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愛国はめんどくさい

橘玲作家

竹島と尖閣諸島の領有権問題が、暑い夏をさらに不愉快にしています。

領有権というのは、「なわばり」のことです。この問題がやっかいなのは、ヒトのOSが「なわばりを侵されたら激昂せよ」とあらかじめプログラミングされているからです。

なわばりによって自分と家族の生存領域を確保するのは、哺乳類だけでなく、昆虫や爬虫類、両生類、魚類、鳥類にも共通する進化の大原則です。このプログラムは生き物が子孫を残すのにものすごく有効な戦略だったので、なわばりを守れないような個体は淘汰されて進化の歴史から消えてしまったのです。

しかし、たんになわばりを閉じこもっているだけでは遺伝子は途絶えてしまいます。メスは、相手のなわばりにいるからです。こうして進化という巧緻なプログラマーは、「相手のなわばりを侵せ」という命令を書き加えました。私たちは生まれながらにして、自分のものを守り、相手のものを奪うよう「設計」されています。

尖閣諸島に香港人の活動家らが不法上陸すると、日本人は無条件に怒りの感情が湧いてきます。同様に、都議や県議を含む日本人が尖閣諸島に無許可で上陸すると、中国の反日デモに火がつきます。これは無意識の衝動なので、歴史的経緯をどれほど説明しても双方が納得することはあり得ません。

そもそもヒトは、相手(中国人や日本人)が間違った行動をとったから怒りを感じるわけではありません。因果関係はこの逆で、まず衝動的な怒りがあり、その感情を正当化するために、「悪いのは奴らだ」という理屈が“理性によって”構築されるのです。このことから、なわばり問題では対話はなんの役にも立たず、火に油を注ぐだけなのがわかります。

生物の進化とともに育ったなわばり感情はものすごく強力なので、手っ取り早く大衆の支持を獲得したいときにしばしば利用されます。李明博大統領は、次期大統領選を年末に控え、選挙参謀でもあった実兄が贈収賄罪で逮捕されて窮地に陥っていました。失うものがなければ、「竹島上陸」というギャンブルに打って出る決断はさして難しいものではなかったでしょう。だがこれは典型的な“なわばりプロパガンダ”で、一時的には支持率は上がるかもしれませんが、ひとたび一線を越えると退けなくなる強い副作用を持っています。李大統領が天皇への謝罪要求にまで“暴走”したのも、愛国のボルテージを上げ続けるしかなくなったからでしょう。

尖閣に上陸した香港の活動家はテレビ局のカメラマンを同行させており、宣伝と資金目当てなのは明らかです。しかしそれでも、日本の領土を侵犯する以上、逮捕・拘禁は覚悟していたでしょう。いっぽう、無許可で尖閣に上陸した日本の都議や県議にはなんのリスクもなく、その行動は売名以外のなにものでもありません。

国家が存在する以上、領土問題は原理的に解決不可能ですから、私たちはそれを慎重に扱わなければなりません。しかし困ったことにいずれの国も、衝動を正義と勘違いする自称「愛国者」と、それを売名に利用しようとする政治家が溢れているのです。

PS:エントリのタイトルは、まついなつきの『愛はめんどくさい』からの借用です。

『週刊プレイボーイ』2012年9月3日発売号

禁・無断転載

作家

作家。1959年生まれ。2002年、国際金融小説『マネーロンダリング』でデビュー。最新刊は『言ってはいけない』。

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