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原発の町の助役はなぜ「贈与」を続けたのか?

橘玲作家
(写真:ロイター/アフロ)

関西電力の役員ら20人が、原発の立地する町の元助役(故人)から計3億2000万円にのぼる金品を受領していた問題は、会長・社長ら幹部の大量辞任に発展し、原発再稼働を進める国の戦略を大きく揺るがせています。

「原発とカネ」の話はこれまでもたびたび報じられてきましたが、そのほとんどは巨額の裏金が地元の有力者に流れているというもので、電力会社の現場責任者が利益の一部を下請けにキックバックさせることはあったとしても、町の助役から電力会社の役員に金品が贈られるというのは前代未聞です。

このスキャンダルで奇妙なのは、役員たちにとって助役からの「贈り物」は迷惑以外のなにものでもないことです。常務執行役員と元副社長が商品券や米ドル、金貨、小判など1億円を超える金品を受け取ったとされますが、だとすると残りの役員・幹部は1000万円に満たないお金できびしい批判の矢面に立たされ、会社人としての人生が危機に瀕していることになります。これではまったく割が合いません。

多額の金品を受領した役員は、社内の金庫に保管し、タイミングを見て返そうとしたといいます。ところがそのたびに「俺の顔をつぶすのか」などと激怒され、一つ返せば同じものを二つ持ってくることもあり、「地獄だった」と話す幹部もいます。

この特異な事件から、「贈与とは何か?」を理解することができます。徹底的に社会的な動物である人間は、あらゆる機会を使って自分と相手の「序列」を決めようとします。

お中元やお歳暮では、贈られたものと同じ価値の品物をお返しします。これは、自分と相手が対等であることを確認する儀式です。贈り物をしたのにお返しがないのはもちろん、高価なものをお返しすることも「無礼」と見なされるのはこれが理由でしょう。

この原理を知っていると、贈与によって相手より優位に立つことができます。相手がお返しできないような高価なものを、一方的に贈与してしまえばいいのです。

「返報性」はヒトの本能で、どんなものであれ贈り物をされると、崩れたバランスを取り戻そうとして、無意識のうちにお返し(返報)しようとします。それができないと、一方的に借りをつくったことになって、対等の関係が崩れてしまうのです。

伝統的社会では、この方法で部族同士が無用な戦争を回避しています。誰も死んだり怪我をしたりしたくありませんから、暴力で決着をつけるのは最後の手段で、どちらがより多く贈与できるかで主従関係を決めた方がずっといいのです。

これが極端になったのが北米大陸太平洋岸の先住民族の儀式ポトラッチ(贈与合戦)で、かつては「資本主義に代わる経済」などともてはやされましたが、いまでは白人との交易で大きな富を手にするようになった伝統的社会で、互いの贈与がとめどなくエスカレートしたものだとされています。

このように考えると、元助役がなぜ一方的に多額の贈与をし、それを返そうとすると激怒したかがわかります。元助役にとって、贈与は誰が「主人」であるかを思い知らせる儀式であり、それがわかっていたからこそ、関西電力の役員は「奴隷」の立場から逃れようともがき苦しんだのです。

『週刊プレイボーイ』2019年10月21日発売号 禁・無断転載

作家

作家。1959年生まれ。2002年、国際金融小説『マネーロンダリング』でデビュー。最新刊は『言ってはいけない』。

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