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NBA再開の舞台裏レポート──150億円の隔離空間「バブル」ではいったい何が

杉浦大介スポーツライター
写真:代表撮影/USA TODAY Sports/ロイター/アフロ

 新型コロナウイルスの影響で3月中旬から中断していた世界最高のバスケットボールリーグ、NBAが7月30日から上位22チームが集まりフロリダ州オーランドで再開した。パンデミックの中でも可能な限り安全に試合を開催するため、NBAがディズニー・ワールドに150億円以上を費やして作り上げた“バブル”。世界的な注目を集めるこの巨大な隔離空間はいったいどんな場所なのか。プロ1年目の八村塁、レブロン・ジェームズといったスーパースターたちはどのような環境でプレーし、異常事態下でのゲームはどのような形で運営されているのか。日本メディアでは唯一、試合が行われるアリーナ内に立ち入った筆者が舞台裏をレポートする。

PCR検査の結果がわからなかった真相

 PCR検査の結果が届かない――。オーランドのホテルの一室で焦燥感を感じながら、時間ばかりがいたずらに過ぎていった。

 8月6日。NBA取材のためにニューヨークからフロリダ州キシミーにあるディズニー・ワールドに到着後、指定されたウォルドーフ・アストリア・オーランド・ホテルに直行した。

 まずは新型コロナウイルスの検査を受けなければいけない。現地で陰性結果が出て、初めて試合が行われているESPNワールドワイド・スポーツコンプレックス(以下、スポーツコンプレックス)の会場内にも入ることができるのだ。

ディズニー・ワールドに辿り着いたまでは良かったが・・・・・・(杉浦大介)
ディズニー・ワールドに辿り着いたまでは良かったが・・・・・・(杉浦大介)

 検査結果は24時間以内に届くと聞いたが、実際には当日の深夜までには判明するという。検査を受けたのは6日午後12時頃。体調はすこぶる良好。当然、陰性であると想定し、翌日は午後1時からユタ・ジャズ対サンアントニオ・スパーズ戦、午後4時からオクラホマシティ・サンダー対メンフィス・グリズリーズ戦、午後8時からワシントン・ウィザーズ対ニューオリンズ・ペリカンズ戦を取材するという濃密なスケジュールを組んでいた。ところが――。

コロナ検査のスケジュールは詳細に定められている。(杉浦大介) 
コロナ検査のスケジュールは詳細に定められている。(杉浦大介) 

 時計の針が深夜12時を過ぎ、7日の朝になっても、PCR検査の結果は届かなかった。ジャズ対スパーズ戦はやむなくキャンセル。自主隔離状態の中で、私が肝を冷やしたことは言うまでもない。まさか陽性反応が出て、現場まで来ながら久々のNBA取材は叶わないのか・・・・・・?

 「すでに私たちのところには陰性という結果が来ていますよ。取材を始めてもらって大丈夫です。連絡が来ない?陽性だったら100本くらいメールか電話が来るから、何も届かない時点で大丈夫だっていうことです(笑)」

 幸いにもNBAの職員からそんな返信が午後2時頃に届き、私の懸念は徒労に終わる。どうやら生年月日と電話番号の入力に誤りがあり、検査結果が載る登録サイトとの連携がうまくいかなかったというのが真相のようだ。

 ここでようやくほっと一息つく。午後1時開始の試合こそ間に合わなかったが、渡邊雄太が所属するグリズリーズ、八村塁が主力として活躍するウィザーズの試合も無事にアリーナ内の記者席で見ることができる。このように、パンデミック下の出張は前途多難のスタートを切ったのだった。

ESPNスポーツ・コンプレックスの入り口。(杉浦大介)
ESPNスポーツ・コンプレックスの入り口。(杉浦大介)

 ただ、結論を先に述べてしまうと、今回の取材期間中、不安を感じたのはこの時だけだった。以降、オーランドに作り上げられた“バブル”と呼ばれる隔離空間のクオリティに感心させられ続ける。同時に、それをやり遂げたNBAという組織の凄さを痛感させられることになったのである。

”バブル”に向かった経緯とは

 3月11日に選手から新型コロナウイルス感染者が出てから中断していた2019~20シーズンの再開に向けて、NBAはディズニー・ワールド内に巨大な隔離地域を用意した。リーグは“キャンパス”という呼称を好むが、“バブル”という呼び名が一般的。中に入る人間を限定し、連日検査し、可能な限りウイルスを締め出すというのが“バブル”のコンセプトである。今ではアイスホッケーリーグのNHL、メジャーリーグサッカーのMLS、総合格闘技のUFCなどが同じ方式で競技を再開しているが、総額1億5000万ドル(約150億円)以上の大金を費やしたとされるNBAの“バブル”はその中でも最大の注目を集めていた。

