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「イスラームと『イスラム国』は無関係」ってホント?

橘玲作家

クリシェはフランス語で「常套句」「決まり文句」のことです。面倒な問題を考えたくないときや、複雑な話をわかりやすく説明したいときにクリシェは多用されます。誰もが直感的に「なるほど」と思いますが、どこか胡散臭いのがクリシェの特徴です。

ISIS(アイシス/「イスラム国」)の台頭とともにあらゆるメディアに頻繁に登場するようになったクリシェに、「イスラームは平和を愛する宗教で、『イスラム国』とはなんの関係もない」があります。

ISISの所業はきわめて残忍ですから、大多数の穏健なムスリムが「あんな奴らと一緒にされたくない」と憤るのは当然です。しかし「本人(信者)がちがうといっている」というだけでは、「だったらなぜ『イスラム国』なのか」という素朴な疑問にこたえることができません。

イスラーム社会ではウラマーと呼ばれる知識人(法学者)が大きな権威を持っています。ISISやアルカーイダの主張は、ムハンマドの言葉(クルアーン)を引用するウラマー(を名乗る者)によってインターネットで“布教”されています。それに感化されるのはムスリムの若者で、他の宗派や無宗教の人間にはまったく影響力がありません。

テロ組織に身を投じた欧州のムスリムの多くは、移民の中流家庭に生まれ、大学を卒業して仕事や家庭を持つ「同化」の成功例とされていました。最貧困層は生きるのに必死で、政治や宗教にかかわってなどいられません。「正義」について考えたり、アイデンティティで悩むのは、それができる経済的余裕があるからです。

ISISがいかに悪逆非道であっても、彼らは狂人の類ではなく、その行動はクルアーンやハディース(ムハンマドの言行録)、シャリーア(イスラーム法)を根拠に正当化されています。そこに一片の「真実」もないとしたら、欧米で高等教育を受けたムスリムの若者がISISに共感する事実を説明できません。

クルアーンでは、異教徒の侵略でイスラームが危機に瀕している場合、すべてのムスリムにジハード(聖戦)を実践する義務があるとします。7世紀のムハンマドにとってジハードは、生まれたばかりのウンマ(イスラーム共同体)を守るためぜったいに必要な教義でした。しかしその後、政敵を「反イスラーム」と名指ししてジハードを煽る者が続出したため、これはきわめて危険な教えになっていきます。そのため近代のイスラーム社会では、ジハードを命じることができるのは国家だけとされました。

しかしISISは、こうしたジハードの「近代的解釈」を拒否します。彼らにとって、国民国家や民主政はクルアーンに書かれていない異教徒の制度です。アラブの国の多くは部族の長が「国王」を名乗っていますが、ムハンマドは部族支配を打ち破るために剣を取りました。敬虔なムスリムの義務とは、偽りの「国家」からイスラームを救い出すことなのです。

現代のジハード論が欧米の植民地支配に対抗するなかから生まれたイスラームの正統な教えであることは、イスラーム思想のどんな入門書にも書いてあります。その事実を無視し、「イスラームと『イスラム国』は無関係」と繰り返すだけでは、ますますイスラームへの偏見を助長してしまうのです。

参考文献:池内恵『イスラーム国の衝撃』(文春新書)

『週刊プレイボーイ』2015年2月16日発売号

禁・無断転載

作家

作家。1959年生まれ。2002年、国際金融小説『マネーロンダリング』でデビュー。最新刊は『言ってはいけない』。

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