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平成元年に欧州で誕生したあの戦術。30年経っても日本に浸透しない理由とは

杉山茂樹スポーツライター
フランク・ライカールトとアリゴ・サッキ(写真:アフロ)

 平成元年は1989年で、88-89シーズン欧州一に輝いたチームはミランだった。チャンピオンズリーグの前身に当たるチャンピオンズカップ時代の話だが、ミランは翌シーズン(89-90)も優勝を飾り2連覇を遂げた。だが、そこからレアル・マドリーが2015-16、16-17、17-18と3連覇するまで27シーズン、連覇するチームは出現しなかった。

 ミランが連覇を成し遂げた要因はハッキリしている。当時の監督、アリゴ・サッキが発案したプレッシングを抜きにそれは語れない。この影響力は絶大で、平成期が終わろうとしているいまなお進歩的な思考法として、プレッシングはサッカー界のド真ん中に位置している。

 日本人監督でプレッシングに素早く反応したのが加茂周元日本代表監督だ。94年(平成6年)に代表監督に就任するや、プレッシングをゾーンプレスという名前に置き換えて日本サッカー界に落とし込もうとした。

 だが、現地と日本を往復し取材を重ねると、加茂式ゾーンプレスと本場のプレッシングとの間に大きな隔たりがあることが判明。プレスの掛かりにくい方法でプレスを掛けに行っていることに気付かされた。

 加茂監督は98年フランスW杯アジア最終予選の最中、更迭の憂き目に遭い、当時の岡田武史コーチにその座を譲ることになったが、ゾーンプレスという名のプレッシングが頓挫し、カリスマ性を失ったこととそれは深い関係にある。

 岡田監督(平成9-10)はプレッシングを断念。フィリップ・トルシエ監督(平成10-14)、ジーコ監督(平成14-18)も欧州の流れとは異なる非プレッシングサッカーに流れた。後ろに人数を掛ける守備的サッカーを日本は頓着なく選択していた。

 それから10年以上経過しているが、かつての加茂さんのように、かくあるべきと、プレッシングを声高に叫ぶ監督はいない。いるのかもしれないが、こちらの耳に届いてこない。議論も起きず、何となく現在に至っている感じだ。このあやふやさ。日本サッカーの悪しき体質だと思う。

 そうこうしている間に、プレッシングと時を同じくスタートした平成は終わろうとしている。

 発案者であるアリゴ・サッキは、こちらに対してこう述べた。

「人間は守れと言われると本能的に後ろに下がろうとする。それとは逆方向への動きを求めようとするプレッシングを集団として習慣化させるには時間が必要になる。簡単にはいかない」

 プレッシングは攻守の概念を変えた画期的な考え方だと言えるが、サッキは「プレッシングはトータルフットボールの延長にあるものだ」とも解説してくれた。そして、FIFAから20世紀最高の監督として表彰されたリナス・ミホルスとヨハン・クライフが提唱したトータルフットボールを「その前と後でサッカーの概念が180度変わるサッカー界における“発明”だった」と述べた。

 プレッシングの起源を平成元年とするなら、トータルフットボールは昭和になる。アヤックスがチャンピオンズカップで3連覇を遂げたのは70-71、71-72、72-73シーズンで、オランダ代表がW杯で準優勝したのは74年(西ドイツ大会・昭和49年)だ。昭和40年代後半、欧州ではサッカーの概念を180度転換させる“発明”が起きていた。

 オランダ、クライフ等々の情報は当時からサッカー専門誌などを通して日本に入ってきていた。こちらも1人の読者として子供ながらに遅れてはマズいと目を凝らしたものだ。とはいえ、画期的なものとは想像したが、さすがに「概念を180度転換させる発明」というほどの認識は持てなかった。多くの人もそうだったに違いない。いま振り返れば、世界は遠かったという話になる。致し方ない気もするが、トータルフットボールにヒントを得たその延長線上にあるプレッシングに対しても、日本と現地との距離感は詰まらなかった。そう思わずにはいられない。相変わらず世界は遠い。

 平成後半に入るとネットが普及。サッカーも情報で溢れることになった。しかしそれはあくまでもある種の情報に限られている。試合の結果やゴシップに代表される、タイトルになりやすく、ページビューに繋がりやすいニュースだ。サッカーの中身に関する話は、その中に含まれにくい。

 情報社会にありながら、なぜ日本は世界の流れと異なる方向を向いているのか。後ろで守ろうとする非プレッシングサッカーがここまで流行している国も珍しい。なぜそうなのかという理由、サッカーへのこだわりは伝わってこない。論争の末にそうなったわけではない。何かの覚悟があって、まさに代償覚悟で非プレッシングを選択しているならともかく、右へ倣えという感じの、根拠に乏しい流行だ。問題の根は深い。

 中には後ろで守ろうとする5バックを採用しながら、プレッシングを口にする監督もいる。

 クラブとしてバルサ化を目指すといいながらヴィッセル神戸は、フアン・マヌエル・リージョが監督に就任する直前、暫定監督が5バックになりやすい3バックで試合に臨んでいた。

 ハリルホジッチ解任を受け、ロシアW杯の2ヶ月前に就任した西野朗監督の台詞も忘れることができない。

「ハリルホジッチがずっと4バックでやってきたので、3バックも試しておきたい」

 いったいなぜ、3バック(おそらく5バックになりやすい)という概念が180度異なるスタイルを、時間がない中であえて試さなければならないのか。プレッシングか否かという人間の本能に関わる重大なテーマと向き合う覚悟に欠ける発言といわざるを得ない。

 バルサのサッカーの肩書きは「パスサッカー」だ。バルサ化といえば、パスがよく繋がるサッカーを指すことで世の中はほぼ一致している。しかしバルサのサッカーを語る時、それと同じぐらい目に止まるのはボールを奪還するスピードだ。直ぐにマイボールにしてしまう。成績がいいときほどその傾向が強い。

 相手陣内でパスを回す時間が長くなる理由はプレッシングにあるのだ。「プレッシングはトータルフットボールの延長線上にあるもの」(アリゴ・サッキ)だからだ。バルサの源流はトータルフットボールにある。

 だが繰り返すが、言いやすいのはネット的な言葉=パスサッカーだ。

 世界のサッカーとは水と油の関係にある日本の元号だが、平成元年(=1989年)をプレッシング元年と捉えると、その30年間にリアリティが生まれる。日本とプレッシングの良好ではない関係が浮き彫りになる。

 世界のサッカーと令和の関係はどうなるのか。令和にも引き継がれるプレッシングとの関係性が、可能な限り早く改善されることを期待したい。

スポーツライター

スポーツライター、スタジアム評論家。静岡県出身。大学卒業後、取材活動をスタート。得意分野はサッカーで、FIFAW杯取材は、プレスパス所有者として2022年カタール大会で11回連続となる。五輪も夏冬併せ9度取材。モットーは「サッカーらしさ」の追求。著書に「ドーハ以後」(文藝春秋)、「4−2−3−1」「バルサ対マンU」(光文社)、「3−4−3」(集英社)、日本サッカー偏差値52(じっぴコンパクト新書)、「『負け』に向き合う勇気」(星海社新書)、「監督図鑑」(廣済堂出版)など。最新刊は、SOCCER GAME EVIDENCE 「36.4%のゴールはサイドから生まれる」(実業之日本社)

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