ここまで進化した『水曜どうでしょう』~ネット独自番組『うれしのまさみちのま』の間・真・魔~

アクトビラのホームページから

家庭用ビデオで撮り始めた「低予算」「低姿勢」「低カロリー」の“3低ローカル番組”が、全国的な大ヒットとなった『水曜どうでしょう』。

放送開始から20年以上の時を経て、ネット独自番組に進化したのが『うれしのまさみちのま』だ。相変わらず“3低番組”ではあるが、『水曜どうでしょう』でディレクター兼カメラマンを務めた嬉野雅道のトークには、“独特の間”、“番組制作の真実”、そして“ゆるい作りの魔力”がある。

『水曜どうでしょう』ヒットの歴史

北海道テレビ制作の同番組が始まったのは1996年10月。

第1回は東京で撮影したアン・ルイスへのインタビューだった。そして「せっかく東京に来たのにそのまま帰ってはもったいない」という理由で、東京から北海道までの帰路を番組化したが、これが『水曜どうでしょう』の基本フォーマットになった。

「低予算」な旅番組ゆえ、移動には深夜バスなど安上がりな手段が多い。

道中での出演者とスタッフのケンカ、罵り合い、座席や料理をめぐるイザコザ、愚痴などをゆるい番組にしたところ、口コミなどで「面白い」と噂が広がって大ヒットとなった。

レギュラー放送は、6年足らずで終了した。

それでも「一生続けられるペースで『水曜どうでしょう』をやっていく」という、いわゆる「一生どうでしょうします」宣言が行われ、以後の快進撃が始まった。

まず不定期で新作が作られた。しかも当初のレギュラーは、再放送『どうでしょうリターンズ』や再々放送『水曜どうでしょうClassic』となり、北海道を初め全国で番組販売の形で放送された。またネット展開やDVD販売、さらにファン感謝祭なども行われ、二次利用がトコトンされたのである。

結果として同番組は、年間売上120億円前後の北海道テレビにとって、ざっくり言って毎年20億円の売上増と10億円の営業利益をもたらし続けている。同局は先月、新社屋に移転したが、出演者の大泉洋は「新社屋も建てたのオレ!」とジョークを飛ばしているくらいだ。

進化の一支流『うれしのまさみちのま』

「低予算」で制作された『水曜どうでしょう』は、タレントとディレクターの4人が基本の番組だ。

出演者は大泉洋と鈴井貴之。スタッフはナレーションも担当した藤村忠寿ディレクターと、カメラマンも担当した嬉野雅道ディレクター。

スタッフ2人は、企画・構成・ロケ・編集などの他、グッズや『どうでしょう』関連イベントの仕事までこなしてきた。

この4人の中で番組的にも世間的にも最も露出が少なく、知名度も高くなかったのが嬉野Dだが、ネット独自番組『うれしのまさみちのま』では主人公になった。

筆者は正直言って、その話を聞いた時「わざわざそこを選ぶか」と驚いた。ところが番組を見てみると、「なるほど」と納得感がある。

ネット番組として着実に視聴数を稼ぎ、ビジネスとして成立させる最適な人選になっているからだ。

そもそも『水曜どうでしょう』のDVDは、毎回10万枚以上売れ続けてきた。

ファン感謝祭のチケットも、発売直後に完売する。番組ゆかりの地を聖地巡礼する観光客もたくさんいる。熱烈なファン10万人以上を背景に、進化版『うれしのまさみちのま』も当然一定数以上の視聴が見込める。

『水曜どうでしょう』ヒットの秘訣

新番組では『水曜どうでしょう』大ヒットの秘訣も開陳される。

古代ギリシャの哲学者・アリストテレスは、物語の定義を「“初め”と“中間”と“終わり”からなる全体」と表現している。

嬉野Dはネット独自番組でも、『水曜どうでしょう』と同じように、移動を番組の核に据えた。出発があり、目的地があり、その道中が番組の肝としたのだ。

映画や番組は、時間軸に沿って要素が並ぶ表現だ。

その時間の流れに馴染むものの一つが、出発からゴールまで縦軸が明確な移動だ。その大枠がカッチリ決まっているために、出演者はそのプロセスで思いっ切り羽目を外すことが出来る。どんなに横道にそれても、最後は必ずゴールに到着し、番組は理屈抜きに終われるからだ。

