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海外組のリアル 「覚悟」(4) 狂った世界で生き残る資格

杉山孝フリーランス・ライター/編集者/翻訳家
(写真:アフロ)

ヨーロッパで何度も不運という壁にぶち当たり、一度は帰国を余儀なくされながらも、「最後の挑戦」と決めて、中居時夫さんは再び海を渡った。たどり着いたドイツで上昇気流に乗ったかに思われたが、突然クビを宣告される。それでも、中居さんは前を向き続けた。

<前回まで>

第1回「阿部勇樹が認めた才能」

第2回「カッサーノの称賛と最後に待ち受けた地獄」

第3回「日本人ブームに沸くドイツでの違和感」

身近になったが、軽くなった海外挑戦

クラブをドイツ4部リーグに初昇格させた主要メンバーで、チーム内得点王でもあったが、中居さんは2015-16シーズン半ばに突然の戦力外通告を受けた。リベンジとばかり、中居さんは5部リーグの首位クラブへ移籍する。

ツキは戻ってこなかった。移籍してすぐに負傷するという不運に見舞われるのだ。

幸せな形ではないかもしれないが、ここが一つのターニングポイントになった。サッカー以外にも、目を向けることにしたのだ。プロ選手にこだわっていた中居さんだが、他に正業を持つことを考えるようになった。

「そのチームで1年やりましたが、生活していけないような給料になりました。ビザもあと1年半残っていたのですが、更新するには仕事を見つけないといけなくなったんです」

日本人が経営する企業で働きながら、プレーを続けた。ドイツでの生活が長くなり、プロを夢見て挑戦する日本人選手の面倒を見ることも多くなった。トルコ人もアフリカから来た選手も、韓国人もいるチームでキャプテンを任されるようになり、自然と周囲に目を配る意識が高まった。

そうした環境で、またも気になるようになったことがある。確かに身分はプロではないとはいえ、あまりにアマチュア的な日本人選手の姿勢である。

「試合に出られなくて文句を言うっていうのは、どうなんですかね。実力がないからライバルの選手に勝てなかっただけで。試合に出てナンボだし、イタリア人みたいに何としてもその選手からポジションを奪い取ればいいのに。試合に出られないからといじけたり、チームを変えたいと言い出す選手もいますから」

普段は仲が良いと思っていた選手に、ポジション争いが始まった瞬間に悪質なプレーで負傷させられる。プロの世界の厳しさを、中居さんはイタリアで身をもって学んできた。

「ドイツに来る選手には、自分のポジションにこだわる人が多いんですよ。今は2つや3つのポジションでできるのが当たり前なのに。

それに、日本人がいない環境に行きたいと言う人もいますね。チームに日本人が2、3人いたりすると、『日本語ばかり話してしまって、そこに頼ってしまうから』って。チームメイトにドイツ人はたくさんいるのに、日本語で話しちゃうことを他人のせいにする。ドイツ語で話したいから話しかけないでくれとか、変な話ですよ。全部、自己責任なのに」

中居さんがイタリアに挑戦した頃と比べて、ヨーロッパのサッカーはぐっと身近になった。選手としても行きやすい場になったが、中居さんはこう断言する。

「軽い感じで来てしまうんですよね。インターネットも普及して情報もいっぱい入ってくることもあるし、ちょっと挑戦してダメだったら環境を変えればいいや、という人が多いんです。厳しいことをいいますが、そんな選手が、こっちでできるわけないんですよ」

理不尽さえも受け入れる自己責任

自己責任――。すべてを自分で切り開いてきた中居さんの言葉には、圧倒的な説得力がこもる。

「すべては、自己責任です。海外に来たら、日本で支えてくれていた人たちは、もう周囲にはいません。何事も自分で判断して、その場で対処していかないといけないんです。自分で自分の身を守る能力が、海外でやっていくためには必要なもののひとつ。もうひとつは、その国にあったサッカーへの対応力。語学やその国の文化やサッカー、日本とは違う生活への対応といったものです。その2つを身につけたら、かなり良いところまで行けると思います。逆に、どんなに良い選手でも、そのどちらかが欠けていると、なかなかうまくいかない。海外で長くやってきた自分の経験から、これは絶対だと思いますね。

その2つを持った選手たちがたくさん出てくることを、今は期待しています。うまいだけじゃやっていけないぞ、日本で活躍できても海外の環境はまったく違うんだぞ、って教えたいですね」

中居さんの箴言は、単なる年長者からの小言ではない。自身に向けた言葉を聞けば、どれだけの覚悟を持ってサッカーの世界で生きているのか思い知らされる。

イタリアでは、外国人選手枠の壁に泣かされた。ようやくプロにたどり着いた瞬間、外国人選手撤廃という、信じられないような“事故”に見舞われた。それでも、中居さんはこう語るのだ。

