悪質タックル問題の「その後」 過熱報道で消費された日大アメフト部の現在

残り2試合、宮川(背番号91)はラストシーズンの出場に間に合ったが…(筆者撮影)

「悪質タックル問題」は発生から1年半が経ち、反則行為をした選手の不起訴処分が発表され、一応の決着を見た。現在、日大アメフト部は下位リーグで全勝を続けている。だが、本当にすべて終わったのか。チームの主力は「歯車がかみ合っていない」と話す。ワイドショーで連日放送された騒動で、メディアは「色仕掛け」までして選手を追いかけ回した。アメフトファン以外も巻き込んだ狂乱が、学生に残したものとは。過熱報道を受けた選手たちが、当時を振り返る問いかけに口を開いてくれた。

横浜国大戦にも勝利し、全勝で首位。日大は最終戦にも勝って、優勝してのTOP8への復帰を目指す(筆者撮影)
横浜国大戦にも勝利し、全勝で首位。日大は最終戦にも勝って、優勝してのTOP8への復帰を目指す(筆者撮影)

11月17日、実質2部リーグの関東学生「BIG8」の試合に、多くの観客と報道陣が集まった。

メディアの注目は、1人の選手に集中した。腕の太さは他を圧し、ももの裏などユニフォームの下の筋肉もはちきれんばかり。大学屈指の実力者と評されながら、今季まだ出場機会のなかった4年生がついに先発に名を連ねていた。

宮川泰介。本来知られるべきプレーではなく、残念ながらゲームと関係ないところで名前が広まった。

「日大タックル問題」「悪質タックル問題」。もはや説明不要なこの言葉。宮川の“あのプレー”を発端として明らかになった部の体質が問題視され、大学アメフト界の名門は昨年のリーグ戦への出場を許されず、自動降格となった。

異常な取材攻勢でテレビ不信に

日本中が「日大叩き」という熱に浮かされた1年半前、キャンパスでは異様な光景が繰り広げられていた。無人のグラウンドで、寮の前で、記者とカメラが苦悩する大学生を待ち続ける。

「コーチから、何も言うなと言われていて。記者を無視するのが嫌で、その申し訳なさとともに、しんどさがありましたね」という選手もいれば、別の証言には驚くほかない。

「ポジティブにとらえれば、体験できない生活をさせてもらいましたね。寮の前に定点観測みたいにカメラが置かれていたり、チャリンコ(自転車)で追いかけられる生活です。スーツだった人(記者)が運動靴になって、次はスポーツウェアになって、チャリを用意して、みたいな。どんどん進化していって、みんなで『すごい、本気だ』って話していました。追いかけるのが無理だと分かると 、若い女性アナウンサーらしき人まで出てきて、『今度は色仕掛けだ』って」

今は当たり前の練習も、騒動の最中はまったくできなかった1年半前。非日常が、長く続いた(筆者撮影)
今は当たり前の練習も、騒動の最中はまったくできなかった1年半前。非日常が、長く続いた(筆者撮影)

「今なら面白く感じる」と笑うが、学生たちは「今はテレビをほとんど信じられない」とレアな体験の副作用を明かす。漏れ出たミーティング内容をテレビで見て、「今まではニュースを第三者として見ていたので、それが本当なんだろうと思って見ていたんですけど、いざ当事者になってみると違うんだなと思った」。良い経験をしたと苦笑いする選手たちだが、学生に必要な経験だったのか。

異常な盛り上がりの行きつく先が、宮川の会見だった。自ら申し出たというが、前述のような状況を考えれば、鎮火する唯一の手段となって「引きずり出された」ととらえるのが妥当だ。成人とはいえ、二十歳になったばかりの学生が数え切れない記者とカメラの前で、愛するフットボールを「辞める」とまで宣言した。

落としどころのない話し合い

騒動の影響で部の活動停止を余儀なくされ、選手たちは時間の使い方に戸惑っていた。生活を埋めていた練習時間がなくなったからだ。一方で、新しい日課が生まれた。学生だけによるミーティングである。

なぜ、フットボールをするのか。続けるためには、どうすればいいのか。当時の副キャプテンで、現在はスタッフとして部に残る「5年生」の村田航平コーチは、「最初からまとまらなくて」と混迷ぶりを振り返る。「宮川を戻すために今は練習を休んで、しっかりと宮川のためのサポートをすべきだという人と、練習をちゃんとやろうという派に分かれたり…」。

