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ホークス一筋19年、明石健志が引退へ・・・今も忘れない、11年前の男泣き

田尻耕太郎スポーツライター
引退会見の1コマ。涙はなかったが、何度も感極まった表情は浮かべた(球団提供)

 ホークス一筋19年、明石健志内野手が今季限りで現役引退する。福岡ソフトバンクホークス球団が23日に発表した。そして本日午後に記者会見が行われる予定だ。

残る「ダイエー戦士」は和田毅のみ

 明石は北海道出身の36歳内野手。山梨学院大学附属高校から2003年ドラフト4位で福岡ダイエーホークスに入団した。明石はダイエーでプレー経験のある最後の野手だった。明石の引退後は、ダイエーに在籍したことのある現役プロ野球(NPB)選手は和田毅投手のみとなる。

丸刈りの18歳ルーキーが早々に一軍デビュー

 入団当初は丸刈りだった。あの頃は表情にもあどけなさが残る細身の選手だったが、類まれな打撃センスと身体能力の高さは早くから目を引くものがあった。まだ18歳だったプロ1年目の2004年5月2日、大阪近鉄バファローズ8回戦(大阪ドーム=現京セラドーム)の八回表に代打で出場して一軍デビュー。その打席で右中間三塁打を放ちプロ初安打もマークした。

 どんな好投手にも対応してバットで快音を奏でた。若い頃からエースキラーで、2009年には当時楽天のエースに君臨していた岩隈久志投手から年間5打数5安打、うち三塁打2本という成績を残した。

 また、こんな珍しい出来事もあった。2012年7月7日の日本ハム戦(札幌ドーム)、左腕の乾真大投手と対した打席で、2度の6連続ファウルを含む日本タイ記録の19球を投げさせて四球を勝ちとった。これも一定水準以上の打撃技術があってこその珍記録だ。

大怪我の連続。諦めかけても、何度も乗り越えた

 しかし、それだけの能力がありながら確固たるレギュラーを獲得することが出来なかったのは故障の多さが原因だった。

 3年目には右肩痛で手術。もともと強肩だったが「手術をしても元に戻ることはないと分かっていた」という大きな怪我だった。その後も右手骨折、左足甲の大怪我、右膝負傷、そして腰痛‥‥‥。

今年5月、タマスタ筑後での二軍戦(筆者撮影)
今年5月、タマスタ筑後での二軍戦(筆者撮影)

 その中でも、2010年の左足甲手術の復帰後の出来事は鮮明に記憶している。翌年8月19日の楽天戦(ヤフードーム=現PayPayドーム)だった。八回に貴重な追加点となるタイムリー。前日にも2点三塁打を放っており、2戦続けての活躍で1年11か月ぶり、自身2度目となるお立ち台に上がったのだ。大観衆の前ではいつものようにクールを装ったのだが、ベンチ裏に入ってファンの目もマスコミカメラのレンズも届かない場所まで来ると、突然涙をこらえきれなくなった。「本当にいろんな思いがあって……、嬉しかったです」。唇を震わせて、声を絞り出して男泣きした。

 何度も何度も苦難があった。

 正直、野球を諦めかけたこともあったが、その度にどうにか踏み止まって、乗り越えてきた。3年前にインタビューを行った際にはこのように話していた。

「自分の中で完全燃焼はしたいという思いがあった」

 その答えは引退会見の中で明かされるかもしれない。明石はどんな言葉を我々に届けてくれるのだろうか。

中村晃とは若手時代に一緒に自主トレも行った(球団提供)
中村晃とは若手時代に一緒に自主トレも行った(球団提供)

現在背番号36の牧原大成からも花束。明石が入団から13年間背負った番号だった(球団提供)
現在背番号36の牧原大成からも花束。明石が入団から13年間背負った番号だった(球団提供)

同期入団で同級生の金子圭輔(現スコアラー)とは、雁の巣時代から猛練習に一緒に耐え抜いた(球団提供)
同期入団で同級生の金子圭輔(現スコアラー)とは、雁の巣時代から猛練習に一緒に耐え抜いた(球団提供)

※明石健志、通算成績(9月22日まで)

1007試合、2566打数647安打、打率.252、17本塁打、213打点、93盗塁、出塁率.309

スポーツライター

1978年8月18日生まれ、熊本市出身。法政大学在学時に「スポーツ法政新聞」に所属しマスコミの世界を志す。卒業後、2年半のホークス球団誌編集者を経てフリーに。現在は「Number web」「文春野球」「NewsPicks」にて連載。ホークス球団公式サイトへの寄稿や、デイリースポーツ新聞社特約記者も務める。また、毎年1月には千賀(ソフトバンク)ら数多くのプロ野球選手をはじめソフトボールの上野由岐子投手が参加する「鴻江スポーツアカデミー」合宿の運営サポートをライフワークとしている。2020年は上野投手、菅野投手(巨人)、千賀投手が顔を揃えた。

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