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ベトナム人女性が直面した債務労働と技能実習制度のひずみ=コロナ以前から彼女が経験していた搾取と差別

巣内尚子研究者、ジャーナリスト
ベトナムの女性と街中(筆者撮影、ベトナム)

 新型コロナウイルスの流行と自粛に伴う景気悪化の中、技能実習生の中に仕事を失うリスクに直面する人が出てきている。ただし技能実習生を取り巻く困難は今に始まったことではない。日本の外国人技能実習制度の下で技能実習生の諸権利が制限されるとともに、債務問題などにより、技能実習生は前からリスクにさらされやすい存在であった。新型コロナウイルスとそれに伴う景気低迷で、以前からあった技能実習生の課題が浮き彫りになった上、技能実習生の中でさらに困難な状況に置かれる人が出ているのである。

◇子どものために来日を決めた母親

 仕事がないという理由で、4月末から会社の寮で待機しているのが、ベトナム出身の技能実習生の女性、ニュンさん(仮名)だ。ニュンさんの働く縫製工場は仕事が減っており、現在は仕事に復帰できるめどが立っていない。

 外出自粛に伴いアパレル各社が苦戦する中、仕事を受注している縫製工場にも影響が出ている。

 しかし、ニュンさんの苦境は今に始まったことではなかった。

ベトナムの親子(筆者撮影、ベトナム)
ベトナムの親子(筆者撮影、ベトナム)

 1986年の改革開放政策「ドイモイ」の採択を受け、ベトナムが急速に変化の時を迎えた90年代初め、ニュンさんはベトナムの農村で生まれた。農民である両親はベトナム戦争世代だ。

 

 故郷の農村で育ったニュンさんは高校を卒業後、若くして結婚し、これまで夫婦で働き続けてきた。来日前は、故郷の両親に子どもを預け、ベトナムのほかの省に夫婦で働きに行っていた。現地の縫製工場の工員として働き月収は700万ドン(約3万1700円)。夫の稼ぎと合わせて夫婦の収入は月に1500万ドン(約6万7930円)だった。しかし、経済成長の一方、物価の上がるベトナムで「子どもたちを育て上げるには、この収入では不十分でした」と、ニュンさんは語る。そのため、彼女はより高い収入を得たいと、日本行きを希望した。

 ベトナムは冷戦時代、政府主導で旧社会主義圏に労働者を送り出していた。ベトナム人労働者が旧東ドイツ、旧ソ連、旧チェコスロバキアなどに送り込まれていたのである。

 その後、ドイモイを経て、ベトナムの外交関係の広がりなどを受け、ベトナム政府が自国民の海外就労を推進する「労働力輸出」政策をとる中、送り出し先は台湾、韓国、日本など東アジア諸国へ移っていった。またサウジアラビアなど様々な国へもベトナム人労働者が働きに行くようになり、ベトナムからの正規ルートでの労働者の送り出しは増えてきた。

 

 この流れの中、現在、ベトナム人にとって日本が重要な就労先となっている。特に日本の外国人技能実習制度を通じた技能実習生としての来日が増えている。

ベトナムの女性(筆者撮影、ベトナム)
ベトナムの女性(筆者撮影、ベトナム)

 90年代にスタートした外国人技能実習制度は、「国際貢献」という建前を掲げながらも、実際には中国やベトナム、インドネシア、フィリピンなどアジア諸国出身の労働者を日本の様々な産業部門に動員する仕組みとして機能してきた。

 外国人技能実習制度において技能実習生は原則、受け入れ企業を変更できない上、家族を呼び寄せることもできないなど、その諸権利は制限を受けている。受け入れ企業は様々で、技能実習生を大事にするところもあるものの、技能実習生の権利が抑制される中、長時間労働や賃金未払い、パワハラ、セクハラなど技能実習生への人権侵害が後を絶たないことは、読者も知るところだろう。

 

 外国人技能実習制度が問題を抱えながらも、技能実習生の受け入れは拡大し、法務省の発表(2020年3月27日)によれば、「技能実習」の在留資格で日本に滞在する外国人は2019年末時点で、41万972人に上った。40万人を突破した上、前年からの伸び率は25.2%と2桁増を記録した。

 技能実習生は日本各地の企業で働き、各地の産業を支えている。もはや技能実習生なくして事業ができないという企業もあるだろう。この技能実習生の中で増加が目立つのがベトナム人なのである。

 また、注目されるのが、ベトナム人技能実習生に占める女性の存在だ。ベトナム人女性もまた、男性と同様に、単身で海外に働きに行く。ベトナムでは女性は家族のために家庭内での家事・育児・介護など家事労働の責任を担う上、稼ぎを得ることも求められる。海外に働きに行くことは、女性たちがジェンダー役割を果たすための機会となるのである。言い換えれば、女性たちもまた、リスクのある移住労働に出ることが求められる場面があるのだ。

