3・11の続きを生きる

福島というと東京電力福島第1原発事故なのですが、あえて津波被災地のことを記したいと思います。

東日本大震災の大津波で103人が亡くなった福島県いわき市の薄磯地区で、流された住宅や店舗の基礎部分の撤去が今年に入ってようやく本格化しました。

福島県いわき市・薄磯地区、1月20日撮影
福島県いわき市・薄磯地区、1月20日撮影

岩手や宮城では当たり前のように済んでいる工事です。原発事故の影響で、福島の津波被災地は置き去りになっていました。言葉は悪いですが、原発被害の大きさと深刻さゆえに、福島の津波被害はマイナーな存在。沿岸部は3年前のまま、全く手付かずのところばかりです。

薄磯は太平洋を望む塩屋埼灯台のたもとにあり、美空ひばりのヒット曲「みだれ髪」の舞台にもなった風光明媚な観光地でした。美しい海岸線を誇り、釣りや海水浴でも県内外から多くの人が訪れていました。津波はそのすべてを流し去りました。

犠牲者の1人、鈴木姫花さん(当時10歳)は絵が大好きでデザイナーになることを夢見ていました。生前、灯台を描いてコンクールで入選した姫花さんの絵を、両親がハンカチにして売り、収益を震災遺児のために寄付しています。

塩屋埼灯台と友達を描いた鈴木姫花さんのハンカチ
塩屋埼灯台と友達を描いた鈴木姫花さんのハンカチ

津波で流されてしまう直前まで姫花さんがおばあちゃんといた住宅跡には、父貴さん(37歳)が「天国から見えるように」とレンガのブロックを「HIMEKA」の形にして置き、花やぬいぐるみをたくさん供えていました。その祈りの場も、基礎撤去工事で破壊されたコンクリ片が山積みになっていました。

市は地区の再整備と防潮堤建設、住宅の高台移転を住民に提案しています。震災3年を目前にした一歩前進。だけど生きていた証が消し去られてしまうさみしさ、津波の恐ろしさをまざまざと見せつける痕跡をなくしてしまっていいのかというためらい。ないまぜの感情が地区に漂います。

「来るべき時が来たという感じです。期待4、不安6。どんな町になるのでしょうか。復旧の過程、被害状況、亡くなった人の数。しっかり覚えて、次の世代へ伝えていきたい。3年ひと区切り、いつまで被災者でいるんだという声も耳にします。だけど3・11からの続きを、これからもずっと続けていくしかないのです。ここに生き続ける私たち自身の内面が風化しないようにしていきたいと思っています」。貴さんはそう話しました。

南相馬市の南部や双葉、大熊両町など第1原発に近い津波被災地では、原発事故に伴う避難が優先され、自衛隊にも警察にも消防にも行方不明者を全く捜してもらえなかったという被害感情が強く残っています。見つからないわが子を今も海辺で捜し続けている親がいることを、全国でどれだけの人が知っているでしょうか。

巨大地震と大津波、原発のメルトダウン。福島ではさまざまな被害が複雑に絡み合い、被災者が置かれている現状もそれぞれに違います。ただ一つだけ同じなのは、みんなが3・11後を生き続けているということ。それも3・11後に亡くなった震災関連死の人々の数が、福島では直接死の人を上回っていますから、正確な表現ではないかもしれません。

皆さんは3・11の続きを、どう生きていますか。

※福島県の状況・2014年2月12日現在=死者3478人(直接死1603人、関連死1652人、遺体未発見223人)、避難者13万6832人(県内8万8416人、県外4万8364人、避難先不明52人)

南相馬にボランティアに来られているYahoo!ニュース編集部の方と知り合い、この場をお借りすることになりました。さまざまな「福島の今とこれから」を記していきたいと思います。よろしくお願いします。