日本人が胸を張る「おもてなし」と、スポーツイベントに求められる「おもてなし」は違う

案内表示がハイレベルにあるアムステルダム国際空港「スキポール」

 難易度ランク1位は新宿駅だと思う。その駅の構造を把握することは簡単ではない。

 なにを隠そう僕は大学時代、その新宿駅の西口地下の売店で、売り子のアルバイトをしていた。新聞、雑誌、ガムやたばこを、ボックスの中で忙しく売っていたのだが、売り子は同時に、道しるべ、案内係としての役割も担っていた。 

「東口へはどう行けばいいのでしょうか?」

「西武新宿線は?」

「アルタは?」

「紀伊國屋は?」

「伊勢丹は?」 

「富士山を見に行きたいのですが、どうするのがベストですか?」と、外国人観光客から尋ねられたこともあった。

 バイト先の売店には、彷徨える旅行者がひっきりなしにやってきた。

 観光客はもとより、上京したての学生、社会人がそこに一歩足を踏み入れれば、巨大迷路に紛れ込んでしまったようなパニックに陥ったとしても不思議はない。理由は、駅の構造の複雑さだけではない。

 何より駅の案内表示が分かりにくいのだ。目立ちにくい。見えにくい。視界に紛れ込み、埋没してしまっている。案内表示という利用者に必要不可欠な駅の基本的情報が、サッと視界に目に飛び込む仕組みになっていない。それが、駅構内で一番目立たなければならないものでなくなっている。

 新宿駅に限った話ではない。乗降客の多い首都圏や大都市の駅は大抵この調子だ。案内表示より広告の方が目立っている。

 電車、地下鉄の車両内もしかり。広告があらゆる隙間を埋め尽くしている。旅の基本的な情報が欲しい旅行者にとって、それは迷惑そのものだ。旅行者に不可欠な路線図や停車駅等々の基本情報は、すっかりその中に紛れ込んでしまっている。 

 日本でクールなものは何かを探る「COOL JAPAN」(NHK BS)という番組でも、何週間か前、広告がテーマになっていて、駅や電車の広告も俎上に上がっていた。それがクールか否か、スタジオに集まった日本在住の外国人に問うていたが、制作者に問題意識がなかったのだろうか、そこでは、日本らしいものだと肯定的に紹介されていた。隙間を見つけて広告を掲示しようと努力する人たちの仕事ぶりを紹介し、クールではないですかと無言で訴えていた。外国人をスタジオに集めているにも拘わらず、外国人旅行者の視点に立脚した番組内容になっていなかった。

 この番組は以前「おもてなし」にも触れていた。日本人のホスピタリティはクールなんじゃないと軽く胸を張ったわけだが、日本の駅や交通機関に関していえば、失格もいいところだ。日本語が読める日本人でさえ混乱するのだから、外国人が混乱しないはずがない。

 毎日利用する通勤者、すなわち常連客、お馴染みサンのものになっているのがその実態。一見さんはお断り的なムードにも通じる排他性を感じる。

 一度、日本語が読めない外国人になったつもりで、東京の交通機関を利用してみるといい。僕は実際、やってみたことがあるのだけれど、たちまちギブアップ。外国人旅行者の気持ちを、少しばかり味わうことができた。

 欧文は自己流でなんとか発音できる。文字を音に置き換えることができる。が、外国人旅行者にはそれができない。アラビア文字だらけの世界、ハングル文字だらけの世界に置かれた時の自分を想像してみて欲しい。大抵の人は日本語に囲まれると、パニックになるはずだ。

 7年後が心配になる。「大都市東京のど真ん中で行われる便利で安全な大会」と銘打った2020年東京五輪が。

 一番の不安材料は、滝川クリステルさんが胸を張った「おもてなし」だ。外国からやってきた日本語が全く読めない旅行者が、東京の交通網を快適便利に活用する姿を、僕はいま想像できない。

 新東京国立競技場が建設される千駄ヶ谷は、新宿から総武線の各駅停車で2つ目の駅だ。観戦者の多くが、難易度第1位、言い換えれば、ホスピタリティに最も欠ける新宿駅を利用することになる。

 2002年日韓共催W杯。日本は韓国に成績で劣った。韓国がベスト4で日本はベスト16。そしてホスピタリティでも日本は韓国に劣っていた。観戦の旅はどちらの方が快適だったかと言えば韓国。僕は大会期間中、両国を6往復した。空港に到着して、電車、バス、タクシー等を利用しながらスタジアムを目指したわけだが、その観戦シートまでストレスなくたどり着けたのは、日本ではなく韓国。ハングルを全く読めない日本人なのに、だ。

 差を分けたのは表示案内の差。2002年日韓共催W杯を振り返れば、我々に最も欠けていたのは、すなわちホスピタリティだった。滝川クリステルさんの言うところの「おもてなし」が、11年前に学んだ教訓なら問題ないが、無知、無反省だとすれば困った話になる。

 日本人が胸を張る「おもてなし」と、スポーツイベントに求められている「おもてなし」とは、必ずしも一致しない。別物と言うべきである。前者ははあくまでも精神の問題。人間同士の奥ゆかしい対面的な関係をいう。

 それでは世界を代表するスポーツイベントは乗り切れない。より明確で具体的なもの、わかりやすい形になっている必要がある。さしづめ表示案内は、そのど真ん中に位置する、その代名詞と言うべきものだ。

 その案内表示が脆弱だというわけだ。98年長野五輪でも、それは思いきり露呈したのだけれど、理由はわかりやすい。自覚がないからだ。長野の人たちは「おもてなし」には自信があったはずだ。「おもてなし」の精神に欠けるなどとは夢にも思わなかったはず。そこに問題の根は潜んでいる。

 だがいま日本人は、これまで以上に胸を張っている。「おもてなし」は流行語大賞を取りそうな勢いにある。危険な匂いがプンプンする。それとこれは違うんですよと、声を大にして言いたくなる。舞台は大都市東京。失敗はいっそうデフォルメされる。

 「おもてなし」は形にしなければ意味がない。気持ち、精神だけで膨大な観戦旅行者の波を捌くことはできないのだ。

スポーツライター、スタジアム評論家。静岡県出身。大学卒業後、取材活動をスタート。得意分野はサッカーで、FIFAW杯取材は、2018年ロシア大会で連続10回現地取材となる。五輪も夏冬併せ9度取材。モットーは「サッカーらしさ」の追求。著書に「ドーハ以後」(文藝春秋)、「4−2−3−1」「バルサ対マンU」(光文社)、「3−4−3」(集英社)、日本サッカー偏差値52(じっぴコンパクト新書)、「『負け』に向き合う勇気」(星海社新書)、「監督図鑑」(廣済堂出版)など。最新刊は、SOCCER GAME EVIDENCE 「36.4%のゴールはサイドから生まれる」(実業之日本社)

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