昭和の男のたしなみ「飲む・打つ・買う」が平成に流行らない理由

昭和の男の娯楽「飲む・打つ・買う」はなぜ平成の時代に流行らないのか(写真:アフロ)

「飲む・打つ・買う」という生き方は2010年代にはほとんど若い世代には受けていない

先日、「昭和の飲む・打つ・買う」というお題をテーマにしたトークショーに行ってきました。JR神田駅の高架下にある居酒屋が会場という異色のトークショーで、お酒を飲みつつ楽しい時間を過ごしました。

自分も講演やトークをよく行う側なので、トークの内容を聞いていると、ついつい口を挟んで意見を述べたくなってしまいます。この場は「一参加者」ですから、口はつぐんで登壇された藤木TDCさん、フリート横田さん、渡辺豪さんのお話を聞かせていただきました(お三方の関わっている書籍はどれも面白いので興味があるかたはぜひお買い求めを!)。

しかし、帰宅してからやっぱり自分もこのテーマについてコメントしたくなってきました。そこで、ファイナンシャルプランナーとしてこの件について語ってみようと思います。

まず「飲む・打つ・買う」の言葉の意味ですが、「飲む」はお酒を中心とした飲食業、「打つ」は公営ギャンブルとそれに隣接したパチンコ等のギャンブル的娯楽、そして「買う」は性風俗産業とします。しかし、いずれも昭和の頃のような隆盛はもはやないようです。

「打つ」つまり公営ギャンブルやこれに準じたパチンコ等の娯楽はおおむね市場規模が縮小しているといわれます。JRAとそれ以外の公営ギャンブル(競艇、オートレース、競輪、地方競馬)の合計が割と近いようですが、JRAはピーク時から40%以上規模が縮小しているそうです。経済産業省の資料をみても、競輪とオートレースの市場規模はこの10年で縮小しています。パチンコについてもピーク時の3分の2くらいには減少しているようで、検索すると倒産のニュースばかりがヒットします。

「飲む」については一般社団法人日本フードサービス協会の資料で居酒屋、バー、料亭等の規模を見る限り、やはりピーク時から20%くらい下がっているようです。

「買う」についてはその性格上、市場規模推移のデータがなかなか見当たらないのですが、これが拡大していると裏付けるデータもまた見当たらない感じです。

いずれも戦後から昭和年間を通じ「男の娯楽」として大きな産業でしたが、今では若い世代の歓心を買うものとはいえません。競馬もパチンコもユーザーの減少と高齢化が指摘されています。

でも、なぜそうなってしまったのか考えてみると「コスパ」や「将来の不安」、「将来に向けた備え」という意識はそれなりに影響を及ぼしているものと思います。

「コスパ」が著しく低下した昭和型娯楽産業

トークショーで出ていた指摘として、「景気の低迷」「インターネット(特にブロードバンド)の普及に伴う娯楽の多様化」と「上司が部下と連れ立っていき酒をおごるような関係性の消失」があげられていたのですが、これについては私も同意です。

特に、「娯楽の多様化」については「趣味の低コスト化」と言い換えることもできると思います。ネットの普及により、時間をつぶしたり娯楽を消費する費用は大きく下がりました。

平日は毎日居酒屋で3000円飲んでいると、月6万円は飲み代にかかります(平日が月20日とする)。ギャンブルに月8日(週末土日が4回とする)通い毎日1万円落とせば月8万円、毎日2万円使えば月16万円です。風俗産業にいくら落とすかは難しいところですが、月に一度、たった数時間のために数万円は消えていくことになるでしょう。結構大きな金額です。

そう考えると「SNSやネットウォッチだけなら基本的に無料(通信費のみ)」ですし「スマホゲームのガチャに月3万円」もこれに比べれば実は大きな費用ではありません。

昭和型娯楽産業ともいえる「飲む・打つ・買う」は、マネープラン目線で言い換えると「高コストな娯楽」であったわけです(本人たちは安い娯楽と思っていたかもしれないが)。

一時期ネットでキャバクラが流行らないというニュースがネタになりましたが、話が合うとも限らない女性を隣に座らせてお酒を飲み、自分のペースでカラオケも歌えない数時間は、若者にとってはコスパすら存在していない消費ともいえます。

そしてその割高感が明らかになると自ずとその利用が減少していくことになる、といえるのかもしれません。

「家庭」と「女性が働く」は男性的娯楽産業を衰退させる一因にもなっている

もうひとつ私が感じたのは、女性が共働きをする、つまり家計の担い手として男性に近い「稼ぐ力」を身につけるようになった時代の変化と、イクメンに代表される男性も家事育児を担う時代の変化が「男性的娯楽産業」にはダメージを与えたのであろうということです。

