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多様性こそ、今の日本に必要だ。

鈴木崇弘一般社団経済安全保障経営センター研究主幹
日本の今後の可能性のキーは「多様性」である。(提供:イメージマート)

 社会の方向性が明確な時には、社会は同質性が高いことや特定にグループなりが中心になり意思決定や行動に注力すること(少なくもそのような雰囲気が社会にあり、共有されているような状況も含む)が、効率性や機動性の観点から、有効に機能する可能性が高い。

 そのことは、日本の第二次世界大戦後の高度成長期の政策づくりにおける状況およびその成果などにも、如実に表れた。

 そのことは、ジャーナリストの小池洋次氏の、次のような意見にも表れている。

 「日本の政策インフラ・政策コミュニティーの『官による独占状態』は、結果的に戦後復興と高度成長に寄与したのは確かかもしれないが、それは経済成長で政策の継続性が重視されたからである。」(注1)。

 しかも、その官の構成人材の中心は、特定の大学(の特に特定の学部)卒業生であり、ある意味、官は非常に同質性の高い組織だったのだ。

 他方、日本の高度経済成長期は、政策的な全体の方向性はそのようなアプローチが取られたが、当時の受験戦争(注2)のコンテクストの中で、地方の人材が東京を中心とした都市部に集まり、異なる背景や知見を有する地方人材と都市部人材(都市部における多元的な人材の存在)の間の相互の化学反応が前向きかつ効果的に機能して、企業活動やビジネスが活発になり、急速な経済発展に貢献したのだ。

 このように、日本の高度経済成長は、「同質性」と「多元性」とが有効に結びついて実現したものだったのである。

 ところが、受験戦争に勝ち抜いた地方人材が東京などの都市部で仕事につき家族を形成するようになってくると、人材の流動性は低下してくる。その表れが、たとえば、最近の東京大学の学生の60%近くが関東出身で、3人に1人が東京出身の人となってきていることにも表れている(注3)。この傾向は、東京の他の有名大学などにおいても同様の傾向にあるようだ。

 つまり、大学生(特に一般に優秀といわれ、卒業後大企業などに勤務する人材)の多様性や多元性が失われてきているのである。また変化もあるが、一部の大手企業は、有名大学卒業者しか入社試験が受験できないように大学でスクリーニングしていることもあるという。そのような結果、官僚機構や東京を中心とする大企業などの組織における人材の多様性も低下してきていると考えることができるのである。

東京の大企業勤務がキャリアにおける有力選択肢となった。
東京の大企業勤務がキャリアにおける有力選択肢となった。写真:イメージマート

 また第二次世界大戦以降の高度経済成長の中で、大企業を中心とした企業などの組織に勤務することが、終身雇用や年功序列などの労働慣行が重視される中で、収入の増加と生活の安定を得られるベストのキャリアルートであるという社会的風潮も生まれ、サラリーマンになることが日本社会では一般的になった。そのため、近年はフリーランスが増えているといわれるが(注4)、戦後長らく、自営業という選択肢は人気が低下・低迷状態にあった(注5)。その象徴として、自営の商店などが中心だった商店街が閉店して活気を失った状態を示す「シャッター通り(商店街)」(注6)という言葉も生まれた。

 このような結果、日本社会におけるキャリアやキャリア選択の多様性も失われてきたのである。人材や生活における多様性や柔軟性の低下、社会における選択幅の狭まりも生まれてきているような状態になってきているのである。

シャッター通りとなった商店街。
シャッター通りとなった商店街。写真:イメージマート

 これまで、第二次世界大戦後の日本の状況について、特に「多様性」の面から、その一部ではあるがいくつかの例も挙げながら、検討してきた。それらのことからもわかるように、ある時期までは、多様性を活かしながらもそれを抑えながら、その人材や活動を効率的かつ効果的に明確な目標に焦点を当て、短期的にまた比較的安上がりに成果を生み出してきた。つまり、戦後の対応としては、社会的に「多様性」をなくすあるいは減らすことで、「成功」を収めたのである。