「日本では何もかもうまくいっていて、イタリアでもうまくいきかけるのに、あと一歩でチームに入り切れなかった。でも、それが実力の世界なのかな、と思いますね。

当時は『運がないな』と思ったけれど、運も実力のうちという世界だから。やはり実力不足だったんだなと思います。才能があるすごい選手なんだともっと強く印象づけられていれば、絶対に僕に外国人選手枠を使ってくれたはずなんです。結局、他の選手に枠を使ったということは、僕はそこまでの選手だったんだろうと、今なら思いますね」

再びサッカーを奪われても

突き落とされてきたイタリアでの過酷な体験も、今なら真っ直ぐに見つめることができる。さらには、新しい視界も開けてきた。

ドイツに来て、当初はとにかく上を目指した。だが、仕事を持つようになって、気持ちが変わってきたという。

「今は、自分がプレーできているリーグで勝負をしていこうと思っています。そうしたら、逆に楽しめるようになりました。サッカーは大好きですけど、いつも楽しめないことばかりでした。理想が高過ぎたから。そこに行けない自分が悔しくてしょうがなくて、ストレスを抱えていました」

30代半ばを越えて引退もちらつくが、できるだけ長くプレーして、その先もずっとサッカーの世界で生きていくと決めている。これまでの波乱万丈の歩みについては、「100%、後悔はしていませんね」と言い切る。すべてが、自分の血肉になっていると知っているからだ。

ドイツに来て初めてのチームで出会った監督を、中居さんは「30代後半くらいとまだ若かったのですが、すごく良い考えを持った監督」と思い返す。その指導者は中居さんと5部リーグで共闘してから10年も経たずに、ブンデスリーガ1部で指揮を執るようになった。名をシュテファン・ルテンベックといい、2017-18シーズンの途中からケルンを率い、その半年後にクラブを去った。

中居さんは「すごく情熱のある方」と評するが、明日をもしれぬ厳しさを顧みずに5部からドイツ国内最高峰まで上り詰めた執念には、「サッカーに憑りつかれていますよね」と苦笑いする。

中居さんも情熱では負けてはいない。

「今、これまでで一番サッカーを楽しんでいるんじゃないですかね。その代わり、勝負へのこだわりは一番強いですよ。絶対に負けたくないので。

この年齢で日本でプレーを続けていたら、給料はもらえないだろうし、趣味どまりだと思います。でも、趣味だと遊びになるじゃないですか。ドイツなら、下位のリーグでも給料が支払われて、勝てばボーナスも出るし、活躍できなかったら切られる。それを今、思う存分、楽しんでいます。何かを懸けて勝負して。それって最高ですよね」

そう言って笑う表情は、まさにサッカーに憑りつかれた者のそれだった。

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中居さんに話を聞いてから、しばらく時間が経った。中居さんは8部リーグでプレーを続けていたが、またもアクシデントに襲われる。

コロナ禍における、今年3月のロックダウンである。

またしても、「いきなりサッカーを奪われた感じです」。パソコンのディスプレイの向こうで、中居さんは苦笑いする。

ドイツではロックダウンにより普段の生活もままならなくなり、サッカーの下位リーグは軒並みシーズン打ち切りとなった。中居さんが所属していたクラブも財政難に陥り、勝利給なども中居さんが受け入れられるものではなくなった。「納得のいく条件のチームがあれば、プレーを続けたいと思っています。でも、趣味でするのではなく、プロにこだわりたいんです」。今後がどうなるかは、誰にも分からない。

今年に入り、新しい挑戦も始めた。若い日本人選手をサポートする事業を、本格的にスタートさせたのだ。ドイツのサッカーグッズを取り扱う、ウェブサイトも立ち上げた。

「僕のような日本人選手を正しい道に導く架け橋になり、自分の夢を次の世代に託したいと、今は思っています。そのために、海外で成功する道を究めたい。これまで出会った指導者や、1部に近いリーグでプレーしていた選手など、いろいろな人と交流してドイツのサッカーを改めて学んでいます。代理人業やマネジメントにも興味があります。とにかく、サッカーを仕事にして生きいくと決めています」

「こんな状況でも楽しんでいますよ」。中居さんは、そう言って笑うのだ。

信じられないことがいつでも起こり得る狂った世界だから、どんな理不尽に直面しても、受け入れ、覆す。その苦痛さえも楽しむ覚悟がなければ、プロの世界では生きていけない。

(2019年冬、筆者撮影)
(2019年冬、筆者撮影)
フリーランス・ライター/編集者/翻訳家

1975年生まれ。新聞社で少年サッカーから高校ラグビー、決勝含む日韓W杯、中村俊輔の国外挑戦までと、サッカーをメインにみっちりスポーツを取材。サッカー専門誌編集部を経て09年に独立。同時にGoal.com日本版編集長を約3年務め、同サイトの日本での人気確立・発展に尽力。現在はライター・編集者・翻訳家としてサッカーとスポーツ、その周辺を追い続ける。

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