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どこかいかがわしい「3年間抱っこし放題」

橘玲作家

安倍首相は、アベノミクスの第3の矢である「成長戦略」の中核に女性の活躍を挙げ、企業に対して「3年間抱っこし放題」を実現する育児休業の拡充を要請しています。しかしこの方針は、ほんとうに働く女性のためになるのでしょうか。

長期の育児休暇が当たり前になると、会社は「3年間抱っこし放題」してきた女性社員をどこに所属させるか頭を悩ませることになるでしょう。かつての部署のメンバーは大半が異動し、仕事そのものも変わっているかもしれません。これでは中途社員を受け入れるのと同じです。

当の女性社員にしても、3年のブランクは不安の方が大きいでしょう。同僚はその間もずっと研鑽を続けてきたのですからいきなり同じ仕事ができるわけもなく、もしかしたら後輩にすら追い抜かれているかもしれません。

長期の失業が深刻な社会問題になるのは、働かない期間が長くなればなるほど社会復帰が困難になり、生活保護に頼らざるを得なくなるからです。「3年育休」は自ら望んで長期の失業状態になることですから、変化の早い市場で不利にはたらくのは当然です。

欧米では企業が託児所を併設するなどして、出産後半年程度で職場に戻るのが主流になってきています。これなら出産前と同じ仲間と同じ仕事を継続できますから、社会復帰はずっとスムーズです。

ところが日本では、「生まれてから3年間は母親が子どもを世話すべきだ」という子育て論が女性の社会復帰の大きな障害になっています。

核家族というのは、人類史的にはきわめて特殊な家族形態です。日本でも戦前までは大家族での共働きが当たり前で、「3年間抱っこし放題」の家庭などほとんどありませんでした。

ヒトは長い進化の過程のなかで形成されたOS(遺伝的プログラム)に従って成長します。遺伝子の変化はきわめてゆっくりしているので、ヒトの基本OSはいまも石器時代とほとんど変わりません。こうした近年の科学的知見が正しいとするならば、赤ちゃんは石器時代と同じ環境でもっともすこやかに成長できるようプログラムされているはずです。

石器時代の育児環境というのはどのようなものだったのでしょうか。

これには諸説ありますが、狩猟採集で食糧を確保するのに精一杯で、親が子どもの世話をじゅうぶんにできなかったことは間違いないでしょう。そのかわり小さな子どもは、部族のなかの年長の子どもたちが世話をしていました。女の子が人形遊びが好きだったり、赤ん坊が見知らぬ大人を恐れ、年上の子どもについていこうするのはその名残りだと考えられています。

もちろん、石器時代と同じ育児環境を現代に再現することは不可能です。しかしそれでも、よく似た環境のなかで子どもを育てることはできるはずです。それも、とても簡単に。

保育園では、さまざまな年齢の子どもが集まって集団生活しています。赤ん坊は、そうした子ども集団にごく自然に馴染むようプログラムされています。閉鎖的な家庭のなかで、母親と一対一で育つようにはできていないのです。

そう考えれば、耳触りのいい「3年間抱っこし放題」が幸福な家庭を約束するものでないことがわかるでしょう。

『週刊プレイボーイ』2013年7月8日発売号

禁・無断転載

作家

作家。1959年生まれ。2002年、国際金融小説『マネーロンダリング』でデビュー。最新刊は『言ってはいけない』。

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