ドラマ『パラレル東京』の明と暗~“面白い”Nスペの効果と落とし穴~

阪神淡路大震災(1995年1月17日)の映像(写真:Fujifotos/アフロ)

今月上旬、NNKが総力をあげて8日連続で放送した『体感 首都直下地震ウィーク』。

その中の4日間は、『パラレル東京』と題したドラマが放送され、多くの人が注目した。視聴データでも、ドキュメンタリー中心のNHKスペシャルより、明らかに効果が出ていたことが確認できる。

ただしドラマタイズで衝撃と臨場感を映像に付与し、人の感情を動かす番組にしたことで、面白い表現が出来た一方、どう描いたかで作り手の見識が問われる局面もあった。

いわば“面白さ”の効能と落とし穴が浮かび上がっていたと筆者はみる。

虚構と現実がシンクロしたドラマ

『パラレル東京』は、12月2日午後4時4分、マグニチュード7.3の首都直下地震が発した想定で始まった。

架空のテレビ局のニュースチームが、発災から4日間(96時間)をどう報道したのかが描かれた。

内閣府公表の被害想定をベースに、最新の研究成果を加えて映像化。被災した東京が、VFXを駆使して極めてリアルに描かれた。

被災状況は放送時間とシンクロされ、ほぼリアルタイムに展開した。

最初のドラマは「DAY1 あなたを襲う震度7の衝撃」。発災からの数時間が取り上げられた。その後「DAY2 多発する未知の脅威」「DAY3 命の瀬戸際 新たな危機」「DAY4 危機を生き抜くために」と、時々刻々の状況が取り上げられた。

30年以内に70%の確率で起きるとされる大地震。

現実とシンクロした虚構の追体験で、防災減災の必要性を「自分のこと」として視聴者にとらえてもらおうという企画だった。

ドラマ化のプラスの側面

全8回の世帯視聴率は6.0~9.9%。

数字だけ見ると、放送が成功だったのか否かわかり難い。各回の放送開始時間が、視聴率が比較的高い夜7時30分からの回もあれば、夜9時や、数字の低い夜10時スタートの回もあったからだ。

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ただし各回を、前4週の同時間平均と比較すると、新たな視聴者をどれだけ集めたかが見える。

これによると、ドラマ初日は0.5%増、2日目1.7%増、3日目1.9%増、ドラマ最終日は2.9%増。一方ドラマのない他4日のうち3日は、前4週より低くなっている。特にドラマが終わった次の日は4.7%も減っていた。

公共放送にはドラマなどの娯楽は要らないという意見をよく聞く。

ところが英国の公共放送BBCは、「娯楽は大切な情報を見てもらうために必要」と、いわば“撒き餌”論を展開している。今回のシリーズ8日間の見られ方を見る限り、ドラマが撒き餌として多くの人を惹きつけていたことは間違いないようだ。

人々を釘付けにするドラマの力

番組の放送中に、視聴者が見るのをやめたり、途中から見始めたりの流入・流出を簡単に集計できるインテージ「Media Gauge」のデータでも、ドラマの威力は確認できる。

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関東地区約50万台のネット接続テレビの視聴ログでは、番組5分前後以降から30分ほど続くドラマ部分で、接触率はほとんど動かなかった。

ところがドラマが終わりスタジオとなる35分前後からは、数字は明らかに下がってしまった。

またドラマがない他4回の平均では、10分過ぎから接触率は後退した。結果としてドラマ回の平均と比べると、1割近く低い接触率になっていた。

如何にドラマが、人々を番組に釘付けにしているかがわかる。

視聴者が番組を見るのをやめる流出率のデータでも、同様のことが確認できる。

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ドラマ回の平均は、ドラマのない回の平均より、明らかに流出が少ない。ところがドラマが終わった後に、どっと流出者が急増した。

