外国人選手初の2000本安打。ラミレスの姿勢から学ぶ「日本人」としての在り方

打った瞬間、フェンス直撃の安打に思われた鋭い打球は、失速することなくレフトスタンドへ突き刺さる。

4月6日のヤクルト戦の6回。フルカウントからの10球目だった。

2対3と1点差に詰め寄るその一発は、DeNAのラミレスにとって大きな節目となる1本となった。

通算2000本安打。

ただの2000本安打ではない。2008年に国内FA権を取得し、翌09年から日本人選手扱いとなったとはいえ、彼は外国人として初の偉業を成し遂げたのだ。

日米通算2000本安打を達成した昨年、ラミレスはこう言っていた。

「今まで誰も達成していない外国人選手初の記録をずっと目指してやってきました」

メジャーリーグでわずか86本しか打てなかった選手。

そんなラミレスが日本で大記録を打ち立てられたのには、しっかりとしたバックボーンがあったからに他ならない。

日本をリスペクトする――。

この真摯な想いがなければ、おそらく彼は、来日しては知らぬ間に去っている「元メジャーリーガー」のひとりで終わっていただろう。

メジャー経験のある外国人選手は往々にしてプライドが高い。「メジャーリーグが世界最高峰だ」と信じて疑わず、自らのスタイルを貫き、日本の野球への適応を怠る。

来日してから2年ほど、ラミレスも少なからずその傾向があった。

長打は出るがアッパースイングは矯正されない。01年は29本塁打を放ち最低限の結果を残したものの、打率は2割8分、三振に至っては132。02年は24本塁打と数を減らし、三振は146に増やしてしまうなどどうしても脆さが目立つ。

転機となったのは、当時の指揮官である若松勉からのひと言だった。

「このままでは生き残れないぞ」

その言葉を受け、ラミレスは変わった。

03年からDVDなどで相手投手の傾向を研究するようになった。打撃フォームにしても試行錯誤を繰り返しながらマイナーチェンジを試みる。日本式の野球を吸収することに意欲を燃やしたことで、自身初の3割となる3割3分3厘。40本塁打、124打点の二冠に輝き、三振の数は104と大幅に減った。

球界を代表する打者となったラミレスは、自身の教訓から外国人選手の日本でのあり方を、こう話していたものだ。

「外国人選手というのは往々にしてプライドが高く、1年目あたりだとなかなか意見を聞き入れない選手が多い。謙虚に、多くのものを取り入れようとする姿勢がなければ、日本ではいい成績を残すことができないのです」

野球で結果を出したからといって、長年にわたり日本でプレーできるとは限らない。

言葉の壁。そこから生じるチームとのコミュニケーション、そして生活習慣……。むしろ、異文化に飛び込むことでのギャップに苛まれることが一番怖い。

しかしラミレスは、そのことを早くから理解し、実行へと移す。

「アイーン」「ゲッツ」「ラミちゃんペッ」……。人気芸人の旬ネタや定番ギャグを取り入れたパフォーマンスを毎年のように披露する。日本語習得に励み、チームメートとのコミュニケーションも積極的に行う。

4000打数以上では日本通算打率歴代1位の3割2分、1579安打を記録したレロン・リーは、外国人選手が来日すると決まってこうアドバイスしていたという。

「チームメートに心を開け」

「日本の野球から学ぼうと思え」

「できるだけ街を歩け」

日本でプレーした時代は違えどラミレスは、この「日本で活躍するための鉄則」を肝に銘じながらプレーしてきた。

彼は言った。

「やはりリスペクトが最も重要になってきます。外国人選手は日本語の勉強を率先してしない選手が正直、多い。しかし、心の底から日本という国を尊敬して文化を学び、チームのみんなとコミュニケーションを図っていかなければ、周りから認めてもらうことはできないのです」

日本の野球を理解し、尊敬の念を持ってプレーする。そんなラミレスの真摯な姿勢が、リーグMVP2回、首位打者1回、本塁打王2回、打点王4回を誇る日本球界屈指の強打者にまで成長させ、そして、外国人初の2000本安打という大偉業となって結実したのだ。

当たり前のこと。しかし、当たり前のことを継続する難しさは、どんな分野であっても変わりはない。

ラミレスにはそれができた。

彼が残した足跡は、現在プレーする選手、そして、今後来日してくる外国人たちへの大きな道しるべになる。