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カンボジア人技能実習生からの相談が増加(前編):言葉の壁・社会的孤立、多様化する実習生の国籍と課題

巣内尚子研究者、ジャーナリスト
カンボジアの女性たち(写真:アフロ)

 様々な問題が噴出している日本の外国人技能実習制度での技能実習生の受け入れ。最近では、技能実習生の国籍が多様化する中、支援者のもとでは、カンボジア人技能実習生からの相談が増えているという。長く内戦の続いたカンボジアから日本に技能実習生として働きに来る人がいるが、言葉の問題などがあり、問題に直面してもなかなか外部に相談できない状況にあるようだ。批判を浴びながらも技能実習生の受け入れが拡大しているものの、様々な背景を持つ技能実習生を支援する体制はまだ道半ばだ。

◆相次ぐカンボジア人技能実習生からの相談、性暴力の被害も

 「このところ、カンボジア人技能実習生からの相談が増えています。技能実習生というと、ベトナム人のことがよく報じられていますが、カンボジア人技能実習生にも様々な問題が起きています」

 佐賀県で技能実習生を支援する越田舞子さんはこう説明する。越田さんは日本語教室「国際コミュニケーションネットワーク かけはし」を運営しながら、技能実習生の労働相談を受けるなどして、無償で支援を行っている。もともと労働者の支援活動をしていたわけではなかったが、技能実習生との出会いから、たった1人で支援活動をはじめた越田さん。関連する行政機関に何度も何度も電話をかけるなどし、少しずつ支援を広げてきた。

 越田さんのところには、SNSを通じて日本各地の技能実習生から相談が舞い込む。ベトナム人技能実習生からの相談が少なくないが、最近はカンボジア人技能実習生からの相談もある。

 越田さんは「カンボジア人技能実習生の場合、言葉の問題に加え、ベトナム人技能実習生と同様に送り出し機関に支払う手数料のために借金をしていることもあり、問題があっても、声を上げることを怖がる傾向にあります。それでも最近、カンボジア人技能実習生からの相談が増えているため、カンボジア人もやっと声を上げるようになったのだと思います。最近では立て続けに職場で性暴力の被害に遭ったカンボジア人の女性技能実習生から相談が入ってきました」と話す。

◆言葉をめぐる課題

 カンボジア人技能実習生が外部に相談する際に、障壁となるのが、言葉の問題だという。日本においては、カンボジアの公用語であるクメール語(カンボジア語)を理解する日本人は少ない上、日本語を理解するカンボジア人の数にも限りがある。

 越田さんがカンボジア人技能実習生からの相談を受けるときは、日本に暮らすカンボジアの人たちがボランティアでSNSを通じて通訳をしてくれている。無償のボランティアが、カンボジア人技能実習生を支えているのだ。

 しかし、それでも相談を受けるのは簡単ではない。

 越田さんは「カンボジア人技能実習生の中には、クメール語の読み書きが十分にできない人もいます。SNSで相談を受けるときに、カンボジア人が通訳をしてくれるのですが、技能実習生がクメール語が十分にできず、カンボジア人同士であってもコミュニケーションに支障が出ることもあります」と語る。

 

◆戦争世代

 では、カンボジア人技能実習生とはどんな人たちなのか。

 筆者がカンボジア人技能実習生と最初に出会ったのは数年前のことだった。佐賀県で働くカンボジア出身の女性技能実習生を訪ねたのだ。

 佐賀市内で話を聞いたのが、カンボジア出身の女性技能実習生、エレナさん(仮名)とスレイさん(仮名)だった。

 エレナさんは1986年にカンボジア南部に位置するコンポンスプー州の農村部に生まれた。彼女より年下で、1993年生まれのスレイさんはコンポンチャム州の農村部の出身だ。私がこれまで聞き取りをしてきたベトナム人技能実習生の出身地も多くは農村部だったが、カンボジア人の技能実習生についても、やはり都市よりも農村の出身者が多いのだという。

 一方、日本外務省のホームページによると、インドシナ半島南部に立地し、ベトナム、ラオス、タイに国境を接するカンボジアの面積は日本の約2分の1程度の18万1000平方キロメートル。ここに約1630万人の人が暮らす。

 こうしたカンボジアの歴史において、忘れられないことは長きにわたる紛争だ。カンボジアはかつてフランスの支配下に置かれた。完全独立したのは1953年のことだ。一方、国境を接するベトナムでベトナム戦争が始まった後、カンボジアでは内戦が始まり、ポルポトによる虐殺をはじめ、泥沼の時代へと入っていく。和平協定が結ばれたのは1991年で、翌1992年に国連カンボジア暫定機構(UNTAC)の活動が始まり、1993年にUNTAC監視下で選挙が実施されるに至ったのだ。

 このように、戦争により国土が大きな被害を受けた上、ポルポト派による虐殺など、社会全体が打撃を受け、そこから回復し、さらに経済成長を促していくことは容易ではなかった。1999年に東南アジア諸国連合(ASEAN)に加盟し、やっと近隣諸国との連携が促されるようになった。世界貿易機関(WTO)への加盟は2004年と、2000年代に入ってからだ。

 国連開発計画(UNDP)によると、カンボジアの1人当たり国内総生産(GDP)は2017年時点で1230米ドルと、いまだ低い水準だ。貧困率もかつてに比べて大きく改善したが、2014年時点で13.5%となっている。

 ベトナム出身の技能実習生もその親世代はベトナムの戦争を経験した世代だ。ただし、現在日本で働くベトナム人技能実習生は1975年のサイゴン陥落以降、つまり「戦後」に生まれた世代か、あるいはベトナムが市場経済の導入に舵を切った改革開放政策「ドイモイ(刷新)」を採択した1986年以降に生まれた世代が多い。これに対し、スレイさんはより戦争に近い時期に生まれ、エレナさんにいたっては、和平協定の結ばれた1991年以前の生まれだ。いわば、戦争と戦後の困難を実体験として経験した世代のカンボジア人が日本に技能実習生として来ているのだ。

