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ソフトバンク工藤公康監督が、1打席勝負で伝えたい「継続力」

田尻耕太郎スポーツライター
手加減は敢えてしない(筆者撮影)

「野球で、元気に」一日で大分、福岡、熊本を

先週末、福岡ソフトバンクホークス工藤公康監督の野球教室に同行取材してきた。

27日(土)、朝9時に大分県日田市に到着。中学硬式チーム「日田ボーイズ」の選手たちへの指導だ。2時間の予定が気づけば1時間オーバー。昼食はコンビニで買ったおにぎりを移動車内で頬張っただけ。昼過ぎには福岡県朝倉市の杷木地区を訪れた。ここでは小学生の野球チームに所属する少年少女に野球を教えた。

続いて、車はまた高速道路をひた走り、この日3カ所目は熊本県西原村。1年前にも来た「西原村学童野球クラブ」のグラウンドを再訪した。

九州はここ数年、大きな災害に見舞われることが続いた。日田と朝倉は昨年7月の九州北部豪雨で、熊本は一昨年4月の熊本地震で、いずれも甚大な被害を受けた。復興は徐々に進んでいるが、道半ばである。西原村学童野球クラブについては、もともと練習で使用していたグラウンドが震災後にガレキ置き場として使われたため、保護者やOBが近くの畑を「手作り」のグラウンドに変え、そこで日々練習を行っている。それを聞いた工藤監督が「『野球をさせてあげたい』という親御さんの強い気持ちを感じる。その野球に対する思いには、『感謝』しかない」と胸を打たれ、訪問したという経緯があった。

「諦めずに続ければ、人は変われる」

手首に5本の指先が全部つくという。やってみるとかなり難しい。「風呂でストレッチを続ければ出来るようになる」と工藤監督(筆者撮影)
手首に5本の指先が全部つくという。やってみるとかなり難しい。「風呂でストレッチを続ければ出来るようになる」と工藤監督(筆者撮影)

工藤監督の野球教室では、最後にいつも「1打席真剣勝負」が行われる。

この日も例外ではなく、3カ所すべてで工藤監督が子どもたち全員を相手に投げた。「打たせてあげる」ピッチングではない。小学生ならば「こんなスピード見たことない」と目を丸くする。現役時代の勝負球だったカーブも投げる。往年のキレ味そのままだ。特に、日田では硬式球を使ったため、その威力はいつも以上。左手からボールを離す瞬間の「パチン」「ピシッ」という音が、かなり離れているところまで聞こえてきた。

子どもたちも負けじと「もっと速い球でお願いします!」とおねだり。工藤監督は「勘弁してくれよ~」と苦笑い。へとへとになりながら、かなりの球数を投げ込んだ。

当然、簡単には打てずに、がっかりする子どももいる。

しかし、それでも「真剣勝負」をするのには、理由がある。工藤監督は野球教室の中で必ず伝えることがある。

「努力を続けることが大事。継続力。それはホークスの選手たちにも君たちと同じことを言っています。諦めずに続けていれば、人は必ず変わることが出来る。諦めることなく、自分の夢を持って、そこに向かって続けていってほしい」

 工藤監督の指導は野球の動作における基礎的な部分。正しい体の使い方。これが出来ていなければ、野球肘などの故障に繋がりやすくなってしまうためだ。

プロと同じ指導。その理由とは?

「投げ方や体の動きは子どもも大人も変わらないでしょう。小学生の時に変な投げ方をしていたのが、プロになって良くなるか…そうはならない。正しい動きを身に着けておくことが大切なんです。極端な話に聞こえるかもしれませんが、小学生にもプロ野球選手にも同じ話をしています」

 初めは出来ない子が多くても、少し時間が経つだけで変化が見られる。あとはいかに自分で続けていけるのか。また「自分がやってきたこと、出来ることを伝える」のが信念だ。

 工藤監督自身が継続力を大切にしてきた。現在でもランニングなどは欠かさず行っている。だから54歳の現在でもなお「打たれない」ボールを投げることが出来る。子どもたちは身をもってその大切さを感じることだろう。

 そして、翌日の28日(日)は熊本県阿蘇市へ足を運び、ここでも野球教室の最後には地元の子どもたちと「1打席の真剣勝負」を行った。

スポーツライター

1978年8月18日生まれ、熊本市出身。法政大学在学時に「スポーツ法政新聞」に所属しマスコミの世界を志す。卒業後、2年半のホークス球団誌編集者を経てフリーに。現在は「Number web」「文春野球」「NewsPicks」にて連載。ホークス球団公式サイトへの寄稿や、デイリースポーツ新聞社特約記者も務める。また、毎年1月には千賀(ソフトバンク)ら数多くのプロ野球選手をはじめソフトボールの上野由岐子投手が参加する「鴻江スポーツアカデミー」合宿の運営サポートをライフワークとしている。2020年は上野投手、菅野投手(巨人)、千賀投手が顔を揃えた。

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