“感動ポルノ”は正論? レッテル張り?~「24時間テレビ」vs「バリバラ」から考える~

各番組のホームページから

日本テレビ『24時間テレビ』は、1978年に「愛は地球を救う」をキャッチフレーズに、チャリティーキャンペーン番組として誕生した。

 今年の平均視聴率は15.4%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。7月に放送されたフジテレビ『27時間テレビ』の7.7%と比べると、かなり好調だった。

 日テレ開局25周年記念の特集としてスタートした初回は15.6%。スポンサーや社内に反対の声があり、当初は1回限りの予定だった。ところが視聴率も募金額も予想以上だったため、翌年以降も続行となった。

ただしチャリティー色を前面に出す路線はすぐに視聴率が落ち始め、1991年には今年のフジを下回る歴代最低の6.6%となっていた。

そこで92年にリニューアルされ、エンターテインメント化が図られた。チャリティーマラソンも始まり、“感動”の演出が目立つようになったのである。かくして視聴率は安定して二桁をとるようになり、05年に歴代最高の19.0%を記録、募金も2011年に最高の19億8600万円に達している。

『27時間テレビ』との比較

 これに対抗したのがフジの『27時間テレビ』。1987年とバブル経済真っ只中に“長時間特別バラエティ”として始まり、初回から歴代最高の19.9%を弾き出した。以後タイトルは時々変更されたが、次第に『FNS27時間テレビ』として定着していった。

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 視聴率は当初7回が『24時間テレビ』を上回った。ところが94年に逆転されると、その後はほとんど勝てなくなり、両番組の差は拡大傾向となった。今年は15.4%対7.7%とダブルスコアである。

 データニュース社は関東3000人のテレビ視聴動向を毎日追い、「テレビウォッチャー」にて発信している。これによると両番組の満足度は、過去3年で異なる軌跡を描いている。

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フジ『27時間テレビ』は満足度が急落しているが、日テレ『24時間テレビ』は安定している。

 同社は同じ1000人のテレビ視聴動向も追っている。これで見ると、『24時間テレビ』の初日夜に接触した人の数は、クライマックスとなる二日目夜の数とあまり変わらない。いっぽう『27時間テレビ』は6割ほどに減っている。“次回見たい率”でも、『24時間テレビ』は6割ほどに及ぶが、『27時間テレビ』は3割強しかない。視聴率という量的評価に留まらず質的評価でも、両者の間には大きな差がついていたのである。

『バリバラ』から「異議あり!」

 ところが質量ともに一定の評価を得ていた『24時間テレビ』に、NHK『バリバラ』が噛みついた。

 『バリバラ』とは、「日本初の障害者のためのバラエティ番組」と銘打ったバリアフリーバラエティ番組。『24時間テレビ』放送中に、生放送で『24時間テレビ』が障害者を感動の道具にしていると批判した。

 一応NHKは、「他局の放送とは関係ない」と言っていたようだ。『バリバラ』の司会者も「アンチとか思われているが違います」と釈明しながら番組を始めていた。

ところが番組は出演者が『24時間テレビ』を見入るシーンから入る、「愛は地球を救う」をもじった「笑いは地球を救う」のロゴが入ったお揃いの黄色いTシャツを出演者が着る等、対『24時間テレビ』感は満載だった。

タイトルは『検証!「障害者×感動」の方程式』。番組キーワードは“感動ポルノ”だった。自身も障害を持ちながら、コメディアン兼ジャーナリストとして活躍したオーストラリア人のステラ・ヤング氏が唱えたもの。「TED2014」の講演の中で、氏は以下のように語っている。

(障害者が困難なことに挑戦する画像を見せながら)こういったイメージは世の中にあふれています。みなさんも、両手のない少女がペンを口にくわえて絵を描いている写真や、義足で走る子供の写真を見たことがあるのではないでしょうか。こういう画像はたくさんあり、私はそれらを「感動ものポルノ」と呼んでいます。「ポルノ」という言葉をわざと使いました。なぜならこれらの写真は、ある特定のグループに属する人々を、ほかのグループの人々の利益のためにモノ扱いしているからです。障害者を、非障害者の利益のために消費の対象にしているわけです。-障害者は「感動ポルノ」として健常者に消費される-