当時3年生だったクォーターバック(QB)沼田将吾(4年生)は、入り口だけは全員にとって一つだったと考える。「泰介は同期なので、もう一回一緒にアメフトをやりたいなと。戻ってこられる状況をつくるのが自分の中での目標といいますか」。そう、信じてきた。

最後のシーズンは実質2部だが、誇りを持ってプレーする4年生QB沼田。東海大戦、4年間1つのポジションを争って切磋琢磨しながら負傷離脱してしまった同期QBの背番号14を腕に記した(筆者撮影)
最後のシーズンは実質2部だが、誇りを持ってプレーする4年生QB沼田。東海大戦、4年間1つのポジションを争って切磋琢磨しながら負傷離脱してしまった同期QBの背番号14を腕に記した(筆者撮影)

一昨年、27年ぶりに勝利した学生ナンバーワンを決める甲子園ボウルで、1年生ながらMVPに選ばれたQB林大希(3年生)は、「違う環境でもできるんじゃないか」と、チーム変更さえも頭をよぎったと告白する。宮川を心配する気持ちが先に立ったが、「その後は自分らのことで精いっぱいでした。僕ら150人、どうなるんやろうというのが大きかったですね」。スター選手とはいえ、二十歳前後の学生ならば抱いて当然の思いだった。

実際、最後のシーズンが突然なくなり引退するしかなかった4年生以外にも、部を離れる者は出た。それでもチームは前進を選んだが、村田コーチに言わせれば、「正直、(落としどころに)落ち着いていないと思います。集約もできていなかった」という、合意なき再出発。「今も、夜に考えたりするんです。どう答えを出すべきだったのか、チームとしてどう動くべきだったのか…。正直、今でも正解は分からないっすね、あの時のことは」。柔和な顔が少しゆがみ、声のトーンも下がった。

新体制へのアレルギー反応

新たな苦しみも待っていた。一連の騒動で空席となった監督には70人近い候補者から、立命館大学の2年連続日本一に貢献した橋詰功氏が就任する。だが、アメリカの強豪校で学んだフットボール理論も、伝統の壁を簡単には崩せなかった。

細かく言えば、「足の踏み出し方から」(橋詰監督)変えた。見知らぬ異質なものの導入に、チームはアレルギー反応を起こしたのだ。

前監督時代には、プレーが成功するまで練習が続いた。新体制では、分単位でセットされたメニューを、時間内できっちり消化する。極端なまでに、「量」と「質」がコントラストを描いた。

名門への、まったく違う哲学の到来。それは、文化の衝突だったと言っていい。

学生生活最後のシーズンがなくなり、当時は不眠にもなったという村田コーチ。今はスタッフとして後輩たちを支える(筆者撮影)
学生生活最後のシーズンがなくなり、当時は不眠にもなったという村田コーチ。今はスタッフとして後輩たちを支える(筆者撮影)

日本一になったチームで主力を張った村田コーチの自負は、意固地に変質した。「正しいと思ってやってきたのに、それと違うことをやれと言われても、『いや、オレ分かってるし。それでやれてたし』と」。スタッフになるつもりだった村田コーチの同期の中には、「このシステムならオレは教えられない」とチームを去った者もいた。

“伝統”も重くのしかかった。前政権では軍規で縛るような練習。「それに憧れ、求めて(入部して)くる選手もいました」(林)というのも事実だった。日本一になるため、厳しい環境に身を置きたい。その思いも理解できるからこそ、辞めていく仲間を、あえて引き留めなかった。

反発の根底には、決して消せないものがある。「1位になったものを捨てるというのは、勇気がいる決断だとは思いました」。林に、1年生で経験した優勝の重みを忘れられるはずがない。村田コーチも、「あの年に負けていれば、ある意味スパッと切り替えられたかもしれませんね」と、日本一の感触を思い出す。

痛感した1年間のブランク

日大を選んだのは、日本一になるため。選手たちは、そう口をそろえる。

しかし、今年のチームは、どうあがいても日本一にはなれない。実質2部のBIG8を戦うチームには、甲子園ボウルへの出場権を争うチャンスがないからだ。

「日本一にふさわしいチームになろうとやってきました」。主将の贄田(にえだ)時矢は、そう話す。きれいごとだと言われても、そう繰り返すほかない。

実質的な目標は、BIG8での全勝優勝、そして最上位リーグであるTOP8への復帰。9月に始まったリーグ戦では、前半に圧倒できても選手を入れ替え始めた後半にガクンと勢いが落ちるシーンもあった。選手たちの間からは、練習量の低下を理由の一つに挙げる声も聞こえた。

