「選ばれる以上は結果を出す!」。侍ジャパン最年長・松田宣浩の想い

3月10日、11日に行われる侍ジャパン対欧州代表の強化試合は、東日本大震災からちょうど4年が経つ日と重なることから、「復興支援マッチ」としても位置づけされている。

そうは言っても、周囲の反応は今ひとつ、というのが現状だ。

昨年のシーズオフに開催された日米野球は、8年ぶりに復活したこともあって、地上波では全試合で生中継された。しかし今回は、第1戦が地上波で2時間程度、第2戦に至ってはBSでの放送である。これだけでも、盛り上がりに欠けるひとつの証左になるだろう。

そこにはもちろん、相手というファクターも少なからず関係している。

ヨーロッパはどちらかといえば野球後進地域であり、欧州代表で日本でも馴染みのある選手といえばオリックスのマエストリくらい。一線級が集結するメジャーリーグ選抜と比べると見劣りしても仕方がない。

侍ジャパンのメンバーにしてもそうだ。

高卒2年目の19歳、楽天・松井裕樹が初選出されるなど、平均年齢25.15歳とフレッシュさを売りにしてはいる。その一方で、ペナントレース開幕を間近に控えた時期ということもあり、広島の前田健太や日本ハムの大谷翔平、ソフトバンクの内川聖一、オリックスの糸井嘉男といった実績のある選手が出場しない。多くのファンが残念がるのは当然である。

だが、これらは外からの一般論でしかない。2年後の第4回WBCを見据えた試合という観点から言うのであれば、侍ジャパンにとっては重要な戦いなのだ。

初めてジャパンのユニフォームを着た感激を忘れない

「選ばれることが大事ですからね。試合をする時期とか関係なく、僕らは侍ジャパンに選ばれて試合に出る以上は、結果を出さないといけないんです」

強化試合を目前に控え、そうはっきりと意思表示をしたのは、今年32歳になる侍ジャパン最年長、ソフトバンクの松田宣浩だ。

松田は常々、「日の丸のユニフォームを着られる喜びを噛み締めながら、常に全力でプレーしていきます」と意気込んでいるように、侍ジャパンへの想いが人一倍強い。

亜細亜大時代に全日本を経験していたが、プロ入りからしばらくは、日本代表のユニフォームを着てグラウンドに立つ自分の姿を想像することができなかった。

第1回WBCが開催された2006年はプロ1年目だったこともあり、「すごいなぁ」と、代表選手を憧れの目で見ているだけだった。08年に当時のキャリアハイである17本塁打をマークし、翌年の第2回大会へ向けアピール。それでも本人は、「いやいや、まだまだ選ばれるなんて思っていなかったですよ」と自嘲気味に話していた。

だからといって、代表入りへの望みを断っていたわけではない。12年、松田は侍ジャパンへの想いを話してくれことがあった。

「2010年くらいから意識はし始めましたね。『30歳になる年やし、ここで1回くらいは出てみたいな』って。今年(12年)は怪我で全試合には出られませんでしたけど、個人的には3割は打てたし最低限の結果は残せたと思うんで、『選んでもらえるかな?』って気持ちはありました」

その期待感は実現した。同年シーズンオフに行われたキューバとの強化試合で侍ジャパン初選出。日の丸が掲げられたユニフォームに初めて袖を通した感激を忘れることはできないと、当時の松田は興奮していた。

「ホークスに入った時にも鏡の前でユニフォームを着てみたんですけど、それと同じくらいに嬉しかったですね。キューバとの試合前もヤフードームの鏡の前でユニフォーム姿を眺めました(笑)。『かっこいいなぁ。似合っているかな?』とか思いながらね。やっぱり、ジャパンのユニフォームを着られるっていうのはすごい栄誉なことだし、責任感ももちろん出てきますよね。日の丸を背負うことによって、それまでの自分以上のパフォーマンスが出せると思うんですよ」

松田は、それを第3回WBCで証明した。

サードのレギュラーとして全試合に出場。日本は準決勝で敗れ3連覇は逃したものの、松田は第2ラウンド第2戦のオランダとの試合で本塁打を放つなど、チーム3位の打率3割3分3厘をマークし、存在感を見せつけた。

小久保監督に「いらない」と言われないためにも全力で

13年に侍ジャパンが常設化され、同年10月には小久保裕紀が監督に就任。17年の第4回大会まで指揮を執ることとなった。野球日本代表では初めての長期政権である。

世間的には今回の強化試合も含め、侍ジャパンのマッチメークについて異論を述べれば切りがないだろう。

だが、選手に言わせれば違う。

むしろ、選手だからこそ、長期政権の意味を重く捉えなければならないのだ。それは松田自身、十分認識している。

「小久保監督は『全ての試合で勝ちに行く』と言っているから、僕らも軽い気持ちでやるわけにはいかないんです。結果を残さんかったらすぐに交代させられる。『あいつ、もういらんわ』って思われてしまったら、それでおしまいだから。ジャパンに選ばれる、試合に出る以上は一打席、ワンプレーをほんと、真剣にやらないといけないんです」

昨年オフの日米野球は、興業的には盛り上がったかもしれない。その一方で、日本がフルメンバーなのに対し、メジャーは出場を辞退する選手が多かった。そういった側面からも、ガチンコ勝負というより親善試合といった印象が強かったのも事実である。

しかし、松田が「(中田)翔なんかは、ものすごく気合が入っていた」と話していたように、周囲は「親善」といった見方でも、チームは「ガチンコ」として戦った。だからこそ、第3戦で日米野球史上初のノーヒットノーランを達成し、トータルの成績でも4勝2敗(親善試合含む)と24年ぶりに勝ち越すことができた。松田自身も、5試合で3割3分3厘、1本塁打、2打点と明確な結果を出すことができたのだ。

「僕は“そっち系”(若手)だと思っているんで」と意気込む

選手にとって無駄な戦いなど1試合たりとも存在しない。

侍ジャパンが常設化されたことによって、アンダー世代がプロの先にフル代表入りという、大きなモチベーションを抱き野球に励むことができる。プロも松田のように、初めてジャパンのユニフォームに袖を通した時の感激、責任感を忘れないために、試合では常に全力でプレーするようになる。

体制、興業としては未熟なのかもしれない。しかし、選手たちにとっては、侍ジャパンの常設化は大きな意義を持つわけだ。

欧州代表との試合では、楽天の松井をはじめとする初選出の若手たちが躍動してくれるだろう。松田だってその気概はある。

メンバーが発表された2月16日、ソフトバンクのキャンプ地・宮崎の気温10度前後と寒かったが、松田は半袖でグラウンドに現れ、力強く宣言した。

「今回も元気を出して。『元気印ここにあり!』と言われるよう頑張ります!」

ソフトバンクでは選手会長。侍ジャパンでもムードメーカーとしてチームを牽引する。そんな松田だが、「最年長」という響きに関しては、いささか抵抗感があるようだ。

「僕も“そっち系”だと思っているんで。若いという意味でね。だから、年齢とか関係なく若さを出していきますよ!」

そう言って、松田はニコッと笑った。

侍ジャパンには、チームと日の丸の重みを誰よりも知る松田がいる。

こんな試合に意味があるのだろうか?

そんな世間の悲観的な声など、強烈なスイングで吹き飛ばす。