 健常者の感動を呼ぶために障害者を取り上げる風潮を、激しい言葉で批判している。

 『バリバラ』はヤング氏の発言を議論の核に置いた。例えば『24時間テレビ』と『バリバラ』の両方に出演した大橋グレース愛喜恵氏。オリンピック候補の柔道選手だったが、難病にかかり人生が一転。介護されながら次の道に進み始めている。

 『バリバラ』は彼女をルポするVTRが、一般にどう“感動ポルノ”に仕立てあげられるのかを再現する。「如何にも感動を呼ぶような音楽・ナレーションがつけられる」。彼女のインタビューも、「制作側が決めた感動物語に沿わない部分は、編集で次々に削ぎ落とされる」。かくして“一方的な感動の押しつけ”が完成するというのである。

表現の宿命と差別の問題

 ここで気になるのは、表現における“面白さ”と“正しさ”の関係だ。

 『バリバラ』が指摘するように、制作側が決めたストーリーに合わせるために事実を捻じ曲げ、“一方的な感動の押しつけ”をするような番組は論外だ。しかし『バリバラ』が“感動ポルノ”制作を再現したVTRに出ていた大橋グレース愛喜恵氏は『24時間テレビ』にも登場するが、そのVTRは“一方的な感動の押しつけ”とは程遠い。『世界の果てまでイッテQ』が大好きなグレース氏が、同番組の人気企画に挑戦するシーンが幾つも重ねられ、むしろ『バリバラ』が訴える「笑いは地球を救う」精神に沿った作りになっていた。

 一般論として、障害者が登場する番組に“感動ポルノ”的要素が入り込みかねない危うさがあることは否定しない。ところが『24時間テレビ』をその代表のような扱いにした割に、肝心のグレース氏コーナーがそうなっていないのは、やや乱暴な論理展開に見えたが如何だろうか。

 ここで最も議論すべきは、「一方的な感動の押しつけ」とは何かという問題だろう。番組を面白くする(感動を呼ぶ)ための要素の取捨選択や、音楽・ナレーションなどによる盛り上げは、大きな罪なのだろうか。そして面白くする(感動を呼ぶ)ため、大きな課題に直面し、それを乗り越えようする姿を描くことは、「特定のグループに属する人々を、ほかのグループの人々の利益のためにモノ扱い」することなのだろうか。

 まず前者については、今やほぼ全ての放送にその傾向があることを指摘しておきたい。“公正・中立・客観”を第一とするニュースにすら、インタビューでの取捨選択は言うに及ばず、アタック音やBGMがつき、制作側の意図が盛られることは珍しくない。分かりやすさを追求すれば編集は必須だ。より多くの人に伝わることを優先すると、音楽・ナレーションなどによる盛り上げは有効な手段となる。これらを全て禁止すると、“正しい”が“つまらない”番組となり、多くの人に見てもらえないかも知れないが、そこはどう考えるのだろうか。

 次に「大きな課題に直面し、それを乗り越えようする姿を描くこと」は、本当に否定されるべき表現なのだろうか。『バリバラ』のゲストも発言しているが、「障害者でなくとも、シングルマザー・仕事がない・収入がない・家がない」人が奮闘努力し一定の成果を上げる物語は、テレビに限らずメディアの中にたくさんある。最近のドラマでも、TBS『仰げば尊し』は不良の再生物語の側面を持つ。フジ『HOPE』はプロ棋士の夢に挫折した主人公の奮闘物語だ。NHK『水族館ガール』も、落ちこぼれOLの敗者復活物語だ。

