森友学園国有地売却に関わる決裁文書改ざん問題の議論への違和感

(写真:つのだよしお/アフロ)

最近の森友学園への国有地売却に関わる決裁文書の改ざん問題は、行政組織の在り方や近代官僚制の根幹をも揺るがしかねない大問題だ。だが最近のメディアなどの行政や政治に対する論点や議論には、大いに違和感を覚える。行政は、中立性を守り、政治の影響を受けてはならないという。行政は、政治の圧力に屈せず、政策を行うべきだ等の指摘だ。

よくよく思い出してもらいたいが、実はそれらは非常におかしな議論だ。本記事では、その点について論じていきたい。

1990年代以前は、行政中心あるいは行政主導で政策形成がなされた。だが、80年代後半以降は、行政機構の様々な問題が起き、弊害が語られ、行政が中心の政策形成は厳しく非難・批判されてきた。また、グローバル経済の進展をはじめとする社会や世界の大きな変化の中、縦割りで省益中心主義かつ前例中心主義で、政策形成に時間がかかる従来の行政を中心とした政策形成(注1)では対応できないと社会的にいわれるようになった。

そのような状況を社会的背景として、90年代以降、そのような仕組みを変えるべく、政策形成における政治主導、官邸主導が実現できる、政治改革や中央省庁の再編、公務員制度の改正等々がなされた。つまり、それまでは行政が、「中立性」の名のもとに、政治の介入は難しく、ある意味で独走的に政策をつくっていた。だが、その弊害や問題が大きくなったので、政治特に首相・官邸が行政をコントロールし、より機動的で、全体としてより有効な政策形成ができるようにしようという改革がなされ、今日に至っているのである。

PHP総研が、2017年5月に発表した、バブル崩壊以降の政治・行財政改革の成果を解剖した報告書「『日本国』の経営診断」には、次のように書かれている。

・「選挙制度改革ならびに行政制度改革が首相の指導力を強化させ、財政のかじ取りにも強い権力をもたせた。」(p2)

・「強いリーダーシップのもとで政策本位の政治を進めていると考えられる。」(p27)

・「首相の人事を通じてのリーダーシップはあきらかに強化された。これはまた財政を含め政策の決定ならびに執行についても、首相にとってはこれまでにない強い指導力を発揮できる環境がつくられたことを意味する。」(p31)

そのように、様々な改革の結果、当初期待された政治主導(特に首相主導)の政策形成の仕組みがある程度実現されるようになったということができよう。そこでは、政治の力が行政に対して強化されたが、その分だけ当然に政治の責任も大きくなることになる。

そのような中で、今回のような事件が起きたのである。現在の政治主導、首相主導の仕組みにおいては、政治が行政をコントロールする仕組みができている。それは別言すれば、行政は政治の影響を受けるようになっており、政治に反して中立性(注2)を保持することができないようになっているのである。またメディアも社会も、この何十年にもわたり、そのようになるべきだと主張し、それが実現したはずだ。ところが、今回の事件が起きるや否や、行政は中立であるべきだと主張する。過去の問題のあった仕組みに戻せと、メディアも社会も大合唱しているようなものだ。それでは議論がおかしくはないだろうか。

 

以上のように考えていくと、今回の事件は、政治主導・首相主導が実現した現在、政治が行政のしたことを知らなかったというロジックは本来通用しない。行政が問題だとすることは、それは正に政治の責任になると考えられる。

他方で、今回の事件は、この2,30年間の政治改革・行政改革における試みにおける、次のような問題と課題を提示していると考えられる。

それは、政治や社会の制度の設計の場合には、何らかのカウンターとなる存在が絶えず生まれるようにしておくべきだということだ。それと権力の側との均衡があることが、権力の緊張と規律を生み、より適正に制度や権力などが機能することになるといえよう。

先述したように、現在の日本の政治制度などは、政治特に首相に強いリーダーシップと自由度を付与した。今回の事件は、現在のような1強多弱の状況では、その制度では、緊張感は生まれず、忖度も含めた、なんでもありの状況が生まれる危険性があるということを示しているといえるのである(注3)。

またこれまでに実現してきた小選挙区制や政治主導は、時代の要請であったと思う。だが、その仕組みから生まれ、行政を政治主導できる人材の質およびその質の向上のための仕組みについては、これまで必ずしも十分に考察されてこなかった(注4)。そして、政治の力が強化される分、政治の側の自制や自己コントロールも必要になる。その意味では、そのような自制(心)を有しながらも、より有効な政策づくりのできる人材の発掘・育成の問題への考察が不十分であったといえる。しかも、この数十年の政治的変化の中で、多くの政治人材は膨大に浪費されてきている。そのために、現在の与野党ともにおいて、実際政治人材の不在や不足の感を免れない。

小選挙区制度の中で、従来の派閥を中心とした人材育成の仕組みに代わる政治人材の発掘・育成の仕組みづくりがなされることが必要であろう。なお、この問題は、小選挙区制における政党の在り方にもつながる問題・課題である。

最後に、国民・有権者も、もっと真剣に政治に向き合うべきだろう。議員・候補者は、自分たちが考えている以上に、国民・有権者の意向や考えを気にしている(注5)。その点からすると、国民・有権者が、議員らの行動や発言にもっと注視し、監視していくことを、彼らに感じさせるべきだ。つまり、私たち国民・有権者が、もっと政治や政策について考え、機会があれば(その機会は、自分でつくれることも多い)、自分の考えを議員らに伝え、自分達が彼らをキチンと監視、モニターしているということ(そしてイザという時は、選挙や行動などで重要な意思表示をする)を示すべきだということである。それらの行動こそが、正に国民・有権者がその国や地域の主権者であるという民主主義の原点だということができる。

これまで述べてきたことからも分かるように、今回の事件に関しても、付け焼刃的あるいは近視眼的に考えたり、議論をするのではなく、日本におけるこれまでの政治や民主主義における失敗を含めた経験として、そこから学び、日本の新しくより進化・深化した政治や民主主義の構築に活かしていくことが必要だといえる。

(注1)現在も、行政中心、行政依存の政策形成であるという実態は変わっていない。

(注2)この「中立性」も、本来おかしな議論である。そもそも政策に、中立な政策などは実は存在しない。いかなる政策も何らかの政治的価値観に基づいてつくられている。その意味で、政策においては、「独立性」は存在しても、「中立性」というものは存在しないのである。行政であれ、何らかの政策を行うということは、当然「中立」な立場で行動していないことを意味する。その意味からも、行政の「中立性」の議論は的外れなものであると考える。

(注3)本記事は、このカウンターを考察するものではないので、どうすればそのカウンターがつくれるかについて論じないが、英国の野党の政策形成力を高め政権交代を起こしやすくする「ショートマネー」、複数の政策シンクタンク(民間非営利独立型)の設立などもそのための有力な方策であろう。

(注4)拙記事「この20数年の改革で見過ごしてきた、もう一つのこと」[Yahoo!ニュース、2017年6月6日]参照。

(注5)トランプ抵抗のための市民行動マニュアル(指南書)である「インディビジブル(英語ではINDIVISIBLE)」は、米国のものだが、日本の政治のコンテクストにおいても同様な議員の行動や考え方、十分に機能する有権者から議員への働きかけのノウハウが満載であり、私たち国民・有権者が議員に働きかける行動を考える際の参考になる。

「INDIVISIBLE」