“盤石崩壊”と“トライアル”の時代~バラエティと音楽番組の平成30年間~

(ペイレスイメージズ/アフロ)

平成の30年間は、それまで圧倒的だった番組が後退し、新たな試みが次々と出てきた時代だった。

その象徴が、バラエティと音楽番組だ。

バラエティでは、“芸人によるお笑い”が後退し、ドキュメント・バラエティなど新たなジャンルが登場した。

音楽番組では、紅白やランキング番組が数字を失い、新たな付加価値を持つ番組が幾つも登場した。

両ジャンル平成30年間の、栄枯盛衰を振り返る。

平成前夜のバラエティ

80年代はフジテレビが12年連続三冠王の道をまい進した。

それを支えたのが、『THE MANZAI』以降の“芸人によるお笑い”を中心としたバラエティだった。

続く『オレたちひょうきん族』『笑っていいとも』がフジの方向性を決定付けた。さらに『オールナイトフジ』『ライオンのいただきます』『夕焼けニャンニャン』などが大勢を盤石にした。

「楽しくなければテレビじゃない」という同局キャッチコピーを代表する番組たちだった。

ところが平成元年には、『オレたちひょうきん族』『今夜は最高!』が終了した。『笑っていいとも』では、ウッチャンナンチャンとダウンタウンがレギュラーに加わった。

お笑い芸人を核にした“作られた笑い”が金属疲労を起こし始め、次の世代の芸人が台頭し始めた。新たな笑いの時代が始まろうとしていたのである。

平成の春一番

平成となり新時代を印象づけたのは、ドキュメント・バラエティだった。

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代表例は92年の『進め!電波少年』。

有名タレントに依存せず、企画力と創造力で勝負して来た。松村邦洋・松本明子・有吉弘行など、無名の芸人を活用し、市井の人なども巻き込み、“現実味のある”お笑いを目指した。

これを可能にしたのは、80年代前半に登場したENG(VTR一体型カメラ)と超小型のピンマイク。

技術革新をお笑いに取り入れたら何が出来るのかを考えに考えた末に、スタジオでの作り物の笑いではなく、ロケに出て普通の人々を巻き込んだハプニングを笑うというアイデアが結実したのである。

視聴者を惹き付けたのは、「アポなしロケ」「ヒッチハイク企画」「懸賞生活」など。

これまでにない熱量と先端技術により、ドキュメント・バラエティは新たなジャンルとして確立したのである。

多様化の時代

平成では“バラエティの多様化”も進んだ。

89年の『知ってるつもり?!』は、教養がネタ。ユニークな企画を特徴とする『ガキの使いやあらへんで!』も同年のスタートだ。

90年の『マジカル頭脳パワー!!』はクイズ・ゲーム。外国の番組を再構成した『世界まる見え!テレビ特捜部』もあった。

これらに『電波少年』も加わり、日テレは94年にフジを引きずり降ろして、三冠の座に就いた。芸人頼みを企画力が凌駕した瞬間だ。

この変化を受け、他局も新たな路線を行き始める。

フジ『料理の鉄人』『SMAP×SMAP』、TBS『学校へ行こう』『ガチンコ!』などだ。

ところが今世紀に再び変化が生まれる。

きっかけは01年に発生した米国同時多発テロ。映画以上の迫力ある映像が現実社会で起こり、それまでの“なんちゃってリアル”が色褪せて見え始めたのである。

『電波少年』シリーズや、芸能人の体当たり勝負を売りにした『ウリナリ!!』は02年、『ガチンコ!』03年、『学校へ行こう』は05年の終了だ。

さらに2011年に東日本大震災が起こり、衝撃的な映像がテレビ画面に幾つも登場した。かくして時代は、過激なバラエティより、安心安全や人と人との絆が重視されるようになった。

