河野和洋が思い描く野球への情熱。「球友」黒田博樹への想い

(写真:アフロ)

こういうことは続けることに意味があるのだと、河野和洋は言っていた。

社会人の硬式野球クラブチーム「千葉熱血MAKING」で選手兼任監督を務める河野は、昨年11月と12月に、栃木県や茨城県などを襲った関東・東北豪雨の被災者を支援するためにチャリティマッチを開催した。

千葉県松戸市を拠点とする熱血MAKINGは茨城県でも練習や試合を頻繁に行う。いつもお世話になっている場所が甚大な被害をこうむった。手助けをしたい。その発想に至るのも必然だった。

河野の活動はこれだけに留まらない。

今年も11月5日にチャリティマッチを行う。今回は、東日本盲導犬協会を盛り上げるためのイベントである。8月の親善試合で対戦した横須賀米軍基地のチーム、ミリタリーベースボールクラブUSA2016を松戸市に招待する。イベント当日は、試合のほか少年野球教室やホームランダービーなどの催しも予定されているという。

「盲導犬1頭を育てるのに500万円かかるんです」

本音を言えば、河野自身、盲導犬に関する知識は深くなかった。今回のイベントにしても、ただ純粋に「野球を通じて手助けをしたい」と、その一心で松戸市に相談したのだ。すると、市から「東日本盲導犬協会への寄付のため、力を貸してほしい」と要請を受けたというのが始まりである。河野が想いを語る。

「盲導犬が必要ない人であれば、知識がなくても生きていけますよね。僕自身がそうでしたから。でも、世の中には必要な方はたくさんいるんです。盲導犬1頭を育てるのにいくらかかるか知っていますか? 500万円以上ですよ、500万! 障害者の方に協会がお渡しできるまで、訓練とか時間をかけますからお金がかかるんです。だから、東日本盲導犬協会さんが提供できる数も多くないんです。そういったお話を協会の方から聞いた時、知識のあるなしじゃなく、絶対にお手伝いしたいと感じましたね」

支援をしたい。言葉で言うのは簡単だ。だが、多くの人間がその一歩を踏み出せず、テレビや新聞、インターネットを通じ、ボランティアなどで汗を流す人たちの姿に触れては自己嫌悪を抱いたりするものだ。

動き出すことはそれなりのパワーがいる。河野だって、ただのノリでチャリティイベントを開催しているわけではない。

河野の言葉に熱がこもる。

「正直に言いますよ。大変です(苦笑)。松戸市にも協力してもらっているんで、打ち合わせや申請書類を作成したり、今回だったら東日本盲導犬協会さんとの連携もしっかりととらなくてはいけませんしね。ほかにも、イベント告知のポスターとかを作らないといけないし、とにかくやることが多いんです。それを、本業である仕事の合間にやるわけですからね、しんどい部分はあますよ。じゃあ、なんで続けるかっていうと「俺たちにしかできない!」と思っているからです。僕たちには野球しかないですけど、野球を通じて盲導犬のことをもっと知ってもらう。寄付に協力してもらう。ひとりでも多くの人に賛同してもらえればうれしいですし、イベントが終わった後には絶対に『やってよかった』と思えますから。原動力はそこですね」

ドラフトで分かれた河野と黒田の野球人生

河野の熱意に触れ、ふと「男気」という言葉が脳裏をよぎった。

そういえば、河野は専修大時代、今季限りでの現役引退を決断した広島の黒田博樹とチームメートだったではないか。

強引な結び付けかもしれないが、そう水を向けると、河野は「いやいや、黒田の『男気』に比べたら僕なんて大したことないですよ」と謙遜しつつ、大学時代を共に過ごした仲間ついて懐かしむように口を開く。

「いやぁ、球は速かったですよ。当時で151キロ投げていましたからね。僕も高校の時にピッチャーをやっていましたけど、黒田のボールを見たらピッチャーを辞めたくなるくなるくらいでしたから(笑)。体の質というか、バネがありましたしね。ピッチャーをやるために生まれてきたような男でしたよ」

大学4年の1996年、黒田とともにプロ注目選手としてドラフト会議を迎えた河野だったが、最後まで自分の名前は呼ばれなかった。その後、社会人チームのヤマハへ進み、アメリカの独立リーグでもプレーした。そして、2008年から千葉熱血MAKINGの選手兼任監督として今も現役を続けている。

その間、黒田は広島でエースにまで成長し、メジャーリーグでも7年間で79勝をマーク。14年オフに年俸20億円という巨額のオファーを断り、古巣復帰を果たしたことで「男気」と称賛された。そして今年、日米通算200勝を達成し現役を引退。背番号「15」は永久欠番となり、球団の歴史にその名を刻んだ。

河野は大投手となった友を「一ファンとして応援していますし、野球選手として尊敬しています」と言い、こう続ける。

「大学時代の黒田は、練習とかでも『これをやる』と決めたら絶対にやり遂げるまでやめませんでしたから。プロで彼がどんなことをやってきたのかは詳しく知りませんけど、ピッチャーとしての能力を極めようと、ただ黙々と続けてきたんだと思います。今は『男気』とか騒がれていますけど、たまたま今の黒田になったわけじゃない。何千、何万回と失敗を繰り返してきても、自分の信じたことをやり通したから今があるんです」

「イベントの開催は自分たちにしかできないことを」

河野は引退を決めた黒田と連絡を取っていないという。ただ「忙しいと思うんで、本当に黒田が落ち着いた頃に、大学の同期で慰労会を開けたらいいな、と思います」と話す。

96年のドラフト会議でふたりの進む道は大きく分かれた。それでも、野球というスポーツで自己証明を続ける――その強い想い、男気は変わることはない。

河野が改めて、自身の活動の意味を述べる。

「学生野球は制約が多いし、プロ野球になるといろんな人が絡むからなかなかイベントをやりづらいと思うんですね。でも、クラブチームは自由に動ける。だから僕たちは、積極的に活動していかないといけないんです。うちのチームの選手たちだって、大勢のお客さんの前で試合をすれば燃えるでしょうしね。そういったことは、自分にしかできないと思っているんですよ」

俺たちには野球がある。河野はそう自分に言い聞かせ、理想のボールパークを築き上げるため、今日も奔走する。