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「ロストフの悲劇」と2000年シドニー五輪サッカー準々決勝日本対米国=「アデレードの悲劇」との相関性

杉山茂樹スポーツライター
PK戦。日本の4番手として登場した中田英寿だったが(写真:青木紘二/アフロスポーツ)

 過去W杯の6大会に出場して、最高位はベスト16。日本のサッカー史は、敗戦の歴史とも言える。日本サッカーの今日は、多くの敗戦の上に成り立っている。

 その中で、最も衝撃的だった敗戦を「ドーハの悲劇」とすることに異論はないと思う。1994年アメリカW杯アジア最終予選対イラク戦。勝てば初のW杯本大会出場が決定するという一戦で、ロスタイムに同点弾を浴び、悲願を断たれた1993年10月の出来事だ。

 それに比肩する敗戦を「ロストフの悲劇」とすることも同意していただけるのではないか。言わずと知れた2018年ロシアW杯決勝トーナメント1回戦対ベルギー戦だ。2-0から2-2に追いつかれ、後半のロスタイム、ラストワンプレーで逆転弾を許した、まだ記憶に鮮明な事件である。

 では、上記に次ぐ3番目に惜しい一戦は何か。もちろん個人的な感想になるが、今度は五輪系――と言えば、おわかりいただけるだろう。

 2000年シドニー五輪。その9月23日、アデレードで行われた準々決勝対アメリカ戦だ。

 日本は前半30分柳沢敦のヘディングで先制。後半23分、アメリカに追いつかれたものの、その4分後、高原直泰のゴールで再びリードを奪い2-1とする。このまま試合終了かと思われた後半45分、日本はPKを献上。同点とされる。試合は2-2のまま延長PK戦に突入。4-5でアメリカにPK負けした一戦だ。

 最も印象に残るシーンは、PK戦でエースの中田英寿が、キックを左ポストに当ててしまった瞬間だ。日本の4番手として登場した日本のエースは、見るからに硬そうな動きでPKスポットにボールを置き、外しそうな匂いを発露させながらキックに及んだ。

 日本が銅メダルを獲得した1968年メキシコ五輪以来、28年ぶりに五輪出場を果たしたのは、2000年シドニー五輪の4年前に当たる1996年アトランタ大会。同じく2年前の1998年には、悲願のW杯初出場(フランス大会)を果たし、さらにシドニー五輪の2年後には、2002年日韓共催W杯を控えていた。日本サッカーが空前の盛り上がりをみせていたその最中に起きた出来事だった。

 瞬間、2つの対照的な想いが去来した。1つはこの2年後に開催される2002年日韓共催W杯への期待だ。W杯で起きた出来事なら敗戦のショックを4年先まで引き摺ることになるが、その中間年に行われる五輪は、2年先にW杯というより大きな舞台が待ち構えている。深刻度が違うのだ。「所詮はオリンピック」とは、その時に現場で抱いた実感だった。

 試合後、アデレードのスタジアムには、フィル・コリンズの「テイク・ミー・ホーム」が大音量で流れたのだが、曲に誘われたような爽やかな風を感じながら、少々うわずった気分でスタジアムを後にした記憶が筆者にはある。

 しかしその一方で、フィリップ・トルシエ率いる日本チームの戦い方には、不満を抱いたものだ。

 トルシエは1998年、日本代表監督に就任するや、俗に「フラット3」と呼ばれた3-4-1-2を一貫して採用してきた。シドニー五輪に臨んだ五輪チームも例外ではなかった。その少し前までイタリアやドイツを中心に流行していた、相手に両サイドを突かれると5バックになりやすい、守備的サッカーを代表する布陣である。

 

 日本対アメリカ。両軍のメンバーを比較したとき、よりA代表に近かったのは日本(GK楢崎、DF中澤、松田、森岡 MF稲本、中田英、中村、明神、酒井 FW柳沢、高原)だった。まさにA代表同然のメンバーで臨んだ日本に対し、アメリカはA代表が3人のみ。さほど強そうに見えないチームだった。

両軍のメンバーはこちらから

出典:FIFAホームページ

 それがなぜ接戦となったか。延長PK戦にまでもつれ込んだか。

 途中から、弱気な姿勢を見せたのは日本の方だった。後半27分、高原のゴールが決まり2-1と勝ち越すと、日本のフラット3は、いっそう5バック的になっていった。中盤フラット型4-4-2を布くアメリカが定石通り、日本の両サイドを丹念かつ的確に、突いてきたことでもある。後半は3FW気味に向かってきたほどだが、それに対して、日本の両ウイングバックは引かざるを得ない展開に追い込まれた。時間の経過と共に、日本は高い位置からのプレスがまるで掛からない状態になっていった。

 その結果、日本は終了間際、アメリカにPKを与え、同点に追いつかれてしまう。

 トルシエはその時、高い位置から守れと指示を出したと言うが、それは具体性に欠ける非戦術的な指示だった。問題は、自ずと5バックになりやすいフラット3しか作戦を持ち合わせていなかったことにあった。

 もう一つは選手交代だ。120分戦うことになったこの試合で、トルシエは選手を1人しか代えていない。柳沢に代えて三浦淳寛を投入した後半20分の交代のみである。90分の戦いで、あと2人選手を代えていれば、つまり時計の針を進めておけば、終了間際の90分に、2-2とされることはなかった可能性が高い。

 ここで思わず想起する人は、いるはずだ。ロストフの悲劇を。

 あのラストワンプレーで逆転弾を浴びたベルギー戦もそうだった。西野朗監督はそれまで、選手を2人しか代えていなかった。時計の針を進める時間稼ぎの交代という定石を打たず、手をこまねいている間に敗れた。

 トルシエの場合は延長になっても、なお新たなメンバーを投入しなかった。五輪のメンバーは18人。フィールドプレーヤーは16人だ。試合間隔も短い。この采配では、アメリカに勝利しても次の試合(準決勝)に期待を抱くことはできない。

 ロシアW杯の西野采配しかり。あの選手起用法では、もしベルギーに勝利しても、そこまでが精一杯。続く準々決勝には「出るだけ」になっていた。

 シドニー五輪準々決勝対アメリカ戦を「アデレードの悲劇」と命名するつもりはないが、ロストフの悲劇と重なる要素が多いことに気づかされる一戦だ。日本が学習効果を発揮できなかった悲劇と言われても仕方がない。

 選手交代術。そして、引いて守備的に構えるのか、高い位置から攻撃的にプレスを掛けていくのかーー。少なくともこの2点は、日本代表監督を評価する際に、欠かせない物差しとして共有されるべきであるはずだ。

 その点で森保監督はどうなのか。それでも続投なのか。

 サッカーに悲劇はつきものとはいえ、同じ種類の悲劇を繰り返すことほど情けない話はない。

スポーツライター

スポーツライター、スタジアム評論家。静岡県出身。大学卒業後、取材活動をスタート。得意分野はサッカーで、FIFAW杯取材は、プレスパス所有者として2022年カタール大会で11回連続となる。五輪も夏冬併せ9度取材。モットーは「サッカーらしさ」の追求。著書に「ドーハ以後」(文藝春秋)、「4−2−3−1」「バルサ対マンU」(光文社)、「3−4−3」(集英社)、日本サッカー偏差値52(じっぴコンパクト新書)、「『負け』に向き合う勇気」(星海社新書)、「監督図鑑」(廣済堂出版)など。最新刊は、SOCCER GAME EVIDENCE 「36.4%のゴールはサイドから生まれる」(実業之日本社)

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