(必読!)この本を読めば、日本における政策形成の問題と課題の本質がわかる

本書は子どもの人権及び政策形成過程の面で示唆に富む。写真:著者献本本(筆者撮影)

 日本における政策形成過程は、以前に比べれば透明性は増して、より様々なアクターが関われるようになってきた。しかしながら、それは相変わらず外部からは分かりにくく、不透明だ。そんな中、非常に興味深い本が出版された。

 それは『「真に」子どもに優しい国をめざして…児童福祉法等改正をめぐる実記』という本である。著者は、元厚生労働大臣を務めた塩崎恭久議員だ。筆者はこの20年以上にわたって同議員に知己を得ているが、その経験からも、塩崎議員は、議員の中でも間違いなく数少ない政策通の一人であり(注1)、多くの政策(提言)の策定および法律の制定や改正に関わってきたと断言できる。

 本書は、そのなかでも、「児童福祉法(以下、児福法と称す)等の改正」(注2)に関して、塩崎議員が、厚労大臣であった時期を中心に、その改正をどのような信念から、どのようにして成し遂げていったかを描いている。

 政治家が書いた本の場合、自身の武勇伝や成功話を自慢げに語り自己宣伝していることが多いが、本書は、その改正の本質的な部分やその改正において、政治家が具体的にどう考え、どのように活動し、その分野の専門家と連動したり彼らの知見の助けを借りながら、行政と時に対立し、時に行政を動かし、それを実現していったかを克明に描いていて、日本の政策形成における問題や課題を鮮明に浮き彫りにしている。

 このような政策形成過程における実態をこれだけ透明化し、可視化した書籍は、学者そして当事者の行政・官僚にも書くことはできないし、当然その過程のインナーサークルにいない民間人やジャーナリストにも書けない。

 

 日本は、ご存じのように、政策形成は行政中心主義・官僚中心主義である。その手法の限界が強く叫ばれはじめたのは、1980年代後半ぐらいからであろうか。そして、そのような変化の必要性が高まる中、1990年代頃から2010年頃まで、政治主導の実現を図る様々な試みが行われた。その結果として2009年の本格的な政権交代が実現した。

 筆者もそのようなコンテクストの中、独立系シンクタンクや政党系シンクタンクの設立などを通じて、政治主導や行政中心の政策形成過程の変更にチャレンジした。

 だが、そのような政策形成過程の改革や政治改革も、2009年に起きた政権交代で生まれた民主党政権の失敗と自滅によって、2010年代に中途半端な形で終わり、国民のその改革への期待も急速に低下し、現在に至っている。

 その改革およびその失敗の結果として、現在の日本には、相変わらずの行政・官僚中心のままで、その表面に「政治主導」をまぶしただけの政策形成が残滓として形作られているといっていい状態になっている。

 それは、別のいい方をすると、表面的には政治が行政をコントロールできるようになってはきているが、本質的には政策形成自体は相変わらず行政・官僚に依存しており、また政治の側が、その質と量的の関係から、有効かつ機能的に行政を活用したりできるようになっていないということである。

 また、行政も、「政治主導」が建前であるので、以前のように、ある意味(で良い捉え方をすれば)自由闊達に機能できなくなっており、日本社会全体の現在の雰囲気の中で、ブラック組織化してきている面もあり、様々な問題・課題も生まれてきており、政策形成において、以前ほどは有効に機能できなくなってきているのである(注3)。

 本書は、このような状況の中において、塩崎議員が、従来の同法の理念や趣旨を変える児福法の改正をどのように改正していったかを描いているのである。

 私たちは、中央省庁の大臣といえば、権限や力があり、何でも自由に政策をつくったり変更できると考えるだろう。だが、本書を読めばわかるように、実はそんなことはないのである。

 官僚は、ありとあらゆる手段で抵抗し、時間を稼いで、その政策形成や変更を換骨奪胎しようとする。その抵抗を抑え、政策変更を実現するには、政治(大臣・議員)の側に、官僚の動きを抑えられるだけの、現場への深い理解および絶えざる学びと知見の向上、そして執念にも近い根気強く、かつ粘り強い戦略や柔軟な戦術そして対応が必要なのだ。政策実現のためには、正に「執念」というか、表面的には狂っているように見せかけ実は心の中は冷めている「よう狂」のような姿勢が必要なのだ。

 またこのような法改正を実現するには、政治の側のこれまた執念に近い絶えざる学びや知見の向上が必要だということである。本書にもその点は、かなり詳細に描かれている。 

 ここで注意しなければならないことがある、それは、政治の側の努力もあるが、その政治の側を支える多くの専門家や人材の存在である。その点に関して、ポイントが2つある。

 まずそのような人材(特に信頼できる人材)は、誰かが議員になったり、大臣に就任したから急に得られるわけではない。日常的な政治や政策活動の中で、政治の側(あるいは将来そこで活躍したいと考える者)が、それらの人的ネットワークを構築しておかないかぎり、彼らから重要かつ有効な情報提供や様々な活動のサポートは得られないのだ。

 もう1つは、それらの人材は、政府の委員会などに関われば若干の収入が得られることもあるが、そのような活動や政治の側への政策的なサポートなどの活動は、時間換算すればまずペイすることはなく、ほぼボランティア・無償の活動であることだ。

 それに対して行政・官僚の活動は、先述したように人的制約や様々な問題・課題のためにブラック組織化してきていたり、残業代の支払の制約などの面もあるが、基本有償であり、それに無償の民間人や有識者が対抗するのは非常に難しいのが現実である。

 その意味では、児福法の改正は、それらの人材の方々の前向きかつ積極的な動きや姿勢があったから実現したレアケースでもある。

 このことは、実は日本では、社会的な活動に関わる資金(パブリックマネー)がほとんど行政にコントロールされていて、その財源が多元化されていない問題とも関わっていることである。その結果、日本の公的活動が、主に行政・官僚中心に行われるようになっているのである。それは、実は日本の政策活動や公的活動が、多元的な民主主義的なものになっていないという現実にもつながるのである。

 

 話がかなり広範かつ大きくなってしまった。話を戻そう。筆者は、本記事において、その内容についてほとんど触れなかった。それは、故意にそうしたのである。なぜなら、是非皆さんに本書を実際に読んでいただきたいからである。

 本記事で説明したことを踏まえて、本書を読んでいただくと、政策形成における問題と課題、政治と行政・官僚との関係等など、日本において考えるべきポイントがより明確に見えてくると考える。

 是非ご一読を。

(注1)議員だから法律や政策に詳しいというのは実は誤解である。議員の多くはそうではないし、政策等に関心もない方もいる。議員(特に国会議員)は、本来は立法者(Law Maker)であるはずなので、それはおかしいことであるが、残念ながらそれが現実だ。

(注2)本書が描く児福法改正は、本記事で論じているその政策形成過程自体も重要だが、その改正による児福法の中心理念自体の変更も非常に重要な論点だ。ご存じの方も多いかと思うが、子ども・児童は、日本では、これまで実は人権が認められていず、極端ないい方をすると親の付属物的な存在だった。しかし、その児福法の改正で、子ども・児童の人権が日本ではじめて認められることになったのだ。その意味において、同改正は、日本社会における価値観の変換を意味し、ある意味非常に画期的なパラダイムシフトであり、その点だけでも論じる価値がある。だが、本記事では、読者に向けた記事の趣旨を鮮明にするために、筆者の専門である同改正の政策形成過程に主に焦点を絞っている。

(注3)昨今の行政や政治をめぐる多くの事件や出来事は正にそのことの象徴であるということができる。