「人の資源」「場所のニーズ」「アイデア」を編集、模索し、来るべき時代の手法を開発し、社会を変えたい

自身の未来ビジョンが書かれたフリップを掲げる中川悠さん

「リ☆パブリカンNeo Who’s Who…何故彼らは社会を変えたいのか? 2025年のリーダー像を探る…」 その1

(本インタビューは、WEBRONZAで掲載してきた「リ☆パブリカン)」の新バージョンである「リ☆パブリカンNeo」として行ったものです。)

中川悠NPO法人チュラキューブ代表

理事/株式会社きびもく代表取締役/イシューキュレイター

聞き手:鈴木崇弘(城西国際大学大学院国際アドミニストレーション研究科客員教授)

日本社会に元気がない。その状況に対して、日本人の多くは、どうしていいかわからず、戸惑いし逡巡し、閉塞感の中にある。そして、その閉塞感に対して、なかなかブレークスルーが見いだせないでいる。それはなぜか。日本人の多くは、ブレークスルーには、何か突飛なことやユニークなこと、とてつもないオリジナリティが必要なのではないかと考えがちだからだ。

それに対して、本インタビューで紹介する中川悠さんは、編集力という視点から、「人の資源」「場所(のニーズ)」「アイデア」を組み合わせることで、その一つひとつは必ずしもものすごくオリジナリティーがなくても、他の方々では思いもよらなかった新たな手法や仕組みを生み出している。

中川さんは、その「編集力」を駆使して、大阪や関西を元気付けるべく尽力している。まさにその「編集力」は、新しい時代のリーダーにおける一つの重要な要素なのではないかと思う。

―本日はよろしくお願いします。中川悠さんは、大阪や関西を元気づけるために、本当に様々な活動をされています。アート的な活動から障がい者支援事業など、一見すると、失礼な言い方になるかもしれませんが、活動に脈絡がないように見えます。

中川さんのそのような多種多様な活動の源泉は何なのでしょうか。

中川悠さん  まず私のバックグラウンドからお話しさせてください。

私の母方は、精神病院を開業していました。今もその病院はあります。そのため、祖父に会い行くと、精神を病んだ方々を、子どもの時から見てきました。また父は義足の研究者なので、子どもの時から、脚の無い方が実家に来たりしていたわけです。子どもの頃からそんな環境にあったわけです。

そして、その後、雑誌の編集者になりました。そして、町や地域の衰退や課題を知り、「街」を意識するようになりました。その雑誌の編集者であった時に、インターネットが台頭してきていました。それに対する危機感から、所属の会社からは、雑誌の記事などに「URL」を記載することは禁じられました。また「ホットペッパー」のようなメディアも出現し始めていたわけです。

そんなことから、雑誌なども、他の媒体・メディアなどから脅威を受けることがあることを知ったわけです。そんなことから、雑誌が無くなる可能性もあり、自分はいつかはキャリアチェンジをすることになるだろうと考えたわけです。またクリエータをまとめて、行政と仕事などもしていたわけですが、クリエータの現状も知ったわけです。

それで、キャリアチェンジをどうせするなら、早くした方がいいと考えたわけです。また、これまでお話ししたような経験から、食えないクリエータの現状、衰退する地方・地域、困っている障がい者などの問題や課題を知っていたものですから、これまでに経験のある「編集者」として、それらの問題などに対応していきたいと考えたわけです。つまり、「編集」の力で、日の当たらないところに、光を当てたいと思ったのです。そこで、それを実現するために、起業したのです。

―そうですか。これまでの人生の点が結びついて、線になり、面になったわけですね。スティーブ・ジョブズのスタンフォード大学での卒業式での伝説的なスピーチ”Connecting the dots”のような感じですね。その「編集力」について、もう少し説明していただけませんか。

中川さん  私は、このようなキャラなので、いつもいろいろな方から相談が来るわけです。他方、いろいろあるネタをうまく「編集」できる人は少ないのです。私は、これまでの経験からも、それぞれの目線で見ることができるので、今のような形になってきています。

いくつか例を挙げさせてください。

精神障害の就労支援施設があるのですが、そこで2009年に冷凍のロールケーキをつくりました。その施設には、元々パン工場がありました。障がい者の方は、体調が悪いと働くことができなかったりすることが多いのですが、就業率を上げたいので、代わりに健常者の職員が働いていたのです。それに対して、冷凍のロールケーキであれば、障がい者が元気な時に作って保存できるので、安定的につくり、販売が可能になります。

