Nスぺ『沖縄 空白の1年』が届いた部分と届かなかった部分

(写真:Natsuki Sakai/アフロ)

20日(土)放送のNHKスペシャル『沖縄 空白の1年~“基地の島”はこうして生まれた~』を見た。

番組の概要

番組が紹介する“基地の島”沖縄の経緯は以下の通り。

1945年から46年にかけての1年間に、米軍の占領下となった沖縄は本土と異なる戦後を歩み始めた。当初は米軍の中に、「沖縄の復興」と「民主主義の実現」に尽力し、速やかな返還を検討していた海軍軍政府もあった。一方GHQの意向を受け、沖縄の長期支配を画策する陸軍部隊もいて、実態は二重構造になっていた。

しかし国際情勢が激変し、米国は結局沖縄を手放さず、防共の最前線として軍事基地の建設を進める方針となった。これに対して日本政府も、本土の復興を優先し沖縄へのしわ寄せを黙認した。このアメリカでも日本でもない“空白の1年”の間に、沖縄は「基地の島」へと変貌していったというのである。

その後、朝鮮戦争やベトナム戦争で、沖縄は米軍の出撃拠点の役割を果たすようになった。その間、本土は高度経済成長を遂げたが、沖縄は取り残されてしまった。「空白の1年に生まれた溝は、なぜ70年たっても埋めることが出来ないのか。その問いがいま私たちに突き付けられています」というコメントで番組は締めくくられる。

番組の届いた部分

かくして国土の0.6%しかない小さな島沖縄に、全国の米軍専用施設の74%が集中することになった。

ところが流れは、1996年に変わろうとした。沖縄県宜野湾市にある普天間基地の返還が、日米両政府の間で合意されたのである。ただし返還時期は5~7年以内とされたが、20年経った今も実現はしていない。逆に普天間基地の代替として安倍政権は、「唯一の普天間の危険性除去の解決策」として、同じ沖縄県内の名護市辺野古に新基地を建設しようとしている。

沖縄県民が望んだ本来の“返還”は、米軍基地が沖縄ばかりに押し付けられている状況の改善だった。こうした声を受けて、翁長知事は安倍政権に対して一歩も引かない構えで、辺野古沖の埋め立て承認をめぐって国と司法の場で争っている。その判断は、来月下される予定だ。

こうした微妙な時期に、沖縄がなぜ“基地の島”になったのかを、当時の映像・米軍の機密資料・未公開だった当時の沖縄の指導者の日記などで明らかにしようとした姿勢は特筆に値する。世の中には、「より多くの補助金を引き出すために、沖縄がゴネている」と決めつけている“善良な市民”も少なくない。事実を正しく知らない人々の理解を深めたという点で、番組の果たした役割は大きい。しかも辺野古問題が動こうとしているこの時期に放送したのは、如何にもタイムリーだった。

「沖縄 空白の1年」とは?

ただし番組が示す歴史認識には、いくつか疑問がある。

まずタイトル。「沖縄 空白の1年」とあるが、何が空白なのか。

番組のホームページでは、「沖縄はこの時期、アメリカでもなく日本でもない、“空白の状態”に置かれ」ていたという。しかし実際には、沖縄に権力が不在だったことはない。1945年の米国軍による占領から72年の本土復帰までの27年間は、沖縄は米国による施政権下にあった。

番組が紹介するように、「沖縄の長期保有」に米国務省が反対していたという事実はある。しかし国務省は、48年に保有を認めている。もし国務省の意見を根拠に「アメリカでも日本でもない“空白の状態”」があったというなら、空白は45年から48年の3年間で、「空白の1年」という表現は正しくない。

番組には「戦後の混乱のため資料が乏しく、これまでほとんど検証が行われてこなかった1945年から46年にかけての1年」という表現が出てくる。どんな状態だったのか不明という意味の“空白”のようだ。ところがNHKが入手したとする“当時の映像”や“米軍の機密資料”は、実際には研究者の間での周知の事実で、この数年にも多くの書籍が出版されている。琉球大学名誉教授の比屋根照夫氏の言葉を借りれば、「番組に出てくる沖縄諮詢会メンバーの日記などは新発見だが、ストーリーの大筋は既に明らかになっていた」のである。

つまり「沖縄 空白の1年」としたのは、表現者が陥り勝ちな“センセーショナリズム”の可能性が高い。「より多くの人に見てもらうための工夫」ということもあるので目くじらを立てても仕方ないが、東京の視点で「沖縄 空白の1年」とすることが、沖縄からは違和感が残ることを指摘しておきたい。

「沖縄 空白の1年」ありきの構成!

