サンジェルマン通りからセーヌへと抜ける道を歩いていて、(おやっ)と立ち止まった。小さな間口から昭和の日本にタイムスリップしたような光景が奥に広がっているのが見えた。未体験ゾーンの引力に吸い寄せられるようにして中へ入れば、提灯の下、フランス人がカウンターでもの馴れた様子でラーメンをすすっている。午後2時すぎ、お昼を食べ損ねていたわたしはちょっとどきどきしながらカウンター席に座った。 それにしても…と、愉快すぎる内装をキョロキョロと眺めているうちに、注文の「地鶏塩そば」が目の前に表れた。澄んだスープの上のルッコラとトマトが鮮やか。器も海苔もまぎれもなく日本風のラーメンだが、見た目の第一印象にどことなくフレンチテイストを感じる。まずはひとくちスープを含めば、すっきりと、それでいてじんわりと深みのあるコクが口中に満ちる。やや細めのすんなりとした麺のコシはきもち柔らかめ。かといってフランス人が好むゆで過ぎまではいかないちょうどいい塩梅で、噛んでいる途中でほんのりと冠水の香りが漂う。

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「一風堂」がいよいよパリにもオープンというのが近頃話題になっていたのだが、まさしくそこから歩いてすぐのところでのこのラーメン屋さん「こだわり」の出現は、“突如”というくらいの発見。しかも“なんちゃって日本食”とは桁違いの味だったのが嬉しくて、率直な感想が口に出た。

「美味しいです。日本にいるみたい」

「ありがとうございます。そう言っていただけると嬉しいです」

厨房の内側で休みなく手を動かしながら、控えめな物腰でそう答えたのは廣木政喜(ひろきまさき)さん。この店のシェフだ。

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彼の来し方は聞けばきくほど興味深い。東京・上野の生まれで、22歳のときフランス料理修業を目的に渡欧。ドイツ・デュッセルドルフの「ホテル日航」で2年、その後パリで「ルカ・カールトン」を皮切りに、地方も含めて星付きの名店で経験を積み上げてきた。三つ星「ピエール・ガニエール」のロンドン出店にあたってオープニングを任されたというのだから、腕前のほどが推し量られる。

「ほんとうはね、ビストロをしようと思ったんですよ」

独立するにあたって、当初の彼の考えはフレンチ。ラーメン屋などつゆほども思っていなかった。ところが、共同経営者のフランス人、ジャンバティスト・ムニエ氏が「絶対にラーメン屋」、しかも「あなたの腕が欲しい」という情熱に押されるかたちで廣木さんの新しい道は始まった。

やるからには納得できるものをと、まずはラーメンの材料の成分を徹底的に調べるところから始めた。フランスの小麦粉はパン用の強力粉かお菓子用の薄力粉。どちらも麺にするには向かない。日本のラーメンにひけをとらないものを出したかったから、当然輸入も考えが、結果的には独自の方法を編み出した。フランスの製粉会社と契約し、ノルマンディーの専用畑で収穫した小麦から、灰分、タンパク質の割合なども「こだわり」独自の小麦粉を作ってもらい、年間百トン単位で入手。それを使い、廣木さんみずからが毎日製麺にあたる。それだけでなく、「経営者泣かせ」と彼自身苦笑いする材料は、卵、肉はもちろん、昆布、煮干し、鰹節などどれも最高のものばかり。

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「料理人としてのプライドです。けれどね、じつのところ、いい食材を使うのが、いちばん安全で間違いがない。フレンチをやっていたころのブイヨンにしても、いい素材からとったものは雑味がないんですよ」

化学調味料は論外。出汁用の日本酒も大吟醸を使うという、文字とどおり「こだわり」が貫かれている。

ところが、この「こだわり」という店名に彼は大反対だった。

「こだわりっていうのは、口に出すものじゃない。しかも料理人がそれを言っちゃあ、ねえ…」

同じ日本人として、廣木さんの気持ちはよくわかる。だが、そんな繊細な心の機微はフランス人には通らない。「これだけこだわっているんだから」と声を大にしたい気持ちは、内装ですでに一目瞭然。横浜のラーメン博物館や東京の路地をフランスの建築家が訪ね歩き、それを映画のセットなどを手がける人たちが形にしたもので、外国人にだからウケる日本ではなく、わたしたち日本人がまずうれしくなってしまうくらいディテールにこだわった、懐かしい昭和の風景がぎゅーっと凝縮されている。

店はオープンして1週間。宣伝もせずに始めて、最初の2、3日は静かなものだったそうだが、フェイスブックにどんどんアップされてたちまち連日満員御礼。パリの日本食エリアといえば、オペラ座界隈が有名だが、この「こだわり」と「一風堂」、ふたつのラーメン屋さんの出現でサンジェルマンデプレがにわかにパリのラーメン銀座になった。

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