では、なぜ「冷凍」にすることを考えたかというと、編集者であった時に、全国の冷凍品を取材し、冷凍品は面白いという経験をしていたからです。

このように、「冷凍」と障がい者の製品づくりの状況を結び付けることで、就労支援施設が安定的に運営できるようになり、社会的課題解決に結び付くようになったのです。

もう一つの事業、お墓参り代行サービスも同じです。高齢化や遠隔地居住などで、お墓参りが難しくなってきており、代行サービスへの需要が高まっています。他方、障がい者は、対人や時間などの拘束がない働き方ではその特性を活かせます。そこで、市場のニーズと障がい者の得意分野のひとつを結びつけた事業として、障がい者がお墓参りを代行するサービスをつくったのです。この仕事は、障がい者の他の仕事と比較しても、高い工賃を提供できますので、依頼者も依頼された障がい者もハッピーになれるのです。これも、一つの「編集」だといえます。

私は、そのようなことを、課題を見極め、さまざまな要素を編集して、問題に対処・解決するという意味で、「イッシュー・キュレーション(issue curation)」と呼んでいます。そして、それをする人を「イッシュー・キュレーター(issue curator)」と呼んでいます。私自身、そうだと自負しているのですが、その言葉はなかなか広まりません(笑)。

―「編集力」、確かに面白いですね。今お話になられた以外にも、何かされていることはおありですか。

中川さん  大学でも教えているのですが、編集力を身に付ければ、社会や街の問題や課題を解決できると考えています。

たとえば、障がい者と街の課題を考えた場合、「障害者の得意な作業」「多くの人が集まるビジネス街」「ビジネス街で働く人のニーズ」の3つのことを掛け合わせて、解を得る必要があります。

私は、仕事の関係で、東京、大阪、京都、名古屋などの街をみてきていますが、どこでも同様の課題があると考えています。それは、障がい者の就労施設では、「(障がい者は働けないことがあるので、施設をうまく回していくには代わりに)職員がきちんと働かないといけない」「施設が郊外にあり、商品をつくっても売れるはずがない」などというものです。

そのような課題を解決するために、施設を消費の多い都市部に持ってくる必要があると考えました。街にあれば、障がい者も刺激を受けるし、街に通う訓練にもなるわけです。

そのような発想で一昨年(2014年)9月にオープンしたのが、カフェ「Give & Gift」(注:本インタビューは同カフェで行われました)です。障がい者が働ける場所を街の消費の中にもってきたわけです。そして、オフィス街にあるので、「スピーディーに美味しいものを食べたいというニーズ」と「私たちが提供できるもの」を掛け合わせて、営業をしています。福祉かどうかという視点で営業しているのではないのです。このビルは、1階がカフェ、2階が福祉施設、3階がデザインオフィスになっています。2階では障がい者の方々が仕事をしていますが、そのことを故意に見せて、福祉施設として人を呼ぶような必要はなく、障がい者の方も利用されるお客さんなどの全員がハッピィーになれば良いと考えています(注)。

そして、先にお話ししたこととも関係するのですが、「真空」にすれば酸化が防げますし、「冷凍」すれば保存できるようになるので、それらの手法を活用すれば生産に追われなくとも生産ができるようになるので、障がい者の力を活かせるのです。その利点を活かして、このカフェでは、障がい者がつくり冷凍できるメニューを出しているのです。

この話からもわかるように、「人の資源」「場所(のニーズ)」「アイデア」を組み合わせて、できるだけ波及効果のあるアクションをとってきています。

同様のことは、六甲や堺などの街づくりに関わることでも、発揮して、頑張っています。そのような場合、私がやり方や手法を伝えることが大事だと思っています。関西、特に大阪は、まだまだ実践を積み重ねている段階だと考えています。それに地域によってロジックなどは異なっていますから、地道に現場で実践を続けていくのが良いと考えています。話や講義だけをしても、なかなか現場ことは伝われないのが現実なのです。

―なるほど。伝わらない実例として、何がありますか。

中川さん  そうですね。たとえば、クラウド・ファンデイングの事業があります。このやり方を大阪で広める事業をしました。事業後、相談は70件以上あり、実現できたのは10数件。その中には、そのやり方を悪用したり、簡単にお金が集まられると誤解しているような事例も多かったわけです。この経験から、手法だけ伝えたところで、成功しないのだと気付いたわけです。それで、この事業は止めたわけです。

