『いだてん』は4話がラストチャンス!?~大河ドラマは複数回の視聴が前提で良いのか?~

3話までの平均視聴率が13.8%となっている『いだてん~東京オリムピック噺~』。

過去15年の大河ドラマでみると、初回から4話までの実績を年間平均が上回ったのは『篤姫』(08年)だけ。この時は4話までずっと数字を上げ続け、評判にのって中盤以降25%超が何度も出た結果だった。

いっぽう大半の大河は、序盤の4話で下落傾向となり、4話平均より年間平均が1~3割低くなっている。

この流れで言えば、『いだてん』は4話で16%以上を出さないと、『西郷どん』『おんな城主 直虎』を下回り、12.0%と年間平均が史上最低だった『平清盛』(12年)も下回る可能性が出てくる。

序盤4話が占う大河の年間平均

1年間続く大河ドラマは、つかみとしての序盤が極めて重要だ。

過去15年を振り返ると、20.3%の初回から4話まで数字を上げ続けた『篤姫』が、年間平均24.4%で断トツのトップとなった。

他に初回24.7%から序盤ほぼ水準を保った『天地人』『功名が辻』が、年間平均でも20%超と気を吐いた。

逆に初回が21.4%と高水準でも、4話までに3%ほど数字を下げた『八重の桜』は、年間平均が14.6%で終わった。序盤4話平均より年間平均は2割以上下がってしまった。

また初回が15~16%だった『西郷どん』『おんな城主 直虎』は、4話まで微減で推移し、年間平均は共に12%台。序盤で反転攻勢に失敗し、結局年間では1割以上数字を下げてしまっている。

この流れから見ると、初回15.5%、2話で12.0%と大きく下げ、3話で13.2%と少し戻したが、2~3話共に史上最低となった『いだてん』は、4話で大きく挽回しないとその後は苦しい。

序盤4話平均が13~14%で、年間平均がさらに1~2割下がると、10~12%台になってしまう。史上最低だった『平清盛』も下回る可能性が出てくるのである。

番組冒頭5分の傾向

ところが初回から3話までの、他の番組から当番組に入ってきた“毎分の流入”や、当番組から他に逃げた“毎分の流出”を見る限り、画期的に人気が盛り上がる兆しは見えない。

まず番組冒頭5分を精査してみよう。

画像

インテージ社「Media gauge」は全国90万台以上のテレビの視聴ログを分析している。これらのデータからは、まず番組冒頭5分に対する視聴者の評価が見えていく。

初回の冒頭2分ほどでは、流出より流入がかなり大きかった。東京オリンピックがテーマとタイムリーな内容で、クドカンが初めて挑む大河だけに話題となり、試しに見に来た人が少なくなかったようだ。

結果として、『いだてん』にチャンネルを合わせたテレビ台数は、冒頭5分で急増した。

ところが2話は、番組が始まった瞬間から見ている人の数が少なく、その後数分間も初回ほど見る人の数が増えなかった。初回で「見るのを辞める」とした人が一定数いたと想像される。

冒頭2分では流入が初回より多かったが、流出も多くなったのが痛かった。冒頭でたけし演ずる志ん生の語りが続いたこと、さらに2分半ほどあるオープニングタイトルが1分台から始まり、直後に再び志ん生の高座となった。流入者の大半は、『いだてん』に留まることなく直ぐに別チャンネルに逃げ出していたのである。

ただし3話では、少し位置づけが変わったようだ。流入数も流出数も2話より減った。つまり視聴者の出入りが緩くなり、視聴者層の固定化が始まっていると言えそうだ。

となると今後画期的な要因が出てこないと、視聴者数が大きく増えることはない。つまり視聴率も上がらない可能性がある。

ドラマ内容への評価

『いだてん』の今後の可能性については、番組が始まった5分以降からエンディングの直前までの流入・流出からも見えるものがある。

まず3話の最大の特徴は、番組冒頭5分と同様、流入・流出の動きが初回や2話より鈍くなっている点だ。例えば流入数は、初回がのべ49192台・流出45577台で、差し引きで3615台多く『いだてん』にチャンネルが合っていた。