 ギリギリのところで諦めず再起をかけて奮闘努力する姿に、多くの人は感動を覚える。困難に挑戦する姿勢こそ、自らの人生の主人公たり得ると考えているからだ。これが障害者を対象にした物語だと、「(健常者が)自分の幸せを再確認」するための装置となるのだろうか。非障害者の利益のために、障害者が消費の対象になっていると断定して良いのだろうか。そう思うか否かは、受け止める側の感性の問題と、表現の巧拙に大きく関わるのではないだろうか。

大きく分かれる視聴者の評価

前述のデータニュース社「テレビウォッチャー」で番組を見た視聴者の自由記述を見ると、人々の評価はそんなに単純ではなく、『バリバラ』が指摘するほど画一的ではないことがわかる。

 例えば“感動ポルノ”という批判と似たような受け止め方をしている人は確かにいる。

「障害者を利用して感動を生む番組は好きにならない」(男23歳)

「最近の24時間は障害者の挑戦シリーズになっていますがこれって差別じゃないですか」(女29歳)

「もううんざり。可哀想の押し売りで寄付を集める時代ではないです」(女48歳)

 また『バリバラ』が指摘する「自分の幸せを再確認」している視聴者も確かにいる。

「様々な病気と戦っている人たちの話を聞くと、五体満足で家族もみな元気なことがとても幸せなことなんだと改めて実感した」(女46歳)

 しかし24時間の中で登場する様々な感動話を、あるケースは肯定し、別の話は否定的に見る人も少なくない。

初日夜のドラマに対し、「感動した。今の世の中よく教育委員会が認めたと思う反面、今後もこういうことがどんどん増えることを希望する」とした73歳男性は、翌日夜のマラソンゴールシーンに対しては、「押しつけがましい。もっと見ている人の感性にまかせるべきだ」と異なる評価を下している。

「(ドラマは)良い仕上がりだった。支えとなる家族や周りの人の愛の力がとても大きいと感じさせられた」とした37歳女性も、マラソンゴールに厳しい。「ゴールしてからのインタビューも同じような質問ばかりで面白くないし、サライを歌うのも嫌い。感動はゼロだった」。

 他に番組全体には批判的でも、部分的に評価する人も少なくない。

「世間の批判も理解できる」としつつも、「マラソンさすがに感動した。よく頑張った」という43歳女性。

「お約束の24時間テレビ」と冷ややかだが、「盲学校のよさこいが感動した」とする47歳女性もいた。

 要は個々の物語の持つ事実の力と、その描き方次第なのではないだろうか。

 筆者も20代の頃に、中途失明者が歩行訓練を受け、再び一人で街を歩けるようになるまでのドキュメンタリーを制作したことがある。その番組のクライマックスは、訓練の途中で訓練士が中途失明者を厳しく叱責し、耐えかねた中途失明者が訓練士と激しく言い合ったシーンだった。そして番組では、訓練のゴールである「一人で歩けるようになった瞬間」も「本人や家族の喜び」も出てこない。『24時間テレビ』で放送された『盲目のヨシノリ先生』にもあったが、本人が反発できれば自ずとゴールは想像できると考えたからである。

 

 番組を見た48歳女性は、「“やらない善よりやる偽善”とどなかたも仰っていた。実際に多額の募金が集まるのだから、意味はあると思う」と番組の存在は肯定的だ。筆者も同感だ。前述の通り『24時間テレビ』は、もともとチャリティー番組としてスタートしている。そして視聴率が低迷した際に、“感動”路線に舵を切っている。その巧拙については大いに批判すべきだが、「感動ポルノ」とレッテルを張り、存在を全否定するような議論は乱暴に見える。

 差別用語の問題でも、行き過ぎた規制は“言葉狩り”となりかねない。文脈の中で個別に判断すべきと教わった。今回の『バリバラ』についても、大半の記事が「感動ポルノ」論に賛同していたが、“障害者番組狩り”に針が触れすぎないか心配だ。認識の正しさと表現の巧拙。これは当の『バリバラ』にも当てはまる問題で、慎重に議論してもらいたいと願う。