国際性の欠如 日本サッカー協会をめぐる5つの問題点(1)

 協会の名前が、メディアを介してこれほど登場する競技も珍しい。代表チームが頻繁に活動を行なうサッカー競技の特性を表したものと言えるが、世界を眺めたとき、日本の現象は中でも特殊な部類に入る。

 代表チームへの関心が、クラブサッカーへの関心を大きく上回る国。中央集権的になりがちな体質がそれを後押しする。日本サッカー協会は、サッカー界の浮沈のカギを握る存在なのだ。

 だがその姿は、とりわけ最近、頼りなく見える。アギーレ解任劇をはじめとする諸問題への対応のまずさが、随所で目にとまる。ブラジルW杯惨敗。アジアカップベスト8敗退。下降線を描く代表チーム、伸び悩む選手。現場で起きている問題も気になるが、協会にまつわる問題は、いまそれ以上に心配になる。叱咤激励せずにはいられない。問題はどこに潜んでいるのか。いくつかの視点から迫ってみたい。

(1)国際性の欠如

 代表監督。日本代表を中心に回る日本サッカー界にとって、それは生命線というべきものだ。日本サッカー協会に課せられた仕事の中でも、代表監督選びは最も重要な位置を占める。失敗は許されない。

 代表選手の選出は、日本国籍を持つ選手に限られるが、代表監督にその制限はない。対象者は、地球上に存在する全てのサッカー監督、指導者だ。失敗を防ぐためには、探す側の国際性、世界性が不可欠になるが、いまの日本サッカー協会が、そうした要素を満足に備えた組織かといえば、大いに怪しい。そう言わざるを得ない。

 現代は情報化社会と言われる。世界の津々浦々にまでネットワークを持っているか。そこが勝負の分かれ目だとされる。日本にも、多くの情報が入ってくるようになった。世界各地のサッカー情報が、ネット経由で次々と舞い込んでくる。世界は近くなったかのような印象を受ける。現地に足を運ばずとも、サッカーに詳しくなった気になれる。

 しかし、地球は大きい。サッカー界は広い。サッカーは奥が深い。これでもかというほど流れてくる情報もあるが、まるで入ってこない種類の情報もある。監督の善し悪しは後者の代表になる。いくら情報化社会が進んでも、この手の情報の入手は簡単にはいかない。ネットに答えが出ているわけではない。受け身でいてはダメ。日本サッカー界の運命を託すような、確かな監督ともなるとなおさらだ。

 自ら足を使い、常に探し求めていないと、確かな人物、こちらのコンセプトに相応(ふさわ)しい監督に遭遇することはできないのだ。しかし、日本サッカー協会にそうした組織はない。人材もいない。外交官不在なのだ。中心になるのは技術委員会で、それは政府にたとえれば外務省になるが、そのメンバーの中に、世界を見渡せる目を持った人はいない。常時、それを専門職として動いている人がいないのだ。

 原博実専務理事は、ブラジルW杯後に行ったこちらのインタビューに「危機管理はできている」と述べた。アギーレに何かあっても大丈夫と胸を張ったが、こちらの目には、それはカラ元気に見えた。

 日本サッカーの生命線。浮沈がかかる重要な箇所に、それ相応の配備がなされていない。探す力に欠ける。世界的な視野に欠ける。(たとえ契約が2年単位となっていても)結果的に、1人の監督に4年丸投げすることが慣例化している理由と言ってもいい。

 代表監督探しの過去を振り返れば明らかだ。あるコンセプトに基づき、世界的なスケールで行われたのはザッケローニが初めて。それまでは「身近にいる人物」が基本だった。川淵三郎元会長のツルの一声で決まっていたといっても言い過ぎではない。例外と言えるトルシエにしても、実績も名声もあまりない彼に、なぜ2002年日韓共催W杯という一世一代の舞台を託すことになったのか、その経緯は明らかにされていない。

 ザッケローニ、そしてアギーレの招聘には、2009年に技術委員長に就任した原専務理事の力が大きく介在していた。技術委員長に就任する前、彼は確かに欧州に単身足繁く通い、世界観を広げていた。日本の評論家には珍しく、情報を自らの足で掴もうとしていた。評価に値する行動をしていた。それが、代表監督探しに生かされたわけだが、あくまでもこれは個人の財産だ。技術委員長として蓄積したものではない。

 原さんはその後、専務理事に昇格。アギーレの次の監督探しでも、現場の霜田正浩技術委員長に後方から指示を送っていると言われるが、「協会の人」になった時点で、フットワークが鈍ったことは確か。かつてのように欧州を飛び回れなくなっている。

 外務省を1人で務めてきた原さんが、それ以上の要職に就くと、外務省そのものの組織力は鈍る。同時に、原さん自身のフットワークも鈍る。その国際性も低下する。

 川淵さん、そして原さん。代表監督探しを協会という組織ではなく個人の力に頼っているところに問題の根はある。このやり方を続けていると、人も組織も育たない。なにより協会そのものに国際性が生まれない。

 協会内に必要不可欠なのは、いまの世界のサッカー界に目を凝らす組織だ。一流の記者より優れた外交官的なセンスのある人材を、世界の各所に何人送り込めているか。

 

 世界のサッカー地図に照らせば、日本は極東という辺地に位置する島国だ。そうした危機意識が、日本のサッカー協会には決定的に欠けている。地理的ハンディに対する備えができていない。そこに資金が投下できていない。これこそが、日本サッカー界が右肩下がりに転じようとしている最大の理由だと僕は思う。

(集英社・Web Sportiva 2月20日 掲載原稿)

スポーツライター、スタジアム評論家。静岡県出身。大学卒業後、取材活動をスタート。得意分野はサッカーで、FIFAW杯取材は、2018年ロシア大会で連続10回現地取材となる。五輪も夏冬併せ9度取材。モットーは「サッカーらしさ」の追求。著書に「ドーハ以後」(文藝春秋)、「4−2−3−1」「バルサ対マンU」(光文社)、「3−4−3」(集英社)、日本サッカー偏差値52(じっぴコンパクト新書)、「『負け』に向き合う勇気」(星海社新書)、「監督図鑑」(廣済堂出版)など。最新刊は、SOCCER GAME EVIDENCE 「36.4%のゴールはサイドから生まれる」(実業之日本社)

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たかがサッカーごときに、なぜ世界の人々は夢中になるのか。ある意味で余計なことに、一生懸命になれるのか。馬鹿になれるのか。たかがとされどのバランスを取りながら、スポーツとしてのサッカーの魅力に、忠実に迫っていくつもりです。世の中であまりいわれていないことを、出来るだけ原稿化していこうと思っています。刺激を求めたい方、現状に満足していない方にとりわけにお勧めです。

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