筆者がより重視したいのは、“空白の1年”ありきの構成により、番組に事実誤認が生まれている点だ。制作者は“空白の1年”で、“基地の島”という現在の原型が出来上がったとしている。しかし「米軍の統合参謀本部は実際には、もっと前から日本と沖縄を分断し、“基地の島”にして行く考えを持っていた」と沖縄研究者たちは指摘している。

例えば沖縄統治の目的で編纂された「沖縄列島民事ハンドブック」は44年に出来上がっている。真珠湾攻撃後に、文化人類学者などの専門家が集められ、研究は始まっていた。その中では、ハワイに移民した日系人と沖縄出身者が如何に異なるか、どんな差別があるかなども詳しく出てくる。“空白の1年”よりかなり前から、沖縄と日本を分断統治する、つまり事実上アメリカが沖縄を統治することが視野に入っていたのである。

“空白の1年”の1年後には決定的な出来事もあった。通称「沖縄メッセージ」と呼ばれる昭和天皇からマッカーサーに宛て送られた「米軍による沖縄占領状態を長期間継続させることを依頼するメッセージ」である。

これには米軍が琉球列島を50年以上の長期に渡り占領することを希望する昭和天皇の私的な考えが認められていた。「米国にとって有益であり、日本にも防護をもたらす」と判断してのことだったようだ。つまり“空白の1年”で“基地の島”という現在の原型が出来上がったわけではなく、その後の議論も経て固まっていたのである。

“空白の1年”ありきの姿勢は、他の歴史的事実でも首を傾げざるを得ないケースが出てくる。46年8月から始まった、日本に渡っていた沖縄人の引き上げ問題である。

番組では、彼らは「極貧状態にあり日本人に依存して暮らしていたので、本土復興の妨げだった」という。そのため食料不足に陥ることが分かっていたにも関わらず、強制的に沖縄に移住させたというのである。

しかし現実には、本土で経済的に自立していた沖縄人も少なくない。つまり全員が本土復興の妨げだったとは限らない。だとすると、分断統治を進めるという本音が透けて見えるわけで、事実はどうだったのか取材を深めないまま、GHQの説明だけに乗った事実認定は残念でならない。

本当の理解に向けて

以上が番組の歴史認識に対する主な疑問点だ。

重箱の隅を突くような“細か過ぎる指摘”と受け取る人が少なくないかも知れない。しかし沖縄側からの視点では、これらの事実は現在も続く基地問題の深層にある絶望につながっており、そこをネグったままでは本当の理解に届かない。

番組のラストコメントにある「空白の1年に生まれた溝は~」は、それ以前から米国が画策していた溝である。しかも米国が企図した沖縄と日本の分断は、当時の日本政府が優先問題としてやむなく選択しただけではなく、昭和天皇も望んだ道だった。こうした枠組みの中で、10万人の強制移住という人権蹂躙は行われ、それに対する謝罪は一切行われていない。こうした原点への正しい認識なくして、現在の問題への適切な対応はありえないだろう。

最後に先述の比屋根氏の総括的なコメントを紹介しておきたい。

「そもそも近代以降、日本と沖縄の間には大きな溝があった。加えて戦後の沖縄放棄は、その溝をいっそう深めた。そして今、辺野古・高江の問題で、溝は深まるなどという生易しい問題ではなく、先鋭的にぶつかり合っている」

番組は沖縄理解の大きな前進だったが、届いていない部分も露呈したと言わざるを得ない。