2話はさらに増えて、流入52811台・流出47097台、差し引き5714台。ところが3話は流入42106台・流出39775台、差し引き2331台。つまり3話では視聴者の出入りが大幅に減っている。

画像

番組途中での流入の大半は、裏番組がCMとなり、ザッピングした人たちによる。その意味では、『いだてん』の内容の良し悪しにはあまり関係ない。ところが流入が激減しているのは、『いだてん』への関心が薄れていることを示唆する。良くない傾向と言えよう。

いっぽう『いだてん』に力があれば、仮に流入した人もそのまま見続けてくれる可能性がある。その意味では、流出数の多寡は番組内容の出来のバロメーターと言える。

初回や2話で流出が多かったのは以下の3パターンだった。

議論・外国語・歴史的な映像などが散りばめられていたシーン。明治と昭和とを50年ほどワープした直後。そして最大の流出ポイントは、たけし演ずる志ん生が登場する場面だった(詳細は拙文「『いだてん』は『あまちゃん』の再来となる!?~初回の不安解消は2話以降次第~」を参照)。

この傾向は3話でも一緒だった。

議論・外国語・歴史的な映像などはかなり減っていた。明治と昭和の行き来も減っている。ところが、たけし演ずる志ん生の自宅・高座・語りのシーンは相変わらず多く、ことごとく流出ポイントとなっていた。

逆に流出が少ないポイントにも傾向が出てきている。

金栗四三(中村勘九郎)と春野スヤ(綾瀬はるか)が絡むシーン。天狗党の三島弥彦(生田斗真)が躍動するシーン。天狗党と金栗四三が絡み、初めてマラソンと金栗が出会ったシーンなどだ。

要は歴史・人間関係などの説明ではない、生身の人間のドラマを描いたシーンと言えよう。

問われる作り手の姿勢

「宮藤脚本の世界というのは1回見てすべてが分かるというのではなく、何回か元に戻ってもう1回、NODか何かで見てもらうという楽しみ方になるだろうと思うので、1回1回のリアルタイムはそんなに気にしていない」

23日の定例会見で木田幸紀放送総局長はこう語ったそうだ。しかし番組を制作・放送する側の姿勢として、これは如何なものだろうか。

米国人のモラルバックボーンを担うと自負するハリウッドの映画人は、ストーリーの中で以下3つの波を意識して映画を製作しているという。

国民の大半が理解できる分かりやすい大きな波。

一定数が共感する登場人物の心理や感情の波。

一握りの専門家が納得する高度で専門的な波。

つまり難しいことも言うが、観客の多くがついて来られる分かりやすさも蔑ろにしないという姿勢だ。本を読むように複数回の視聴を、特にテレビドラマのようなエンターテインメントの世界で視聴者に求めるのはどんなものだろうか。

特に受信料で成り立つNHKは、“あまねく”国民に番組を届ける義務がある。無料のVODサービスがあるならまだしも、有料で見ることが前提となると、もはや公共放送のビジネスモデルを逸脱していると言わざるを得ない。

要はクドカンがどんなタイプの物語を書くかではなく、クドカンの特性を活かしたドラマに持っていく演出側の手腕の問題ではないだろうか。

二つの時代の行き来、両者をつなぐ役割の志ん生の存在、時代状況を背景とした大きな話などがあってはいけないと言っているのではない。1つの時間軸で、一筆書きで描くドラマにうまく落とし込めたか否かの問題だ。

この意味で、最初の3話で関心を失う視聴者が増えている同ドラマは、明確な反転攻勢にでないと戻ってくる人はいなくなるだろう。

お金を払ってNODで序盤を見直し、一見しただけではわからない作品の良さを堪能してくれる視聴者はごく限られている。やはり基本は、国民の大半が理解できる分かりやすくて力強い大きな波をきちんと描くことだ。一定数が共感する登場人物の心理や感情の波も大いに掘り下げてもらいたい。

ただし一握りの専門家やドラマ通だけが納得する作りに走ってしまっては、多くの視聴者が脱落する。この辺りのバランスを取り直していることを、4話では明確に見せてもらいたいものである。