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弱者とのホーム戦過多に見る商業主義 日本サッカー協会をめぐる5つの問題点(3)

杉山茂樹スポーツライター

(4)商業主義

「告発が正式に受理されたことで今後、アギーレ監督が召喚され、また起訴される可能性も考えられます。6月にはW杯予選が控えており、今後日本代表チームの強化に影響が出る可能性もあり、JFAとしてはそのリスクを排除することが必須です。またアギーレ監督には自らの名誉を守り、無実を証明するために刑事手続きに集中していただきたいと考えております。JFAとしては、アギーレ監督が八百長へ関与したという事実を確認しておらず、八百長に関与したという事実をもって契約解除の理由とするものではありません」

これは、アギーレを解任した大仁会長の説明だ。「6月にW杯予選が控えている。時間がない。アギーレを疑って解任するわけではない」と言うわけだが、6月に始まるW杯予選は所詮、第1ステージだ。相手は、監督不在でも敗れる可能性ほぼゼロの弱者。まるで心配の要らない相手との対戦に、時間がないと言って慌ててみせる大仁会長の姿は不自然。これが解任の本当の理由ではないことが、逆に容易に見て取れる。

スポンサーの顔色をうかがった末に臭いものに蓋をした。本音はこちらだと、世の中の多くの人は認識しているのではないか。実際、「イメージダウンを恐れるスポンサー」と、スポンサーサイドに立つかのような論調で、解任を迫ろうとするメディアもあった。

芸能界で起きた出来事なら理解できる。何かの疑いを掛けられた芸能人やタレントに、疑いが晴れるまで、テレビ番組やCM等の出演を遠慮願う。これは分かる。だが、サッカーはスポーツだ。日本代表戦はテレビ番組ではない。日本代表は見せ物ありきで存在しているわけではない。世界一を目指して戦う集団だ。その選考にかかわるのは、あくまでも協会。スポンサーの力が介在したり、協会がその力に屈したりすることは、あってはならない話だ。

それはメディアが本来、注視しなければならない点でもある。だがその多くは、スポンサーサイドの声を紹介しようとする。今回のアギーレ問題、そして前で述べたブラジル戦がそのいい例になる。

確かに、お馴染みの選手、言い換えれば知名度の高い選手がスタメンに並んだ方が、商売的には好都合だろう。知名度の低い新戦力が、スタメンに並ぶ布陣より遙かにありがたい。だが、それを続けると代表チームは立ちゆかなくなる。メンバーは老朽化する。チームの新陳代謝は滞る。いまの日本代表が、まさにそうした状態にある。

サッカーは、放っておいても人気者が次々に現れる芸能界とは違うのだ。スポンサーの立ち位置も、それと違うはずだ。お金は出すが、口は出さない――これが、あるべき姿勢だ。

商売重視。現在の日本サッカー界の姿は、商業メディアやスポンサーの顔色をうかがいすぎた末の悲劇とは言えまいか。アギーレは、アジアカップのメンバーにお馴染みの選手をずらりと並べた。先発は、その中でも知名度の高い選手で固めた。商業重視のメディアやスポンサーにとって、これは歓迎すべきものだったはずだ。しかし、結果はベスト8。今後に不安を残す敗れ方をした。

協会の力は、いったいどこにどう働いていたのだろうか。ブラジル戦の戦い方には、毅然とした態度でイエスと言い、アジアカップのメンバー選考には同様にノーと言うべきではなかったか。

「数字」を伸ばしたい「担当者」は、概して目の前の勝利に喜ぶ。その声に耳を傾けようとすれば、一戦必勝主義、勝利至上主義、結果至上主義は加速する。その一方で、本番は4年に一度という代表チームの強化のサイクルは乱れる。協会はそこでどんな立ち位置を取るのか。新監督の就任を、3月に行なわれる親善試合に間に合わせようとする必要はあるのか。いったい誰のために慌てているのか。僕には、照準が「2018年6月」に、ピタリと向いているようには見えないのだ。

(5)アウェー戦が少ない理由

強化を図るためにはお金が必要だ。お金がなければ何も始まらない。これは確かな事実だが、強化よりそちらの方が勝っているのではないか。そう言わざるを得ない。

乱れた現実が、もっとも分かりやすいのが代表戦だ。ホーム戦とアウェー戦。理想的な関係は紛れもなく50対50だ。しかし現実は、70対30、80対20。目に余るホーム戦過多だ。どちらが強化に繋がるか。学ぶことが多いか。答えはハッキリしている。求めるべきは、弱者とのホーム戦ではない。強者とのアウェー戦なのだ。

一方、ホーム戦の魅力は何かと言えばお金だ。スタジアムはほぼ満員。協会には入場料収入に加え、テレビの放映権料や様々な広告収入も舞い込む。興業的な魅力に溢れている。サッカー産業の源。ホーム戦を一言でいえばそうなる。

興業重視か強化重視かと言えば、興業重視。日本のサッカー界は、長年にわたり、こうしたレールの上を進んできた。と同時に、サッカーのレベルも右肩上がりを示してきた。ホーム対アウェーの関係が50対50だったら、右肩上がりはもっと加速していたに違いないと言いたいが、それはともかく、日本サッカー界は言ってみれば、これまで、両方をともに満たす離れ業を演じてきたわけだ。興業と強化は、クルマの両輪のような良好な関係にあった。

しかし、この方法論に限界が見えてきていることも確か。右肩上がりは、いま横ばい、あるいは右肩下がりの状況を迎えている。W杯ベスト8。いやベスト4も狙えると息巻く人は、もはやいない。ベスト16でさえ、相当な運に恵まれない限り難しいと考える人が、多数を占めるようになっている。

五輪チームをはじめとする世代別チームの現状を眺めると、雲行きはさらに怪しくなる。日本の5年先、10年先は危ない。アジア予選の突破さえおぼつかなくなっている現実を踏まえると、楽観的な気分にはまるでなれない。しかし、心ではそう思っても、実際口にしようとする人は少ない。手をこまねいているのが現実だ。

いますぐ方向転換を図るべき。だが、協会にも、右肩上がりを続けた時代の体質が染みついている。それしか経験したことがないので、対処策がないというべきかもしれない。ホーム対アウェーの関係を50対50に持っていくことさえ難しいだろう。

右肩下がりの時代とどう向き合うか。日本サッカー界は、いま大きな転換期を迎えている。それを最小限に食い止め、再び右肩上がりに回復させることこそが、協会に課せられた使命だ。それができなければ、落ちるところまで落ちる。日本サッカー界が、いまの日本経済のようになる危険性は高い。事態は急を要していると僕は思う。

(集英社・Web Sportiva 2月18日掲載原稿)

スポーツライター

スポーツライター、スタジアム評論家。静岡県出身。大学卒業後、取材活動をスタート。得意分野はサッカーで、FIFAW杯取材は、プレスパス所有者として2022年カタール大会で11回連続となる。五輪も夏冬併せ9度取材。モットーは「サッカーらしさ」の追求。著書に「ドーハ以後」(文藝春秋)、「4−2−3−1」「バルサ対マンU」(光文社)、「3−4−3」(集英社)、日本サッカー偏差値52(じっぴコンパクト新書)、「『負け』に向き合う勇気」(星海社新書)、「監督図鑑」(廣済堂出版)など。最新刊は、SOCCER GAME EVIDENCE 「36.4%のゴールはサイドから生まれる」(実業之日本社)

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