まず、「夫が全部の稼ぎを握っている」という専業主婦世帯の時代には、「生活費を妻に渡す」ということで夫は好きに自由な予算を設定し遊興消費を行うことが可能でした。

主たる稼ぎ手は家庭内で強い発言権を持てるので、文句を言われても「うるさい!黙ってついてこい!」のような言説が成り立ちます。

しかし、今や共働き世帯が専業主婦世帯の2倍存在する時代です。夫婦がそれぞれ「給与」をもらう時代には男性はむしろ女性に家計を支配されがちです(日常生活費をもっぱら支払うほうが家計の主導権を握りやすい)。かくて自由な予算は男性の懐から消えていきます。

また、共働きで女性も働くということは、男性も家事や育児を相応のシェアをしなければいけないということでもあります。イクメンというのはそういう時代の趨勢であり、これは不可避でしょう。

男性が「帰宅時間は連絡なしが当然」「終電で帰りたければ帰ればいい」とやっていた時代には男性的娯楽産業に、その日のノリや流れで適当にカネを落として時間を費やしてもいいわけですが、「今週は○曜日はオレがワンオペ担当」とか「帰宅したら夫は必ず皿洗い」というような時代には気まぐれの出費があまり成り立たなくなってきます。

男性と女性が同格となって働き、また家事育児に携わる時代に「飲む・打つ・買う」が衰退(特に「買う」は、性を産業化している問題もあるので衰退は避けようがない)していくことは当然の成り行きなのでしょう。

「未来の不安」「将来への計画」があるほど、人は刹那的消費から遠ざかっていく

そして最後にもうひとつ、マネープラン的に考えると大きな時代の変化があるように思います。それは、「宵越しの銭は持たない」という感覚に違和感を感じる人が増え、「飲む・打つ・買う」からは自然に遠ざかっていくことになった、というものです。

「飲む・打つ・買う」は江戸っ子的感覚と親和性が高く、財布にたくさんあればたくさん使ってしまえばいい、という形で遊興消費が行われがちです。今月の遊興費は3万4000円以内、と決めて遊ぶ人はあまりいないはずです。

しかし、少しでもお金の計画を立てた場合、それは「宵越しの銭は持たない」ではなく、「今のお金をちょっと先のために残しておく」ということを意味します。

引っ越し資金、結婚資金、車の購入資金、住宅購入資金、子どもの学費など、全額をローンにすると苦労するので、できるだけ「貯金をして購入予算とする」ことが重要です。

郵便貯金の始まりと貯蓄奨励の国策は明治初期にさかのぼりますから、ここで述べてきた「昭和と平成」の消費ギャップとは無関係ですが、ここ10年ほど顕著になった国民の老後不安の高まりなどは「宵越しの銭は持たない」から「将来に向けて備える」方向にシフトさせ、また「飲む・打つ・買う」に代表される刹那的消費行動から人を遠ざけることになってしまったのかもしれません。

まあ、「打つ」については経済合理的にはまったく効率的ではありません(胴元が取る寺銭がもっとも儲かり、利用者全体の平均利回りはかならずマイナスになる。自分を過信することでしか、その儲けの可能性を正当化できない)。これもまた消費者が賢くなれば衰微するのも当然ということになります。

「昭和」のおもかげは「平成10年」をピークに消えていった

ところで、「昭和」とここまで繰り返してきましたが、実際には男性的娯楽産業のピークは1998年(平成10年)くらいのようです。JRAの売り上げのピークは1997年で、他の産業の推移もこの前後から下降傾向になるようです。先に紹介したバーや居酒屋の売り上げ規模も1992年がピークですが1998年あたりから一気に失速します。

これは共働き夫婦と専業主婦世帯の逆転ともほぼ一致します。平成に入って共働きと専業主婦世帯はほぼ同率になりましたが、1997年以降、明らかに共働きの夫婦のほうが多くなりました。

また、バブルの崩壊を社会が認めた時期とも一致するようです(就職氷河期はおおむね1994年ないし1995年から始まる)。考えてみると、パソコンとインターネットが家庭においても実用的になったのは、Windows98前後ですから、娯楽の多様化、低価格化という流れにもまた符合します。

昭和的産業は平成に入って10年ほど最後の「華」を咲かせ、ゆっくりと衰退していったといえそうです。もちろん、昭和の残滓は今でも残っています。廃業されて今は風情だけを残すかつての遊郭の建物、歴史のある居酒屋に今もたたずむ名物親父、公営ギャンブル場内外の雑然とした雰囲気などは、まちあるきの楽しみの一部として今では男女ともに楽しめるものとなっています。しかし、時代の変化とともにいずれは消えていくことになるでしょう。

私もまちあるき大好き人間なので、こういう「昭和レトロ」の雰囲気を楽しみ、歴史に思い巡らせることは楽しみのひとつです。平成が終わろうとしている今、あなたも昭和の残像をたどってみてはどうでしょうか。

そして、無計画なお金の感覚(と男女差別的価値観)についてはそこから学んではいけない、ということは、心の中で感じてみてほしいと思います。あなたがまともな人生を歩んでいきたいのであれば、平成の時代に「宵越しの銭は持たない」というわけにはいかないのです。

(↑最後の一言は、ファイナンシャルプランナーとして言っておかないといけないお節介で、粋ではありませんがあしからず)