【フランス】いよいよ美術館再開。「カイユボットの家」の特別展を一足先にご紹介します。

「カイユボットの家」の敷地内にある美術展会場の入り口(写真はすべて筆者撮影)

5月19日からフランスではいよいよ美術館博物館等が再開されます。

それに先立って展覧会のプレス発表のお知らせが続々と届くようになりました。

今日はそのうちの1つを紹介します。

以前、この記事の中で「カイユボットの家」をご紹介しました。印象派の画家ギュスタフ・カイユボットが暮らしたパリ近郊の邸宅が、今は博物館として一般に公開されているというものです。往時の裕福なブルジョアのセカンドハウスである敷地には厩舎がありましたが、今はそれが大改装されて、立派な展覧会もできるようになっています。

今回の展覧会「Paul DURAND-RUEL et le post-impréssionnisme (ポール・デュラン=リュエルとポスト印象派)」は、コロナ禍のためにほぼ1年延期になっていましたが、この5月のロックダウン明けにいよいよ幕を開けることになりました。

パリから南東へ車でおよそ45分。イエール市にある「カイユボットの家」。あいにくの雨でしたが、そのぶんさらにみずみずしい新緑に迎えられました
パリから南東へ車でおよそ45分。イエール市にある「カイユボットの家」。あいにくの雨でしたが、そのぶんさらにみずみずしい新緑に迎えられました

かつての厩舎(左)が改装されて美術展の会場になっています
かつての厩舎(左)が改装されて美術展の会場になっています

ポール・デュラン=リュエルというのは、パリの画商の名前。19世紀後半から20世紀にかけて活躍した人で、バルビゾン派、印象派、ポスト印象派といった、当時としては前衛の画家たちを支援した画商です。ルノワールやモネとも親交が厚く、ルノワールは彼の肖像画を残していますし、モネの有名な連作「ルーアン大聖堂」が初めて一般に公開されたのも彼の画廊というように、印象派の歴史のキーマンといえる人物です。

展覧会の最初の絵は、ルノワール作のポール・デュラン=リュエルの肖像画(1910年制作/個人蔵)
展覧会の最初の絵は、ルノワール作のポール・デュラン=リュエルの肖像画(1910年制作/個人蔵)

今回の展覧会では、ポール・デュラン=リュエルが支援した5人のポスト印象派の画家たちの作品60点が展示されています。

5人の名前は、Albert ANDRÉ(アルベール・アンドレ)、Georges d'ESPAGNAT(ジョルジュ・デスパニャ)、Gustave LOISEAU(ギュスタフ・ロワゾー)、Maxime MAUFRA(マキシム・モフラ)、Henry MORET(アンリ・モレ)。

どうでしょう? みなさんこの画家たちのことをご存知ですか? 

アート好きでも、おそらく初めて聞いたというかたが多いと思います。何を隠そう、わたしを含め、今回の内覧会に参加したジャーナリストも同じようなもの。つまり本国フランスでもそれほど知られていない、というか、ビッグネームとはされていない画家たちなのです。

ところが、と言っていいでしょうか。展覧会を巡ってみた感想はとてもすがすがしいもので、(いい絵を見た)と、素直に思えるものでした。そんなふうに感じたのはわたしだけではないようで、「デスパニャの絵の前で声がでなくなった」とか、「ものすごく充実していた」と、興奮気味に語る人たちもいるほどでした。

 Georges d'ESPAGNAT (1870-1950) Crique au Lavandou  ジョルジュ・デスパニャ作「ラヴァンドゥの入江」
 Georges d'ESPAGNAT (1870-1950) Crique au Lavandou  ジョルジュ・デスパニャ作「ラヴァンドゥの入江」

Maxime MAUFRA(マキシム・モフラ)の作品のコーナー
Maxime MAUFRA(マキシム・モフラ)の作品のコーナー

Albert ANDRÉ(アルベール・アンドレ)作品のコーナー
Albert ANDRÉ(アルベール・アンドレ)作品のコーナー

作品が素晴らしいというのは展覧会の一番の価値ですが、この企画にはまた別の意味合いもこめられています。画商の名前が最初にきているタイトルに象徴されるように、展覧会では、画家と画商の関係、画商が美術の潮流に果たす役割という伏線があるのです。

ポール・デュラン=リュエルには画商としての先見性がありました。具体的にいうと、画家ごとの口座を作り、まとまった数の作品を定期的に購入するかわりに、絵の具やキャンバスなどの画材だけでなく、それぞれの展覧会開催の経費、さらには住居費などもその口座から支払えるようにしたこと。つまり画家たちが生活に困らない状態で制作活動を続けていかれるようなシステムをつくったのだそうです。

しかも彼は、パリの画廊でたびたび彼らの展覧会を開催するだけでなく、当時勢いをましていたアメリカはニューヨークにも支店を設け、作品の販路を広げました。それによって、保守的な画壇から異端児扱いされていた印象派、そしてポスト印象派の人気がまずは新世界で広がり、それが逆輸入される形で本国での知名度獲得へとつながっていくことになりました。

展覧会の企画委員のひとり、美術史家のClaire Durand-Ruel Snollaets(クレール・デュラン=リュエル・スノラエッツ)さんは、ポール・デュラン=リュエルの玄孫にあたる女性
展覧会の企画委員のひとり、美術史家のClaire Durand-Ruel Snollaets(クレール・デュラン=リュエル・スノラエッツ)さんは、ポール・デュラン=リュエルの玄孫にあたる女性

ところで、(絵では食べていけない)というのはよくいわれることで、いまでこそ1枚何億円もするゴッホ作品は、画家の生前にはほとんど見向きもされなかったというのは象徴的です。いっぽう、カイユボットのように富裕層に生まれ、食べてゆくことを考えずに絵に打ち込むことができた画家もいます。

そして今回の5人の画家はといえば、それぞれの出自、環境は異なるものの、いずれも気が触れるほどの困窮を味わうことなく、人の目に触れ、手に渡る作品を描き続けていました。後世、つまり現代のわたしたちにとってそれほど有名ではありませんが、今回の展覧会に並んだ作品を見れば、それぞれが独自の世界の高みを極めていったことは明らかです。

画家として、モノを創る人間として、何が幸福で何が名誉なのか。

すでにこの世にない彼らからその答えを聞くことはできません。とはいえ、彼らの作品の前に立てば、観るという行為を通じていわば100年前に生きていた彼らの思いを共有できるような気がします。それは印刷物や液晶画面では味わえない醍醐味。沈黙の季節のあとだからなお、本物に向き合える展覧会の幸福をしみじみと感じるのでした。

Georges d'ESPAGNATの作品のコーナー
Georges d'ESPAGNATの作品のコーナー

展覧会の様子はこちらの動画でもご紹介しています。

現地の空気感をすこしでもお伝えできれば幸いです。