◇債務労働

ベトナムの農村部。技能実習生の多くが農村出身者だ(筆者撮影、ベトナム)
ベトナムの農村部。技能実習生の多くが農村出身者だ(筆者撮影、ベトナム)

 ベトナム―日本間の移住労働において特筆されるのが、ベトナム、日本の両政府の政策を受けた技能実習生の送り出し・受け入れにおいて構造的に債務労働が生じていることである。

 外国人技能実習制度において、ベトナム側では送り出し機関、日本側では監理団体が受け入れ企業と労働者をつなぐ役目を担う。この際、労働者はベトナム側の送り出し機関に多額の手数料を支払う。また、日本の受け入れ企業は監理団体に対し、紹介料や毎月の手数料を支払う。送り出し機関にとって監理団体、受け入れ企業は「顧客」ととらえられ、中には送り出し機関が監理団体、受け入れ企業に接待やキックバックを提供するケースもある。技能実習制度の下での技能実習生の送り出し・受け入れにおいて、様々な形でお金が動く仕組みが構築されており、一つの産業となっている。

 そもそもベトナムでは送り出し機関は「仲介会社」「労働力輸出会社」と呼ばれる営利企業だ。そして送り出し機関に支払う多額の手数料を調達するため、ベトナム人労働者が債務を背負うことが一般化してきた。筆者の聞き取りでもベトナム人労働者の多くは、正規のルートで移住労働をするにもかかわらず、出身地の所得水準では返済しきれない多額の債務を背負い移住労働に出ていた。

 日本行きを希望したニュンさんも海外で働くために借金を背負った1人だ。

 ニュンさんは来日前、仲介者3人を経て、送り出し機関の紹介を受けた。仲介者が送り出し機関を紹介することはよくあるが、彼女の場合、関わった仲介者が3人と少なくない。結果、ニュンさんは仲介者3人に計2600万ドン(約11万7747円)を手数料として支払った。

 さらに都市部にある送り出し機関に、渡航前研修の学費などと合わせ計1億7000万ドン(約76万9890円)を支払った。結局、様々な費用として来日におよそ2億ドン(約90万5750円)を費やした。

 ニュンさんの貯蓄ではこの費用をすべてまかなえず、彼女はベトナムの国営銀行である農業地方開発銀行(アグリバンク)から1億5000万ドン(約67万9310円)を借り入れた。ベトナムでは前述したように政府が労働者の海外送り出し政策をとっており、国営銀行が移住労働希望者に手数料のための貸し付けを行っているのだ。ニュンさんは子どものために、これほどの借金を背負ってでも日本に行き、お金を稼ぎたいと考えたのだ。

◇「死んでしまうのではと不安だった」

 ニュンさんが来日したのは、数年前。到着したのは真冬の時期だった。彼女はとある地方の縫製工場で働くことになったのだ。

 

 しかし、債務を背負ってやってきた日本で、ニュンさんはすぐに過酷な就労を迫られることになる。

 仕事は午前7時半に始まり、終わるのは夜10時。それからトイレ掃除をし、部屋に戻る。そして部屋の片づけをしてから、入浴。その後、夕飯を作り、食事をとる。一息つけるのは夜12時すぎだった。それから寝て、朝になるとすぐに仕事という日々だった。

 

 休みは多くて月に2日だけ。まったく休みがない月もあった。縫製の技能実習生の多くは女性で、ニュンさんの同僚もベトナム人女性だった。ほかの女性たちも同様の働き方を強いられた。

 寮は工場と同じ建物内にあり、小さな部屋に女性技能実習生18人が詰め込まれた。かろうじてエアコンはあったものの、テレビもない部屋で、多数の技能実習生との共同生活だった。寮費は1人当たり月に2万円だった。ほかに水道光熱費として月1万円徴収された。18人で使った部屋に対し、18人合わせて家賃だけで36万円とられていたことになる。

 

 一方、これだけ長時間働いても、給与から家賃などが引かれた後、彼女たち技能実習生が受け取るのは月に8~9万円だけだった。会社は技能実習生の就労時間をきちんと管理しないばかりか、残業代を払わず、いくら働いても受け取る金額はこの程度にとどまっていた。

 この就労状況と生活環境からニュンさんたち技能実習生は体調を崩した。

 ニュンさんは「私は来日前を含めて仕事の経験がたくさんありました。でも、日本のあの会社での働き方では、健康を害してしまうと思います。当時は、病気でも病院に連れて行ってもらえなかったので、もし運が悪ければ、突然死んでしまうのではないかと、不安でした。今でもあの会社での出来事を思い出すと、とても怖いです」と語る。

 筆者は、ニュンさんの同僚だった元技能実習生の女性に別の機会に聞き取りをしたことがある。インタビューの場所は台湾だった。

 この女性の場合、ニュンさんと同じ会社で働く中、体調を崩してしまい、渡航に際してできた借金を返し終えることができないまま、中途で帰国せざるを得なかった。しかしベトナムで働くのでは借金を返すことができないため、今後は台湾に働きに行くことを決めた。台湾行きにあたっても、やはり手数料の支払いのために借金をしている。「日本行きでできた借金を返しながら、家族のために貯蓄するには、借金を背負ってでも台湾に行く以外に選択肢がなかった」と、彼女は話した。