80年代の“テレビの毒”は、平成で“リアリティ”を味方に付けたが、平成中盤以降は新たな変化が生まれた。

より身近で親しめる情報や知識を、クスクス笑う姿勢だ。

02年の『トリビアの泉』は、雑学が武器。

04年の『Qさま!!』は、クイズ番組だが、解答よりプレゼンVTRを楽しむ方向。そして03年の『アメトーーク』は、“ひな壇芸人”のトークを楽しむ番組だった。

ただしこの10年は、厳しい時代となった。

ひな壇番組が増え、視聴者からは「どの局も似たり寄ったり」と飽きられ始めた。そしてバラエティの新番組ではヒットが生まれ難くなっていた。

07年に始まった『イッテQ!』以降では、大ヒットがない。

強いて挙げれば18年登場の『チコちゃんに叱られる』『ポツンと一軒家』だが、両番組は高齢者を取り込んでいるに過ぎず、若年層を熱狂させたとは言えない。

平成前半の熱量は、消えたままと言わざるを得ない。

『紅白』急降下とランキング番組の消失

1年の最後を飾る『NHK紅白歌合戦』は、ラジオ時代から続く音楽の代表番組だ。

ただし1963年に視聴率81.4%を樹立し、80年代半ばまで70%超を頻発したが、その後急速に視聴率を落としてきた。そして平成の直前に5年で30%も失った。音楽番組にとって、最初の転機だった。

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80年代はカラオケが流行し、歌の多様化が進んだ。

結果として、国民的な流行歌が出現しにくくなった。そこにテレビのリモコンが普及し、視聴者がザッピングを盛んに行うようになった。

結果として、歌手が持ち歌を3~4分も歌うと、飽きてチャンネルを替える人が続出するようになったのである。

結果として、80年代半ばまで高視聴率を誇った歌謡番組が、軒並み勢いを失って行った。

日テレ『ザ・トップテン』・フジ『夜のヒットスタジオ』・TBS『ザ・ベストテン』が平成初期までに姿を消して行ったのである。

平成での新たな展開

3番組の終了後しばらく、夜帯では音楽番組が低迷した。ところが90年代半ばに、従来とは異なる演出が加わり、息を吹き返し始めた。

94年からの『HEY! HEY! HEY! MUSIC CHAMP』『THE夜もヒッパレ』『うたばん』『速報!歌の大辞テン』などだ。

歌1曲の紹介は比較的短時間、カラオケを意識した演出、幅広い年齢層を視野に入れた点、トーク重視という4要素が共通項だった。

ただし、これらも平成の中盤までには勢いをなくし、後半で次第に姿を消していった。

視聴率が50%前後だった『紅白歌合戦』が、40%前後に数字を落としたのと同時期だ。

最大の要因はインターネットだった。

好みの曲にネットでアクセスするのが容易になり、人々の音楽の好みは各段に多様化した。反比例するように、テレビで多くの視聴者を集める音楽番組が存在し難くなったのである。

テレビでは深夜化と特番化の二極化が進んだ。

93年の『COUNT DOWN TV』は、ランキング番組の後継的存在だ。ただし司会者なしで、CGによる構成。低コストと短い曲紹介で、一定の地位を確保したのである。

もう一つは、期末期首の長時間特番。

東日本大震災後のTBS『音楽の日』が第一歩。

以後、フジ『FNSうたの夏まつり』、日テレ『THE MUSIC DAY』。『テレ東音楽祭』、テレ朝『MUSIC STATIONウルトラFES』が毎年立ち上げられた。

いずれも長時間で、大勢の人気アーティストが登場する。『紅白』のように特別感を出すことでしか、テレビでは音楽番組が存在し難くなったようだ。

バラエティは音楽番組から派生

もともとバラエティは、音楽番組から派生した部分がある。

音楽番組はストレートに歌手が歌うパターンだったが、次第に進化を始めた。58年の『光子の窓』は、草笛光子が歌って踊るミュージカルバラエティで、61年の『夢であいましょう』や『シャボン玉ホリデー』へと発展していった。

歌・ダンス・トーク・コントなどの要素を加え、やがてトークやコント部分がバラエティとして進化して行った。

そして平成の時代には、そのバラエティが夜の番組の過半を占めるまでになり、元々の音楽番組は消えて行くという皮肉な展開を見せた。

ただしそのバラエティも、大ヒットが消えて久しい。テレビ番組は、ことほど左様に時代の変化に影響される“生もの”なのである。

時代は令和に代わった。

低迷する音楽番組には、従来とは全く異なる新たな演出や切り口で、新たな番組が復活することを期待したい。

また「先行する番組を乗り越える新しい領域を開拓」することで進化してきたバラエティには、今一度“バカバカしさ”を切り口に視聴者を虜にし、一時代を作り上げるような制作者の登場に期待したい。