 ところが、その戦後の状況が大きく変わってくる。日本は、戦後の廃墟、ゼロの状況から立ち上がり、ある程度復興、豊かになった。ところが、それは、戦後の目標が達成され、国・社会の進むべき方向性がファジーになる状態を生み出したのだ。

 他方、そのステージまでの「成功体験」があるがゆえに、日本はその時には、それまでやってきた、多元性の少ない官僚・行政機構が、全体の方向性を決め、その枠の中で、ある程度の多様な人材がいる経済システムや企業組織が特定の目的・目標に注力するというやり方を所与で当然のもの、つまり、物事をする時の最上とされる方法・手順である定石(定跡)と考える社会になってきてしまったのである。つまり日本は、社会的に若干の変化への動きには対応できる(「改善」や「改良」程度の変化への対応は可能)が、時代や状況が大きく変貌し、特定の枠を超えて変える必要のあるような改革や変化には対応できない社会になってしまっていたのである。

 それは別のいい方をすれば、日本社会は、戦後、多様性や多元性を喪失してきたがゆえに、これまでのやり方が行き詰まった際に、別のチョイスやオールタナティブを創出することができなくなってきているのである。日本のこの20年、いや特に10年はその現実を物語っているということができるだろう。

 このように考えていくと、どのようにして多様性や多元性を創り出していくかということが、今の日本にとっての最重要課題なのではないかと思えてくる。

「多様性」こそ、日本にダイナミズムを生み出す重要なカギだ。
「多様性」こそ、日本にダイナミズムを生み出す重要なカギだ。提供:イメージマート

 その多様性の問題・課題を考える際には、英「タイムス」紙のコラムニストであるマシュー・サイドの『多様性の科学…画一的で凋落する組織、複数の視点で問題を解決する組織』が非常に参考になる。

 同書を読むと、「多様性」という視点自体、その本質を理解し、組織や社会で実現していくためには、実はそれこそ多様で、多角的な視点や観点および組織やシステムなどの制度設計が必要なことがわかる。より具体的にいえば、同書は、単なる性別や人種などの違いだけでは多様性を得るには不十分であることや、組織の規模が大きいことだけでは必ずしも多様性や多元的な視点・経験を得られないこと、データなども扱い方次第では実は多様性を制約したり多様なニーズに即しない現実を生み出す危険性のあること、多様な意見等に接する状況があってもそれが活かされない状況・環境も存在すること、単に優秀な人材を集めるだけでは組織は機能しないことなど、「多様性」を考える上での、さまざまな考え方や状況を、具体的に検討しているのである。

 しかも同書を読むと、なぜ今の日本の企業・組織や社会が、ダイナミックを失い、低迷・迷走しているかが非常によくわかる。別のいい方をすると、現在の日本は、「多様性」へのギアチェンジをある時期にできなかった当然の帰結であると思わざるを得ないということである。

 他方、コロナ禍で必ずしもその成果がでてきていないが、2019年の入管法の改正による外国人材が国内で従来でも活躍できる状況が生まれきている。また近年のスポーツ界や芸能界などをみると、従来はあまりいなかったような、異なるあるいは多様なバックグラウンドを有する人材の活躍が目立ってきている。

 また日本の優秀な人材の中には、従来のように日本の国内社会での素地をつくってからではなく、その前の若い時期から海外に留学したり、経験を積んできている人材も増えているように感じる(注7)

 このようなことを考えると、日本社会にも、今後新たなる「多様性」がさらに誕生・拡大し、日本に新たにかつ創造的なダイナミズムが生まれてくる可能性もある。だが、それは単に自然には生まれてくることはないだろう。私たち日本社会で生活する者が、本来の意味の「多様性」を意識・自覚し、それを社会的に受容し育み、制度や政策にも落とし込んでいく必要があるだろう。

