賞し表彰された絵です。中央に塩屋埼灯台、友達が笑顔で灯台に上る姿、黄色の空に赤い太陽があり、青い海が広がる中をカモメが優雅に舞う構図。姫花さんが生きた証しにと、両親が絵をハンカチにして売り、収益を震災遺児のために寄付しています。

掲示された鈴木姫花さんのハンカチと塩屋埼灯台
掲示された鈴木姫花さんのハンカチと塩屋埼灯台

 震災の激しい揺れが来た時、姫花さんは学校帰りで海沿いの祖母の家にいました。弟を保育園に迎えに行こうとした父貴さん(38歳)が車で立ち寄ると、家の前に出ていた祖母(貴さんの母明美さん)が「姫花はうちにいるから大丈夫」と言いました。貴さんは弟の皇成君(8歳)を保育園でピックアップし、明美さん宅に戻ろうと近くに車を止めました。直後、黒々とした波が堤防を越えて迫り来るのが見えました。命からがら貴さんは高台に車を走らせました。姫花さんと明美さんを車に乗せることはできませんでした。

 明美さんの遺体が家のそばで、姫花さんの遺体は1週間後に塩屋埼灯台を南に回り込んだ海辺で見つかりました。

 いつもにこにこ、何事にも真面目に取り組む女の子でした。両親にとっては、まったく手のかからない長女だったそうです。いちごが好きで、毎年お正月に家族でいちご狩りに行くのを楽しみにしていました。いちごハウスで満面の笑みを見せる可愛らしい写真が両親の手元に残りました。

鈴木姫花さん。いちごが好きな10歳でした(父貴さん提供)
鈴木姫花さん。いちごが好きな10歳でした(父貴さん提供)

 悲しみに暮れる両親に3カ月後、福島海上保安部から連絡がありました。「娘さんの絵をお返ししたい」。コンクールで入賞した絵でした。通常は返却されないのですが、報道で姫花さんの死を知った海保の人たちが「親御さんに返そう」と思い立ったのでした。

コンクールで入賞した絵を胸にした鈴木姫花さん(2009年11月、父貴さん提供)
コンクールで入賞した絵を胸にした鈴木姫花さん(2009年11月、父貴さん提供)

 塩屋埼灯台は震災の揺れで建物が激しく壊れ、高台の敷地も通路や斜面が崩れました。貴さんが海上保安部に絵を受け取りに出向いた際、海保の職員さんは「灯台の復旧式典には必ずご案内します」と言いました。果たして2年半が過ぎた今年1月、海保から連絡がありました。「2月22日に復旧記念式典をやろうと思っています。お気持ちが許せば、来賓としてお越しいただけませんか」。海の男たちは約束を守りました。

 2月22日はお父さんの貴さんと、下の弟・丞(じょう)君(3歳)の誕生日です。丞君は震災の3週間前、貴さんの誕生日に生まれました。姫花さんは「初めからそうなるように決まっていたんじゃない?」と予言していたかのように話したそうです。その日に灯台の復活を祝うセレモニーが開かれ、家族が招かれたのでした。決して偶然とは言えない、必然的なめぐり合わせでした。

 式典の朝、貴さんは緊張気味でした。灯台に上がるのは、姫花さんの絵の表彰式があった09年11月以来でした。いわき市長や海保、地元の関係者と記念撮影をし、テープカット。皇成君と一緒に、いよいよ灯台へ急坂を登りました。手すりに姫花さんのハンカチが掲げられていることを、貴さんは知りませんでした。海保の粋な計らいでした。真っ青な空と白い雲の下、ハンカチの前で貴さんと皇成君はしばらくたたずみました。

鈴木姫花さんの父貴さんと弟皇成君
鈴木姫花さんの父貴さんと弟皇成君

 そして灯台の中にある、らせん階段を上がりました。姫花さんと何度も一緒に上がった灯台です。貴さんには、幼い姫花さんが履いていたビーチサンダルが脱げ、ころころとこの階段を落ちていった記憶があるそうです。灯台の上で姫花さんは手すりにしがみつき、楽しそうに「きれいだねえ~」と声を上げて海を見つめていました。思い出あふれる場所でした。

塩屋埼灯台から望む太平洋
塩屋埼灯台から望む太平洋

 姫花さんが津波に流された海と、住宅の基礎が撤去され更地になった薄磯地区が眼下に広がります。灯台をぐるりと回り込んだ豊間地区の海辺も、青とも緑とも言えない美しい色を放っています。姫花さんの遺体が見つかった海です。

鈴木姫花さんが流された薄磯地区の海
鈴木姫花さんが流された薄磯地区の海

 すべてを目に刻んだ貴さんは、複雑そうな顔でこう言いました。

 「地元のシンボルである灯台が復活して、うれしい気持ちはあります。でも、きょうは娘と一緒に上がらない初めての灯台でした。ハンカチが飾られていて晴れがましくもあり、正直悲しさもあります」

 貴さんが自宅に戻って、式典出席者に配られた弁当を広げると、姫花さんのハンカチが一緒に入っていました。これも貴さんの知らないことでした。姫花さんのことを忘れないと、皆が思ってくれている証しでした。張りつめていた貴さんの心が、ふっと穏やかになりました。

 人はそれぞれに、さまざまな物語を生きています。わずか10歳で短い生涯を終えなければならなかった鈴木姫花さんにも、こんなものすごいストーリーがあることに、私はただ畏敬の念を抱くばかりです。

 震災で亡くなった約2万人も、それぞれの物語を生きていたことでしょう。ご遺族、被災者、原発避難者ら震災後を生きるすべての人々にも無数の喜怒哀楽があるはずです。それぞれの生きざまに思いをはせながら今を一生懸命に生きることが、震災後を生かされている私たちの義務だと強く感じています。