ドラマだけ見たいが、スタジオでのやりとりには興味のない人が一定数いることが浮かび上がる。

やはりドラマは、撒き餌として十分な効果があると言えよう。

ドラマへの評価

ドラマ『パラレル東京』への評価は、「DAY1」の放送からSNS上にたくさんあげられた。

「怖すぎた。全部観てしまった」

「めちゃくちゃ怖かった・・・でもすごい考えさせられる」

「リアルすぎて子供に見せられない!?」

「凄いリアリティあった」

まずはVFXを駆使してリアルに描かれたシーンの数々に対する評価が際立った。視聴者の感情を、震度7級の衝撃で揺さぶったことは間違いないようだ。

同時に番組の狙いも伝わっていたことが、つぶやきから見て取れる

「目を背けたくなるショッキングな映像だけど、今、みんなで本気で想像するには観た方がいいと思う」

「これ、東京のことだと思ってちゃダメ。パラレル東京はココかもしれないんだから。あなたが住んでるのは、わたしが住んでるのは、災害のデパート・ニッポンだから」

「後半はマスコミのあるべき姿や、自己批判のような内容で、NHKの良心を見た思い」

さらに公共放送NHKを再評価するような声も少なくなかった。

「NHKの本気を感じる…」

「良い番組。NHKでしか出来ない番組編成だ」

「再現ドラマ見て、やっぱこういう事ができるのがNHKなんだなぁとなった」

「NHKは嫌いだけど、今日から始まったNスペのパラレル東京は半端なかった」

ドラマへの批判

一見評価の大合唱だが、同時にドラマの細部を見逃さず、ドラマ化を懐疑的に見る視聴者も少なくない。

「ドラマ部分のリアリティが全然感じられなかった。NHKならアナウンサーが得られた情報を淡々と放送してるはず」

「NHKをモデルとして作った方がよかったのでは。ヘルメットすらしないキャスターに違和感」

「実際は色んなことが否応なしに同時平行で起きて現場は大混乱、感傷的になる余裕などないだろう」

ドラマは登場人物の想いや感情を、デフォルメして表現することがある。見る側にとって、分かりやすさや共感につながるからだ。

ただし今回は、首都直下地震が起きた後の、“群衆雪崩”“デマによる将棋倒し”“避難勧告を無視した帰宅”などを注意喚起する要素が大きい。

そして何より、大地震が起こった際の覚悟と準備をしてもらおうという意図が前提だ。家族でどう行動するか、事前に話し合ってもらうなどを期待してのドラマ化だ。

だとすると、事態の深刻さ、群集心理の怖さ、「自分は大丈夫」と考える正常性バイアスなどの注意喚起と、登場人物が事態に一喜一憂し、感情が公私両面に振れるなどの展開は如何だろうか。面白さはあるものの、見る側の意識を散漫にさせてしまう欠点がある。

しかもスポンサーとの関係や、権力との距離の問題までまぶすと、テーマは大きく拡散し、何を目的にドラマが作られているのか、余計な揣摩臆測を視聴者にさせてしまう。

「プロデューサーの知り合いのスポンサーの娘を中継で番組に出すというストーリー、必要だったか?民放はスポンサーに忖度しなきゃならないよねっていう当てこすり、必要なかったよな?」

「プロデューサーが忖度し、政府要人の現地視察を伝えよと命じている。ドラマとは言え『こんなシーンは止めとけ』はなかったのかね」

「報道側の放送倫理とか、スポンサーとの癒着とか、何だかメディア側の話で、被災者の視点ではない気がする」

「何気に民放批判ぶっこむ」

もしかしたら制作陣は、テレビ局の裏側にあるかも知れない大人の事情を入れることで、「ドラマが面白くなる」と無邪気に考えただけかも知れない。

しかしSNSが普及した現代、露骨にスポンサーの圧力で放送内容が捻じ曲げられれば、高い確率で露見する。特に民放の現場は、外部プロダクションの人間が多い。不正を隠蔽するのは困難と、まともな現場は理解している。

かつて筑紫哲也は、TBSビデオ問題で「TBSは今日、死んだに等しい」と述べた。スポンサーと民放ニュースの癒着は、その事件に匹敵する程の大問題で、今の時代のダメージは当時以上に致命的だろう。

“面白くする”誘惑にかられて、首都直下地震の対応を訴えるドラマに不可欠な要素だったとは思えない。

「面白さ」か? 「脇を固める」か?

筆者にも苦い経験がある。

95年に製造物責任をテーマにしたNスペを制作した時のことである。放送直前にNスペ事務局長に試写をしてもらった際、突然彼は怒りだし、「私はこの番組を認めない」と言い出した。

驚いた筆者は、事の顛末を説明し直した。

ところが事務局長は、「勝手にしろ」と言って、退席してしまった。実は彼が問題にしたのは、2か所の編集の仕方で、Nスペ事務局から派遣されたプロデューサーの助言でつなぎ直した場所だった。

「なるほど、人によって番組の見方はこんなに違うものか」と驚いた瞬間だった。

「それにしても上の指示に従っただけなのに、こんなに翻弄されるのは溜まったものではない」というのが正直な気持ちだった。

後に事務局長は、「面白さ」と「脇を固める」ことのバランスを説明してくれた。

筆者の理解を大げさに言えば、一般企業の商品やサービスの「利益」と「安全性」の関係に近い。要するに、「面白さを追い求めるために、脇の甘い危険なことをする必要はない」という趣旨だった。

その感性や判断が、なかなか浸透しない現場に対する怒りだったと記憶している。

この伝で言えば、ドラマ『パラレル東京』には、面白さを追求するあまり危うい箇所が複数ある。

・舞台を民放の報道センターにする必要はあったのか?

・そこで起こる葛藤の数々が、首都直下地震の番組メッセージとどう関連するのか。

・ネットと放送での情報の信ぴょう性は、テクノロジーが進化を続ける現時点で適切か。

・スポンサーの要求で、報道内容が変更されるシーンは必要だったのか?

・政府要人への忖度を描くのなら、NHKの報道は蚊帳の外でいられるのか?

特に最後の問題は、NHKにも幾つもの課題があったことを無視して良いものなのか。

歴代のNHK会長の中には、「政府が右ということを左というわけにはいかない」と発言した人がいた。

金融機関の不正問題で、会長を厳重注意とした経営委員会があった。これを受けて、安易に謝罪することを選んだ会長もいた。

さらに改元特番や即位パレード中継で、解説する記者の政権との距離も疑われた。

とても大切な問題を、踏み込んで描いた番組だっただけに、自分たちを安全圏に置いた表現は、やはり気になる。

視聴者に「自分ごと」として受け止めてもらいたいのなら、放送する側も「自分ごと」を棚上げしてはいけない時代になった。

放送とネットが近接した今、それが放送に求められる節度と姿勢だと考える。