そして、今さらながらに実感するのが1年間のブランクだ。開幕から1カ月半が過ぎた頃、エースQB林は試合から離れた影響を「今でも感じる時はあります。思っていたのと違うプレーになることがありますね」と話した。不安をかき消すためか、グラウンドの照明が落ちるまで、居残り練習を続けていた。

1年生で甲子園ボウルMVPに輝いた林も、1年間のブランクには苦しんでいるという(筆者撮影)
1年生で甲子園ボウルMVPに輝いた林も、1年間のブランクには苦しんでいるという(筆者撮影)

全勝の陰で、チームも「うまく歯車がかみ合っていない」と、林は感じていた。そう明かした翌週の東海大戦、パスをインターセプトされた林は手のひらを天に向け、肩をすくめてベンチに戻ってきた。走るコースのミスなど作戦上の個人ミスではなかったが、受け手であるレシーバー陣のリーダー役、小倉豪は「ボールの競り合いで、寄せが甘かったのかな、と。執着心が足りなかったということかもしれません」と後輩QBの心中を察した。当の林は「プレーがアドリブになった場面でのズレ」と話したが、イメージに追いつかない自分とチームへのいら立ちだったようにも映った。

チームを完成させるラストピースは存在するのか。果たしてそれが、チームの方針として検察の決定が出るまで出場を自粛している宮川なのか。

渇望される「ハッピーエンド」

11月14日の練習前、選手たちはざわついていた。前監督らとともに、宮川が不起訴の方針との報道が出たのだ。翌日には検察から、正式に不起訴処分が発表された。ついに足かせが外れた宮川はその週末、1年半ぶりの公式戦へと復帰した。

キックオフ数十分前、全員が集まり士気を高めるハドルで、主将の贄田が声を張り上げる。「全員そろったぞ!」。取り巻くメディアへのリップサービスも含まれているように聞こえた。

さらに試合開始直前、守備陣だけのハドル。「いろんな人がいろんなことを言う! でもオレたちがするのは、試合で勝つことだけだ!」。誰かが放ったその言葉は、一体誰に向けたものだったか。

シーズン残り2試合で、宮川はついに試合に戻ってこられた(筆者撮影)
シーズン残り2試合で、宮川はついに試合に戻ってこられた(筆者撮影)

先発でディフェンスライン(DL)に入った宮川は、チームメイト以上にブランクを感じさせた。筋力トレーニングに励み、昨年より15キロも体重を増したというが、相手のプレーが逆サイドで展開されることも多く、なかなかボールに絡めない。選手が入れ替わるようになった後半も、失った時間を取り戻そうとするように、守備ラインに立ち続けた。

宮川の目を引くようなプレーはなかったが、日大は大差で勝利を飾った。試合後、急きょ設けられた会見で、「もう一度、フィールドでプレーできて感謝しかない」と宮川は頭を下げた。

会見場となった一室は、記者であふれた。1年半前と同じように、多くのフラッシュがたかれた。思えば、一連の騒動で、世間はメディアの姿勢も批判した。

だが、誰が好んで大学生を追い回すというのか。メディアがご機嫌をうかがうのは、発信を受け取る我々だ。忖度されているのは、満足を知らない、私たちの壊れた満腹中枢だ。学生たちを散々消費して、今はおそらく、ハッピーエンドというデザートを求めている。

「やっと終われる」

宮川不起訴とのニュースが出た日、村田コーチは「これで終われる」と息をついた。

「(宮川が)出られる、となっただけで、やってきた意味があるというか。ちゃんと終われるというか、ゴールが見えたって感じですかね。勝って終わる、宮川が戻って勝つというのがゴールだったと思うので」

いつ終わるとも分からないミーティングを繰り返した1年半前。正解は何だったのか、勝利を続ける現在でも答えは出ていないが、光の見えないあの世界の入り口に立った時の祈りだけは形になった。ただし、救いは唯一、それだけだった。

最終戦で勝てば、TOP8への復帰が決まる。その時、宮川と仲間たちは何を思うのか 。日本大学アメリカンフットボール部、「フェニックス」は、本当によみがえるのだろうか。

12月初日の16時15分キックオフ、迫る夕闇の、その先で――。

復帰戦を勝利で飾った宮川は差し迫る夕暮れの中、仲間とともに校歌を歌う。12月1日の最終戦後、彼らは何を思うのか(筆者撮影)
復帰戦を勝利で飾った宮川は差し迫る夕暮れの中、仲間とともに校歌を歌う。12月1日の最終戦後、彼らは何を思うのか(筆者撮影)

【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】