だから見ている側も、“中間”でのばかばかしいやりとりを安心して楽しめる。

嬉野Dが移動中にちょっと話すこうしたウンチクも、脇にそれていようが見る側は安心して楽しめる。

光る嬉野Dの映画論

その移動中で最も光るのは、嬉野Dの映画評だ。

例えば黒澤明の『酔いどれ天使』(1948年)。

黒澤監督と三船敏郎がコンビを組んだ最初の作品だ。戦後直後の闇市を支配するやくざを登場させ、戦後の風俗の中でヒューマニズムを滲ませる力作となっている。

ここで嬉野Dは、映画が描く色に着目する。

トップカットは夜のどぶ川。闇市の象徴だ。

そこを仕切るやくざ(三船敏郎)は、ムショから出所した兄貴分とのやり取りの中で、真っ赤なバラをどぶ川に捨てる。くすんだ黒と鮮烈な赤。やくざの行く末を象徴するようだ。

実際に三船は兄貴分と折り合いが悪くなる。そして決闘が始まり、倒れた白のペンキ缶のせいで2人は白く染まっていく。さらにラストは白い洗濯物で埋まる屋上。下からは子供たちの無垢な声も聞こえる。そこで三船の死が美しく描かれる。

黒から始まり白で終わる美意識を、嬉野Dはポツポツと語っている。

小津安二郎の映画では、『晩春』(1949年)を取り上げる。

小津監督が原節子と初めてコンビを組んだ作品だ。娘の結婚を巡るホームドラマで、『麦秋』(51年)や『東京物語』(53年)と並び、原節子が演じたヒロインの名前から「紀子三部作」と呼ばれている。

ここで嬉野Dは裏エピソードを披露する。

娘が嫁いだ晩、父(笠智衆)の孤独なシーンがある。ここで小津監督は、「笠さん、申し訳ないが、そこで号泣してくれないか」と頼んだ。ところが熊本出身の笠は、「そんなことで号泣、僕はできません。嫁に出しただけじゃないですか」と断った。

その直後のラストカットは、鎌倉の夜の海。笠はその後、小津監督の演出にダメ出ししたことを、ずっと後悔したそうだ。「(号泣しておけば)ラストの海はどれだけ温かいものだったか」。

ちょっとしたことで、映画は意味合いが大きく変わることを嬉野Dはさりげなく言ってのける。

『うれしのまさみちのま』の強かさ

以上のように移動という縦軸の中で、嬉野Dのウンチクが光り、10分ちょっとの同番組はあっという間に終わってしまう。“独特の間”、“番組制作の真実”、そして『水曜どうでしょう』と似た“ゆるい作りの魔力”の効果だろう。

そして何より強かさを痛感するのは、嬉野Dのウンチクを聞くと、その映画が見たくなることだ。

同番組はテレビで見るネット番組で、アクトビラが無料で配信している。そのサイト内では、嬉野Dが触れた『酔いどれ天使』『晩春』も配信されている。巧みなビジネス展開と言えよう。

ちなみに嬉野Dは、“黒澤と小津の違い”を“人間に期待する”“人は言えば分かる”黒澤に対して、小津を“人間の限界を知っている”“期待していないから撮り方を工夫する”監督と色分けする。

こうした嬉野Dの発言を聞いていると、『水曜どうでしょう』という大ヒットがフロックでも何でもなく、表現に対する深い洞察の必然だったことがわかる。

アクトビラの強かな狙いを承知の上で、やっぱり見たくなってしまう『うれしのまさみちのま』。見事としか言いようがない。