 3人きょうだいの一番上に生まれたエレナさんは中学を卒業した後、高校には行かず働いた。スレイさんは中学に1年通い、その後は学校に行っていない。

 こうしたあり方は、筆者が聞き取りをしたベトナム人技能実習生と差異がある。というのも、ベトナム人技能実習生は高校を卒業している人が多く、中には短期大学や専門学校で学んだという人もいるからだ。ごく少数だが、大学を出た後に技能実習生として来日する人もいる。

 90年代まで内戦が続き、経済規模がベトナムよりも小さなカンボジアでは、教育を受けることはそう簡単ではないということだからだろうか。あるいは、日本側の人手不足が深刻化し、日本企業の側で技能実習生の学歴をそこまで問わなくなったのか。

 話を聞けたカンボジア人技能実習生の数が限られるため、カンボジア人技能実習生全体の学歴の傾向は実際のところよくわからない。しかしカンボジアからの技能実習生の送り出しにおいては、高校を卒業していない人も送り出されているという現実があるようだ。

◆シングルマザーのエレナさんと海外への移住労働

 一方、エレナさんとスレイさんの来日の背景は、ベトナム人の技能実習生と通じるところがある。それは国境を超える移住労働が拡大する中、農村出身で経済的な課題を持つ人たちが国際労働市場へと入っているという状況だ。

 エレナさんは20代初めに見合い結婚をし、その後に娘が生まれた。カンボジアでは女性の結婚・出産年齢は日本より若いといい、20代初めでの結婚は一般的だという。けれど、エレナさんの結婚生活はうまくいかず、最終的に両親のもとに戻り、シングルマザーとして娘を育てることになった。

 そんなエレナさんは来日前、中国企業が経営するバッグの工場で工員として2年間働いたほか、たばこの会社で販売の仕事をするなどして働いていた。カンボジアでは最近、外資系企業の投資が増えている。特に、外資はカンボジアの賃金水準の低さを見込んで、労働集約型の産業に投資をするケースが少なくない。エレナさんもまた、カンボジアの産業構造の変化の中で、外資の運営する工場で働いていたのだ。中国企業のバッグ工場で基本給180米ドル、それに残業代が加わり月収250米ドルという待遇だった。

 戦争の時代を生きてきた彼女の父は学校には行けず、母は小学校に4年間通ってから働き始めた。父は最近まで野菜を売る仕事をしてきたが、今は引退して家にいる。母は野菜を売る仕事を続け、収入は月に150米ドル程度。工場に勤務する2人の弟の収入は月にそれぞれ170米ドルで、これにエレナさんの給与収入が加わると、世帯収入は月に740米ドルほどだった。カンボジアの所得水準からみると、さほど少ない額とは言えないが、6人家族と家族が多く、水や食品、ガソリンなどの費用がかかり、実際には生活はぎりぎりだった。両親と弟、そして自分の娘との生活をなんとかしなければならない。

 そんなとき、エレナさんは技能実習生として日本で働く道があることを知り、日本行きを決めたのだった。子どもを育て上げるとともに、家族の暮らしを楽にしたい。そんな思いが背中を押した。

 技能実習生の送り出し国は、かつては中国が圧倒的に大きな比率を占めていたが、最近ではベトナムが首位になった。さらにカンボジアやネパールなどからも技能実習生を送り出す動きが出ている。国際的な労働者送り出し/受け入れネットワークの形成が技能実習生の送り出し国の多様化を促し、カンボジアの農村部で娘を育てていたエレナさんの人生を変えた。カンボジアの農村部からも国際労働市場へと入る人が出てきており、彼女もまた自国を出て働く道を選んだのだ。

◆きょうだいも日本で技能実習生として働く

 スレイさんもまた経済的な問題から来日を選んだ。

 両親と6人きょうだいという8人家族に育ったスレイさんは来日前はイギリスの会社のアパレル工場で布地の裁断の仕事をしていた。この会社はスーツを作っていた。エレナさんと同じように外資系の会社で働いていたのだ。当時の給料は残業代を入れて200米ドルほど。残業代がこのうち月100米ドル程度というから、基本給は低い。基本給では足りないため、残業をしていた。

 しかし、それでもスレイさんの家族の経済状況は厳しかった。両親はキノコの栽培をしていたものの、キノコの価格が下がれば収入が減るなど、経済状況は不安定だった。

 そこでスレイさんの家族がとったのは、海外への移住労働という戦略だった。実はスレイさんの姉は妹に先行し、愛知県で技能実習生として働き始めていたのだ。そして18歳の弟もまた技能実習生として来日しようと計画している。

 スレイさんは「家族の経済状況は食べるだけで精いっぱいでした。だから、日本に行ってお金を稼いで、家族を助けたいと思いました。日本で貯金をして、家族に仕送りしたいと思ったのです」と語る。(カンボジア人技能実習生からの相談が増加(後編)に続く)

研究者、ジャーナリスト

東京学芸大学非常勤講師。インドネシア、フィリピン、ベトナム、日本で記者やフリーライターとして活動。2015年3月~2016年2月、ベトナム社会科学院・家族ジェンダー研究所に客員研究員として滞在し、ベトナムからの国境を超える移住労働を調査。一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了(社会学修士)。ケベック州のラバル大学博士課程に在籍。現在は帰国し日本在住。著書に『奴隷労働―ベトナム人技能実習生の実態』(花伝社、2019年)。

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