普通だった僕が長く野球を続けて得たもの。そして恩返しを 松尾勇太(熊本ゴールデンラークス)

現在は熊本ゴールデンラークスの一員としてプレーする松尾勇太(本人提供)

「こんな遠くまでありがとうございます」

 待ち合わせ場所となった熊本駅で爽やかに迎えてくれた彼はスーパーマーケットの青果コーナーでの勤務を終えて午後からの練習に向かう。その道すがらハンドルを持ちながら「もうこっちに来て4年になりますけど、いい街ですよ」と話す表情に日々の充実が窺えた。

 松尾勇太は社会人4年目の投手だ。スーパーマーケットなどを運営する鮮ど市場を母体とする企業チームである熊本ゴールデンラークスに所属。チームはこれまで社会人野球の全国大会である都市対抗に2回、日本選手権に1回出場。プロ野球には香月良仁、川崎成晃、島井寛仁、竹安大知と4名を輩出している。持ち味であったコントロールに2、3年目は苦しむなど順風満帆ではなかったが、「過去にできていたものに戻すのではなく、新しい視点を持つことにしたんです。腕を少し下げたりすることで良くなりつつあります」と手応えを取り戻し、チームとして11年ぶりの都市対抗出場を目指している。

大卒4年目でチームの中堅となってきた今もハツラツと声を出して練習に取り組む松尾(筆者撮影)
大卒4年目でチームの中堅となってきた今もハツラツと声を出して練習に取り組む松尾(筆者撮影)

高校最後の夏は初戦敗退

 高校時代まではどこにでもいる普通の投手だった。鳥取県米子市で生まれ育ち、高校は米子西高に進学。2年夏に県8強進出を果たしたものの、3年夏は初戦敗退。こうした実績と最高球速130キロほどでは、どこからも誘いはかからなかった。

 ただ、松尾の中に「野球を辞める」という選択は無かった。「鳥取は大学野球が身近に無い環境なので、実力があっても辞めてしまう選手は多いです」というが、松尾自身は「プロになりたいという気持ちを持っていたので、特別じゃなくてその過程のひとつでした」と振り返るように、向上心や探究心が溢れており自ら大学野球の情報を調べた。

 その中で探し当てたのが山梨学院大だった。2013年春に大学日本一となった上武大や阪神で4番を打つ大山悠輔らプロ輩出の多い白鴎大と同じ関甲新学生野球連盟に所属。当時は監督に巨人のV9を支えた左腕・高橋一三氏(2015年逝去)、コーチには伊藤彰氏(元ヤクルト)、須田喜照氏(元東芝/現監督)と3人もの投手出身の指導者が在籍していた。「投手出身の指導者に指導を受けたらどうなるんだろう」という好奇心があった松尾はそんな環境に強く惹かれてセレクションを受験。見事に合格を掴み取った。

大学入学前の取り組みが生きる

 周りの合格者や先輩たちの中には名門や強豪の高校出身者もおり「出られるのは大学3年生くらいからかな」と、当初は思ったという。それでも、高校野球最後の公式戦が終わってから、イチローらも利用する初動負荷トレーニングをするためにワールドウィング(鳥取市)に入会し、入寮後も町田の同施設に通うなど心身ともに緩ませることなく練習を続けてきた成果がさっそく表れた。

 2学年上だった高梨裕稔(現ヤクルト)の故障もあり、1年春の上武大戦でリーグ戦初登板を果たし、秋には初先発。徐々にチャンスを掴んでいくと、高梨が卒業した3年春にはエースとなり、田中貴也(現巨人)とのバッテリーでチームを創部史上初の全日本大学野球選手権出場に導いた。

「僕にとっても野球人生初めての全国大会だったので楽しかったです。やっぱり東京ドームは独特の雰囲気がありました。山梨に来て、野球を続けてきて良かったなと思えました」

 自ら選択した道を自らの手によって正解にした。また各界で活躍した投手出身の指導者から多くのことを学んだ。

「一三さんや伊藤さんには投手としての心の持ち方を学びましたし、須田さんにはしこたま走らされました(笑)でも、おかげで練習できる体力もついて今に生きています」

 4年時は「相手に研究されたというより技術不足です」と結果を残せなかったが、声をかけてくれた熊本ゴールデンラークスに進み、今に至っている。

山梨学院大時代の松尾。地方リーグ屈指の実力があるリーグで腕を磨いた(筆者撮影)
山梨学院大時代の松尾。地方リーグ屈指の実力があるリーグで腕を磨いた(筆者撮影)

長く野球を続けてきたからこその財産

「自分の気持ちに素直になることですね。だから、後悔はありません」

 進路の選択で大事にしていることを聞くと松尾はそう答えた。入社してすぐ熊本地震に見舞われ、食糧もままならない中で車中泊も経験した。「野球どうこうより、まずは普通の生活に戻ること」という環境の中で農業ボランティアなどの活動に従事。ようやく野球を再開できた日には「やっぱり野球はいいなあと思いました。なかなか毎日思うことはできないことですけど、そういう純粋な気持ちが湧きました」と、あらためて自らにおける野球の大切さを知った。

 そしてそれは今も変わらない。社会人になり地域や職場の支えや応援を得ることで、「より様々な人のことを考えるようになりました」という。だからこそ、自ら道を探し、長く野球を続けてきて良かったと心から思える。

「普通の選手だった僕が、ここまで野球をできているのは、いろんな人の縁とか支えがあったから。それが苦しい時に“一人じゃない”“このままじゃ終われないな”という心の支えになっています。なんとかそうした人たちに良いところを見せて、喜んでもらいたいんです。そう思える人たちとたくさん出会えていることが僕の財産だと思います」

 現在の最大の目標は自身初となる都市対抗への出場だ。恩返しの気持ちとともに、好奇心と向上心がやはり松尾を突き動かす。

「都市対抗を経験できたら新しく見えることもあると思います。コツコツしか進めない人間でも、普通の選手でも、コツコツやればチャンスはあるんだよと示せるような活躍をしたいです」

 そう語りながら見せた笑顔は野球を始めた少年時代から、おそらく変わっていない。

大好きな野球に対してひたむきに取り組んできたからこその笑顔が印象的な松尾(筆者撮影)
大好きな野球に対してひたむきに取り組んできたからこその笑顔が印象的な松尾(筆者撮影)