企画をたて、発信するという意味では講義も意味があり、価値がありますが、それだけで、人が育つことにはならないのです。

社会を変えるには、いろいろな人生や思いのある人があることで実現出来ると思っています。その意味で、事業や講義で、自分のアバターをつくるだけでは意味がないし、そのようなことに興味はありません。

―最後に、中川さんの今考えていらっしゃることやこれからに対するお考えをお聞かせください。

中川さん  私は、先程お話したような仕組み、たとえばお墓参り代行や都市型障がい者就労支援施設などが、社会に広がっていってほしいという願望があります。また、それらの仕組みや手法をカリキュラムにして、学生や町の人々に教えることで、彼らに気づきを与えているという自負もあります。そして、「ピュアな果実」ともいうべき自分が信じることを、行い続けていきたいあるいは実現していきたいと考えています。

ご存じのように、日本は、人口減、高齢化、高齢福祉化など多くの問題があり、大変革期を迎えるでしょう。そのような来るべき時に対して、私はいま手法を開発しつつあり、それらを活かす時期が必ずくると考えています。つまり、未来における課題の解決方法を今、模索しているわけです。

その意味で、私は、挑戦し続けて、模索し、それを繰り返していく人生を続けていきたいと思います。

これからのことを考えると、今後は多くの工場がなくなるでしょう。その半分を福祉施設にするとか、これまでの市場経済的な経済の手法ではなく、社会福祉的資金で障がい者などが自立できるようにするというようなことが考えられます。

またロボット、ITやクラウドなどのテクノロジーには、それらの問題や課題もありますが、可能性もありますので、関心もあります。

これらからのさまざまな大きな変化に対して、必要な時には、自分一人ではなく、ネットワークで動いていきたいと考えています。また、社会が、仕事に関係なくても、社会の問題などに気付いた人々が、問題や課題が起きた時に、繋がり、相談して、それらを解決していくようになっていってほしいと考えています。

―本日は、中川さんのお人柄と前向きさが表れたお話し、ありがとうございました。

(注)多くの障がい者の親御さんからも、関心を持たれて、カフェを見学してみたいという要望があるそうです。

鈴木コメント

本インタビューではなかなか感じにくいが、中川さんの関西弁の軽妙かつユニークな語り口は、話し相手に、安心感を与える。そんな中川さんだからこそ、多くの人や多くの情報、多くのアイデア・意見が集まってくるのだろう。正に、人や情報のハブ的存在なわけだ。そのような存在だけであれば、中川さん以外に別の方がいるだろう。

だが、中川さんは、その集まってくる人脈・情報・アイデア・意見を、決して死蔵・私蔵するようなことはしない。「人の資源」「場所(のニーズ)」「アイデア」の視点から、それらを自由に組み換え・編集し直し、新しいものをオープンな形でつくり出し続けているのである。そして、社会に貢献しようとしている。

中川さんは、正に社会における「編集者」だと思う。しかも、中川さんは、単に口舌の徒ではなく、編集したアイデアを実現する実践者でもある。

中川さんは、ご自身で指摘しているように、今は来るべき時代に備えて、新しい手法や仕組みを開発している段階だという。これからも、多くの新しい手法等が生まれてくるだろう。ぜひ、「中川編集銀行」に多くの手法やアイデアを貯金しておいて、これからの日本社会の可能性に活かしていただきたいと思う。

中川悠(なかがわ・はるか) NPO法人チュラキューブ代表理事/株式会社きびもく代表取締役/イシューキュレイター

株式会社講談社KANSAI1週間編集部での情報誌編集業務、アートギャラリー運営などの経験をもとに、2007年にNPOチュラキューブ/株式会社きびもくを起業。

20代からクリエイターのビジネス促進を目標に掲げ、大阪府や近畿経済産業局などのマッチングイベントのファシリテーターを担当。

その他にも、障がい者施設の工賃向上を目指したお墓参り代行サービスビジネスの立ち上げ、オールドタウン化する団地やニュータウンのコミュニティ再生を目的とした「PIC六甲アイランド」のキャプテン、クラウドファンディングサイト「キッカケ」の代表を務めるなど、人と街を元気にするため様々なプロジェクトに尽力。

近年では、障がい者の「働く環境」をプラスにする一助となるべく、就労継続支援B型の福祉「GIVE&GIFT cafe」を淀屋橋にオープンさせた。