最近、政治とメディアの関係が話題になることが多い。その際に、政治や政権の方から、「メディアは中立性であるべきだ」といわれることがある。

だが、筆者としては、新聞やTVさらにネットなどのさまざまなメディアが、政治や政策について報道したり、語ったりする場合、個々のメディア自体が中立であることは不可能であると考えている。

それは、政治や政策は、取り上げるにしろ、取り上げないにしろ、あるいはまた説明や解説をするにしろ、何らかの政治的価値観がない限り、その選択や説明などはできないからだ。

もしメディアに中立性があるとすれば、それは、個々のメディアがそうなのではなく、さまざまな形態やさまざまな価値観に基づくメディアが社会に存在し、その多様性、多元性によって、社会全体としてさまざまない意見や考えが示され、多様な議論が行われ、全体としてメディアの「中立性」が担保されることであろうと考える。それこそが、社会に多様性があることを前提にした民主主義社会における「中立性」であるといえる。

また、そのような多様なメディアや多様な価値観・意見が存在するには、個々人や個々のメディアが個々に「独立」してことが必要である。それは、別の言い方をすれば、「独立性」こそが、メディアにおける「中立性」を担保するものであるということができる。そして、その「独立性」が担保されるためには、表現の自由、言論の自由、報道の自由などが必要である。それらの自由の権利は、人類の長い歴史の中から生み出されてきたものである。

私たちが、メディアにおける「中立性」を考えるときには、これらのことを思い起こすべきだ。特に影響力のある政治や政権の側は、それらの点に留意すべきであろう。