黒島結菜・川口春奈・上白石萌音の三姉妹が登場した『ちむどんどん』。

暢子(黒島結菜)が東京に向かったことで、第5週までの沖縄編が完結した。

ドラマが描いたのは、1964年と1971年から翌年5月15日の本土復帰の日まで。貧しくともひたむきに生きる家族が素晴らしい等の評価もあるが、本土復帰の頃の沖縄を舞台にしながら、大切な要素が欠落していたという厳しい声も少なくない。

特に第3~5週は、沖縄が本土復帰に揺れた1年だ。

暢子と歌子(上白石萌音)は高校生で、長女の良子(川口春奈)は学校の先生だった。その当時、沖縄の高校生や教師たちは、本土復帰をめぐって大きく揺れていた。その時代状況を完全に無視して、「美しい家族と、ふるさとの物語」(NHKの制作発表ホームページから)は本当に成立するのか。

期待はずれだったと受け止めた人々の声を追った。

『ちむどんどん』への期待

ドラマは虚構ゆえ、どう描こうと自由だ。

何を捨て、どこをクローズアップするか、良い作品を作るために制作陣は最善を尽くす。ただし今回の朝ドラは、沖縄本土復帰50年のタイミングで放送されている。視聴者は当然、そのことを視野に入れて物語と向き合う。

しかしSNSへのつぶやきを見る限り、期待はずれだったという声はことのほか多い。

「沖縄返還までサクッと済ませちゃうってどうなの?」

「庶民の目から見た沖縄返還を見たかったです、政治的な意味じゃなくて、、、」

「本土では分からない沖縄独自の感覚や土地の人々の想いを朝ドラから少しは感じ取れるかと期待した私がバカでした」

「沖縄返還50年だからこそのこの朝ドラだと思ってたんだけど。せっかくだから歴史や暮らし、なによりも沖縄の人たちの思いみたいのを描いてほしかったな。朝ドラにはそういう役目もあると思っていたので」

離脱者続出

ドラマならではの本土復帰の描写を期待した人は少なくない。

ところがSNSの声にある通り、そうした状況、ウチナンチューの想いや時代の雰囲気は全く描かれなかった。暢子の乗るバスに横断幕が貼り付けられ、記念式典の資料映像が登場しただけだった。

「沖縄返還の映像が、まさかの “日本国バンザーイ”って…なにこの演出」

「沖縄・返還前・本土復帰の記号の消費。制作が言う“日本中のどこにでもあるような話”で済ませていいの?」

「忘れてはいけない歴史の部分をおろそかにするのはNHKの看板に関わると思う」

厳しい声を裏付けるように、ドラマの視聴率は下落傾向だった。

スイッチメディアは特定層別の個人視聴率も測定しているが、これによれば個人視聴率全体がまず下がっている。中でも35歳以上で傾向は顕著で、特に当時をニュースなどで身近に感じていた65歳以上の女性は物語から離脱する一途となっている。

朝ドラ視聴者の最も大きなボリューム層ゆえ、個人視聴率下落に大きく影響している。

ところが若年層はそうでもない。

F1(女性20~34歳)はそこそこ増えているし、女子高生に至っては初回より第5週にかけて1.8倍以上に増えている。同世代にスポットがあたり、しかも人気のある黒島結菜・川口春奈・上白石萌音が活躍する物語ゆえに反応している。

ただし同世代は、沖縄本土復帰をよく知らない。

SNSには「ドラマの役割」を指摘した声があったが、若い世代に「重要な歴史」や「沖縄という地域理解」をしてもらう絶好のチャンスを『ちむどんどん』は逃したと思えてならない。

やんばるへの誤解

しかもドラマには、残念ポイントが2つあった。

沖縄への誤解をもたらした点と、沖縄の人々(ウチナンチュー)に失望を与えた点だ。

「返還当日なのに、やんばる地方はいつもと変わらないんだな。那覇だったら報道陣とかすごいんだろうな」

「返還前後の、内地との違いとかアメリカ世だった様子とか、そういった考証をあんまりしたくなくて都市部から一番離れたやんばるを舞台にしたとしか思えん」

「やんばるの人は返還を思う事もなく何もなかったかのように過ごしていたのかな?」

山原(やんばる)とは沖縄本島の北部地域。

行政地域としては、おおむね名護市および国頭郡に属す町村を指す。確かに山や森林が多く残り世界自然遺産にも登録されているが、復帰当時はドラマが描き視聴者が受け取ったような“復帰と無縁の地域”ではない。

