政治主導再考…日本で政治主導は可能なのか?!

政治主導は実現されているか?(写真:ロイター/アフロ)

政治主導が叫ばれて久しい。だが、果たしてそれは実現したのだろうか。

筆者は、今年の初めから、政治任用的な立場で、ある省庁の業務に関わってきている。その経験からすると、日本における政治主導の実現は現時点ではいまだ難しいと考えている。

1980年代までは、日本における政策形成は行政中心であった。ところが、その後、東西冷戦構造やバブル経済の崩壊、新たな技術革新等で国際社会や日本社会が大きく変貌し、省庁の縦割り志向や前例主義などの行政中心の政策的対応では限界が見えるようになった。そのような状況を乗り越えるために、様々な政治的改革、たとえば、小選挙区制の導入や官邸主導の中央省庁の再編などが行われて、いわゆる「政治主導」の実現化が図られるようになった。

だが、筆者自身の経験を通じて感じるのは、その「政治主導」は表層的なもので、その実態の実現とはなっていないということをヒシヒシと感じる。

まず、「政治主導」となり、政治家(議員)つまり大臣などが、行政の上に存在し、以前よりコントロールできるような形式にはなっているが、その政治家を支えるのは現在もほとんど「行政」つまり官僚しかいないのだ。確かに現在、「補佐官」「秘書官」「参与」等々が政治任用することは可能ではある。だが、後発の「補佐官」(これも大臣一人に1名)は別としても、他の官職は、給与などの待遇面でも非常に制約が大きく、経験があり専門的知見の高い人材がフルコミットして、大臣などの政治家をサポートするには限界がある。まして、大臣の秘書官は1名のみ(注1)。

しかも、これらのサポート人材が有効に機能するには、彼ら自身が行政機構を熟知し、そこにネットワークを持っている必要があり、そのためには行政経験などもある必要があろう。だが、終身雇用が中心の行政機構では、そのような経験を持てる人材は非常に限られているのが現状だ。

このように考えていくと、大臣である政治家を行政以外でサポートできる体制は、人数的にもまた人財的にも非常に限られており、政治家の大臣が、様々な観点や視点をもち、行政から上がってくる政策や政治的アイデアや動きをいい意味でコントロールしていくには、政治家である大臣が、外部の専門家や有識者などから主にボランティア的に協力を得ながら、かなり孤軍奮闘的に頑張るしかないのが現状だ(注2)。しかも、それらの協力してくれる外部人材のネットワークは、大臣になる以前からその政治家が、独自に構築していく必要がある。

さらに、これらのことからもわかるように、自民党がこれまで採用してきた当選回数によって大臣に就任できるという仕組みはもう止めるべきだと考える。筆者の当該省庁の大臣は政策的知見も高く、非常に尽力されているので問題ないと思うが、選挙で当選できることと政策的知見や人的マネジメントの能力とは全く別のことだ。何度当選できても(それはそれで凄いことではあるが)、そのことは後者の能力があることを意味しない。従来のような行政中心の政策形成のシステムであれば、当選回数だけで大臣に就任してもまあ大きな問題ではないといえなくもなかったが、現在のようにより政治主導が求められる時代には、政治家の政策やマネジメントの能力ももっと問われる必要がある。その意味では、政治主導時代における党の人材の選択と育成の仕組みなどにおける変更やバージョンアップも必要なのだ。

先述したように政治主導の試みがなされ、その延長で2001年の中央省庁の再編がなされてから、20年近くが経とうとしている昨今、今一度「政治主導」の経験を評価し、日本におけるガバナンスのシステムの今後の方向性や可能性を考えてみてもいいのではないかと考える。

(注1) ある秘書官経験者によれば、大臣の秘書官(政務)の給与は、戦前からかなり低くかったそうである。

(注2) このためには、大臣職にある政治家は、時間的にもまた金銭的にもかなりの負担を負わなければならないのが現実だ。