 また、ニュンさんが働いた会社の社長は技能実習生の女性たちに対し、「バカ」など様々な暴言を繰り返した。女性たちにものを投げつけることもあった。けれど、技能実習生の多くは債務を背負い来日している上、家族への仕送りの責任もある。ニュンさんと多くの同僚はこの状況の中でも、必死に耐え、働き続けるほかなかった。

 

 技能実習生はそもそも、国境を越え、家族と離れ、たった1人で海外へ働きに行くことを選んだバイタリティーのある労働者だ。国境を越えて移動することで自分の人生を切り開こうとする主体的な存在である。しかし外国人技能実習制度を通じた移住労働において、送り出し機関に払う手数料のために債務を背負うことが一般化している上、日本では外国人技能実習制度の決まりで受け入れ企業を原則として変更できない。このような状況において、技能実習生は構造的にベトナム側の送り出し機関、日本の受け入れ企業、監理団体との間で、非対称な権力関係に置かれる。ベトナムから日本への移住労働において、技能実習生は構造的な要因から自身の持つ力をそがれていく。

◇トイレの制限、繰り返されるハラスメント

 過酷な環境の中、ニュンさんたち技能実習生はやっとの思いで外部に助けを求め、最終的に保護された。

 

 ニュンさんはその後、別の縫製会社に移ることになった。ただし、新しい会社も決して居心地が良いとは言えない。

 就労時間は午前8時半から午後5時半。残業もあるが、以前に比べて就労時間は改善された。

 ただし、休みは月に数日程度。また家賃や税金などが引かれると、手取りは12万円程度にとどまる。

 工場があるのは交通の便が悪い地域で、街中に出ていくことは容易ではない。

 さらに、ニュンさんをはじめ技能実習生の女性たちは、会社の上司からトイレに行くことについて頻繁に注意を受けてきた。

 ニュンさんは「技能実習生がトイレに行くときに、会社の日本人はいつも『トイレが長い』と言って注意します。そして、技能実習生がトイレに行く回数や時間を制限します。例えば、『この時間帯はトイレに入ってはいけない』というように言われます。それに、『トイレの時間が長い場合、その分の賃金を減らす』とも言われてきました」と説明する。

 ニュンさんの職場の技能実習生は女性しかいない。会社の人から、女性技能実習生はトイレに行く時間を注意深く見られ、トイレが長いと文句を言われたり、トイレの使用を制限されたりする。これはセクハラではないか。

 そして、新型コロナウイルスによりニュンさんたち技能実習生は寮での待機を命じられた。

 

 5月はこれまで仕事がなく、賃金が支払われるのか不明だ。また、いつ仕事に戻れるのかも分からない。来日するためにできた借金は生活費を切り詰めることでなんとか返済し終えたが、今後の見通しが立たない。

 ベトナムに暮らす夫は、現地の工場が操業を停止したため、仕事を失った。

 「これが私の家族です」

 ニュンさんが送ってくれた写真には、おしゃれをした彼女が夫と子どもと共にほほ笑む姿が写されていた。子どもは彼女に似て、涼しげな目元をし、じっとカメラをみつめている。夫は若々しいファッションに身を包み、子どもの肩に手を置いている。

 家族のため、子どものためにと、これまで様々な困難の中でも働き続けてきたニュンさん。彼女は今、先の見えない状況に追い込まれている。

 ニュンさんが今、苦境に立たされ、もがいているのは何故か。ベトナムの女性たちが抱える母や妻としての役割に加え、ベトナム―日本間の移住労働が構造的に持つ課題や外国人技能実習生制度のひずみが影響している。

 債務を背負っての国境を越える移住労働。職場を変えることができないなど、技能実習生の諸権利を制限し、技能実習生を受け入れ企業、監理団体などに対し、非対称な権力関係に置く外国人技能実習制度。その中で、技能実習生は以前から搾取と差別にさらされ、それでも働き続けてきた。しかし新型コロナウイルスによる景気悪化の中、技能実習生の脆弱性が露呈するとともに、より困難な状況に陥ってしまった。

 技能実習生は日本の産業を支えてきた貴重な存在だ。彼女たちのような技能実習生を支援するのは、技能実習生を受け入れてきた日本政府の責任だろう。より踏み込んだ支援が急務である。(了)

研究者、ジャーナリスト

東京学芸大学非常勤講師。インドネシア、フィリピン、ベトナム、日本で記者やフリーライターとして活動。2015年3月~2016年2月、ベトナム社会科学院・家族ジェンダー研究所に客員研究員として滞在し、ベトナムからの国境を超える移住労働を調査。一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了(社会学修士)。ケベック州のラバル大学博士課程に在籍。現在は帰国し日本在住。著書に『奴隷労働―ベトナム人技能実習生の実態』(花伝社、2019年)。

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