 今こそ、日本は、この社会を「多様性」が活かされ、生きた社会に変えていく作業に取り組んでいくべきだ。

(注1)『アメリカの政治任用制度…国際公共システムとしての再評価』(小池洋次、東洋経済新報社、2022年)p403参照。

(注2)受験戦争とは、「入学するための選抜試験が激化した状況を指す。1960年代にマスコミによって使用され,一般に定着した。その要因としては,第1次ベビーブーム世代の進学時期に該当したこと,高等教育の大衆化が始まり高校および大学への進学率が急上昇したことなどが挙げられる。特定の大学への入学を目指す競争の激化により生徒の負担が増加し,また高校の授業が入試対策中心となるなど弊害が指摘されるようになった。このような過度な受験競争の緩和を目的として1979年(昭和54)に共通一次試験が導入されたが,結果的には偏差値に基づく国立大学の序列化を助長するなど,受験産業とともに,偏差値を重視した受験戦争を一層過熱させた。1990年代以降,大学入試センター試験の導入,推薦入学やAO入試など選抜機会の複線化(日本)の進行や,いわゆる「大学全入時代(日本)」の到来などにより大学への入学機会自体は大幅に拡大したものの,特定エリート大学への進学熱は依然として衰えていない。」(著者: 黒川直秀)(出典:『大学事典』(平凡社))

(注3)「東大生の出身地は?東大合格者高校別ランキングも!教育の地域間格差も解説」(スタディコーチ、2022年7月23日)参照。

 また「東京を含めた関東地区の出身者の割合は、かつては全体の5割程度でした(※)が、近年はそれより高い6割弱で推移しています。※2000年度入試の関東地区出身者の割合は48%」(出典:「東京大学入試情報2021東京大学 出身地域別合格者数の推移」東大塾、2020年10月23日)との指摘もある。

(注4)この点に関しては、次の記事参照のこと。

「『フリーランスが増えている』は本当か? 統計データをもとに検証」(Workship MAGAZINE、2022年6月16日) 

(注5)この点に関しては、次の記事参照のこと。

「日本の自営業の総雇用に占める割合(推移と比較グラフ)」(GraphToChart、2022年8月12日閲覧) 

(注6)シャッター通りとは、「営業を休止して、シャッターを下ろしたままの商店や事務所が多く見られる、活気を失った商店街や町並みを象徴的に表現した用語。地域の人口減少、大型スーパーマーケットやショッピングモールの郊外・幹線道路沿いへの進出により、商業圏が従来の繁華街がある市街地から、郊外へ移動することに伴い発生した。シャッター通りは土地保有者、借家人の権利関係が複雑などの事情を抱えることが多く、再開発が進まず長く放置されることがある。これを避けるため、多くの商店街において、新しい店舗やベンチャー企業の事務所を誘致する、市民のためのカルチャースクールをつくる、など活性化を図る試みがなされている。」(出典:『日本大百科全書(ニッポニカ)』(小学館))

(注7)この観点の延長として、次の記事のようなことも起きてきている。それらの人材が、今後日本との関係性を活かしたり、日本社会に対して将来的な貢献や関わりを持てるような日本社会の寛大な受容の環境を今から構築していく必要もあろう。

「棄国(キコク)…若い世代に日本を捨てる選択を迫る現状」(鈴木崇弘、Yahoo!ニュース、2021年11月23日)

一般社団経済安全保障経営センター研究主幹

東京大学法学部卒。マラヤ大学、イーストウエスト・センター奨学生として同センター・ハワイ大学大学院等留学。日本財団等を経て、東京財団設立に参画し同研究事業部長、大阪大学特任教授・フロンティア研究機構副機構長、自民党系「シンクタンク2005・日本」設立に参画し同理事・事務局長、米アーバン・インスティテュート兼任研究員、中央大学客員教授、国会事故調情報統括、厚生労働省総合政策参与、城西国際大学大学院研究科長教授、沖縄科学技術大学院大学(OIST)客員研究員等を経て現職。㈱RSテクノロジーズ 顧問、PHP総研特任フェロー等兼任。大阪駅北地区国際コンセプトコンペ優秀賞受賞。著書やメディア出演等多数

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