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日本はいつまで“アジアの先進国”でいられるのだろう?

橘玲作家

インドネシアは赤道をまたいで1万8000もの島々に2億3000万人以上のひとびとが暮らす海洋国家で、公用語はインドネシア語ですが、およそ300もの民族が600ちかい言語を使っています。15世紀までは中国とインドの中継貿易で栄え、無数の王国が興亡を繰り返してきましたが、16世紀にオランダに征服され、それ以来300年間の植民地支配に苦しむことになります。

インドネシア独立は第二次世界大戦後の1949年で、歴史も文化も異なるひとたちが、オランダとの独立戦争をたたかったという経験だけでヴァーチャルな国民(想像の共同体)を生み出しました。とはいえ、多民族社会が近代国家としてのまとまりを維持するためには軍政に頼るしかなく、1968年から30年間、元陸軍司令官のスハルトによる独裁が続きます。

1997年のアジア通貨危機はインドネシアを直撃し、通貨ルピアは暴落し、翌年には激しいインフレが全国で大規模な暴動を引き起こしてスハルト政権は崩壊します。このときは専門家すらも、インドネシアは収拾のつかない混乱のなかでばらばらに解体してしまうだろうと予想しました。

ところがその後、インドネシアの政治は大きく生まれ変わります。危機から6年後の2004年、史上初の大統領直接選挙でユドヨノが当選し、市民によって選ばれた指導者が国を率いる民主国家として再出発することになったのです。

ユドヨノは陸軍士官学校を主席で卒業した秀才で、アメリカの大学に留学してMBA(経営学修士)を取得した後、軍内の改革派として頭角を現わし、スハルトの退陣に尽力したことで入閣を果たします。大統領に就任してからは、北スマトラ島アチェの独立闘争を和平に導いて、国民の大きな支持を獲得しました。

ユドヨノの統治期間中(2009年に再選されたため、その統治は2014年まで続く)に、インドネシアは市場主義的改革によって年率6%を超える安定した経済成長を達成しました。このとき側近としてユドヨノを支えたのが、欧米の大学で経済学博士号を取得した経済テクノクラートたちです。とりわけスリ・ムルヤニは、スマトラ島沖大地震・津波の救援活動に陣頭指揮をとり、燃料費大幅値上げに伴う貧困世帯への補償金支給の混乱を収拾するなど、卓越した行政手腕で4年半にわたって大蔵大臣を務め、イギリスの経済誌によって「アジア新興国最高の財務大臣」に選ばれました。

ムルヤニは1962年生まれで、ユドヨノ政権に入閣した時は42歳でした。米イリノイ大学で財政学を専攻し、博士号を取得した女性です。日本では、財務省や経産省の大臣はもちろん、経済官僚ですら経済学の博士号などほとんど持っていません。

私たちはこれまでずっと、アメリカやイギリスのデモクラシーを仰ぎ見ながら、日本の政治を批判したり絶望したりしてきました。アジアの、それもインドネシアの政治など、前近代的な独裁制の変種として一顧だにしてきませんでした。

しかし、日本などよりはるかに困難な条件から、内乱や紛争を起こさずに短期間で民主化と経済成長を成し遂げたインドネシアのエリートたちを見ていると、日本はいつまで“アジアの先進国”でいられるのか、一抹の不安を覚えずにはいられないのです。

参考文献:佐藤百合『経済大国インドネシア』

『週刊プレイボーイ』2012年12月10日発売号

禁・無断転載

作家

作家。1959年生まれ。2002年、国際金融小説『マネーロンダリング』でデビュー。最新刊は『言ってはいけない』。

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