そもそも今も米海兵隊北部訓練場がある。

ドラマが描いた1971年は、国頭村で伊部岳闘争が起こった直後だ。米軍は訓練場内に実弾射撃訓練場を設置しようとしたが、住民は小中高生から高齢者までが参加して座り込みなどの抗議活動をし、阻止を実現している。

復帰を巡っては、山原も揺れに揺れていた。

北部辺戸岬は、日本に一番近いところで、与論島まで22キロほどしかない。祖国復帰を願いウチナンチューは岬の広場で集会を開いていた。

一足先に本土復帰を果たしていた奄美の人々も参加していた。高い給料を求めて米軍基地で働く人も多かったからである。

ドラマでは、学校の先生・良子は沖縄の将来を考える勉強会に参加している。

あの当時20代独身の女性教師の多くは、沖教組の要請で復帰デモへ盛んに参加した。70年5月には、女子高生刺傷事件をきっかけに抗議の県民大会が開かれた。教師や高校生は「基本的人権を謳った日本国憲法に期待」した。

同年11月には、本土復帰はされるものの基地の全面撤去を求める声が頂点に達し、ゼネスト総決起大会も開かれた。

そんな騒然とした中、三姉妹は全くの別世界にいられたのか。

「少なくとも辺地の山原はそんな地域で、きれいな海や山に囲まれ、暢子は悩みながらもスクスク育ちました」では、沖縄や山原への誤解を拡大させる一方ではないだろうか。

当時独身の女性教員として運動に参加していた方は、「こんな描かれ方は悔しい」と証言している。

ウチナンチューの失望

社会状況の描き方以外にも、首を傾げざるを得ない場面が多々あった。

その一つが、当時の沖縄を過度に貧しく描いている点だ。

実は本土復帰前の沖縄は、ドラマが描くほど貧しくない。良くも悪くも米軍の影響で、食生活では軍からポーク缶などが大量に出回り、あんなにフーばかりのフ―チャンプルを食べていなかったという。

長女の良子は教師だった。

1970年頃、都市部のサラリーマンの月給は平均11~12万円ほどだが、沖縄の20代女性教師は150ドル前後をもらっていた。360円換算だと、5万4000円ほどだ。

母(仲間由紀恵)や二―二―の賢秀(竜星涼)も、山原にもあった米軍基地関係で働けば、それ以上の収入になったはずだ。継接ぎだらけ服を着ている人は、物を大切にするオバアを除けば滅多に見かけなかったという。

ドラマには沖縄に対する上から目線すら感じるという。

「沖縄はそんな地域」というステレオタイプであり、そこに透けて見える蔑視である。当時を知るウチナンチューの中には、「沖縄の話だから気になるが、積極的に見たいと思わない」という人が少なくなかった。

名作ドラマには3つの条件がある。

娯楽性・時代性・普遍性だ。「ちむどんどん」は復帰50年というタイミングで時代性を満たしたつもりなのだろう。また不必要なドタバタを演じた下地先生(片桐はいり)など、個性的なキャストを並べることで、娯楽性も十分と考えたのだろう。

ただし決定的に足りないのは、普遍性ではないだろうか。

「忘れてはいけない歴史」をおろそかにし、ドキュメンタリーでは描き得ない「沖縄の人たちの思い」を無視したのでは、「美しい家族と、ふるさとの物語」をどう描こうと空々しさが残り、存分に感動できない。

歴史や政治を大々的に描けとは言わない。

少なくとも当時の時代状況をうまく取り込んで、そこを前提に物語を展開すれば、受け取り方は大きく違ったのではないだろうか。

いずれにしても視聴者はバカじゃない。

SNSの声には、この辺りの本質を突いた鋭い意見が散見される。

「当時の沖縄のリアルをドラマに1ミリも落とし込む力も覚悟もないなら、舞台を返還前後の沖縄にしなきゃ良かったのよ」

「“全略しました!”って制作側の声が聞こえる」

「(沖縄編の)流れで悲しいけど期待は全部なくなった。何も考えずに見てって制作側から受け取った感じ」

「他番組でやってる沖縄返還番組キャンペーンをすべて台無しにするちむどんどんサァ」

ドラマに意味があったとすれば、描き方に対する疑問を、ウチナンチューやヤマトンチューにかかわらず、同じように感じ取っていた人が少なくなかったと確認できた点だろうか。

安易な表現の危うさを“ちむ”に銘じた機会を得たと思うことにしよう。