 ここで断っておくと、私はNBAが作り上げた“バブル”の中に入ったわけではない。取材するメディアは「グループ1」と「グループ2」に分けられ、私は「グループ2」のメディアの1人だ。この「グループ2」ではディズニー・ワールド内には入れないが、3つの試合会場がある施設内は出入りできる。選手に接触はできず、インタビューもリモートだが、試合が行われるアリーナへの立ち入りは許され、ライブで見ることができる。

 ディズニー・ワールドのあるフロリダ州は依然として感染源となっていることもあって、現場に行くべきかを迷った。取材はニューヨークの自宅にいるのと同じリモートでのインタビューとなるため、リスクを犯してまで“バブル”の近くまで行く意味は大きいとは言えないのかもしれない。

 それでも記者はやはり現場取材が基本である。「NBAの施設がすごい、豪華だ」と話に聞くだけではなく、外側からでも実際に自分の目で見ることには重要な意味がある。事前にNBAとも綿密に連絡を取り、安全対策は万全と判断した上で現地入りを決意したのだった。

コロナ検査は現地の記者、関係者にとっても緊張の瞬間だ。(杉浦大介)
コロナ検査は現地の記者、関係者にとっても緊張の瞬間だ。(杉浦大介)

絶対的なソーシャルディスタンス

 オーランドに到着以降、私は健康面、安全面の懸念を感じることはほとんどなかった。NBAの管轄で行われる新型コロナウイルスのテストは、「グループ2」の記者でも72時間に1度は受けることがリーグの定めた規定。私も4泊5日の滞在期間中に2度、綿棒のようなものを鼻に入れられることになった。

 検査の流れは非常にスムーズで、スタッフが多いためにほとんど待たされることはない。この頻度で検査を受けるのはもちろん私だけではなく、現場で接触する全員が同じ手順を踏んでいるとわかれば安心感はある。

ソーシャルディスタンス確保の切り札。周囲の人間に近づきすぎると中央が赤く光って震え、アラームが鳴る。(杉浦大介)
ソーシャルディスタンス確保の切り札。周囲の人間に近づきすぎると中央が赤く光って震え、アラームが鳴る。(杉浦大介)

 陰性結果とともにスポーツコンプレックスに入る許可が下りるが、その入り口でドイツの会社であるキネクソン製のGPSが配られ、首からぶら下げることを義務付けられる。ソーシャルディスタンスを守らないとGPSが赤く光り、振動とともにアラームが鳴る仕組み。少なくとも施設内では、6フィート(約2メートル)以上の距離を絶対的なものにしようという取り組みだ。おかげで滞在期間中、誰かの6フィート以内に接近することはほとんどなかった。

 もっとも、“ほとんど”ではあっても、やはり“絶対”ではない。このシステムのおかげで普段から気をつけていられるが、ほぼ唯一の例外はトイレだ。

 トイレも「グループ1」と「グループ2」で分けられているが、試合のハーフタイム時などにはどちらも混み合う。私も「グループ2」のトイレに慌てて駆け込み、うっかりソーシャルディスタンスを忘れ、アラームが鳴り響いたことがあった。隣に立っていた記者と、用を足しながら「こればかりは仕方ない」と笑い合ったものである。

この日のメニューはビーフ、サーモン、ブロッコリー、ナス、キヌアなど。(杉浦大介)
この日のメニューはビーフ、サーモン、ブロッコリー、ナス、キヌアなど。(杉浦大介)

 

NBAの成功

 こうして説明していくと、敷地内ではセキュリティ面で十分な配慮がなされていることが伝わるはずだ。

 付け加えると、メディア、関係者用の食事も万全だった。スポーツ現場ではおなじみのビュッフェはなく、用意されているのはメインディッシュ、アペタイザーともにすべて箱、袋詰めのもの。一見すると機内食のようで無機質だが、種類は十分で、味もなかなかだった。おやつ、アイスクリームなどは常時完備されており、不満を述べる記者は皆無だった。

メディア用に用意されるスナックもディズニー製品だ(杉浦大介)
メディア用に用意されるスナックもディズニー製品だ(杉浦大介)

 ここまで良いことばかりを記してきたが、もちろんオーランドでの再開後のゲームが日頃のNBAの興奮をすべて完璧に再現していたというわけではない。効果音やバーチャルの観客といった工夫がなされていても、無観客ゲームの寂しさは完全には拭い去れないものがあった。

 また、個人的に気になったのは、どんなに劇的な試合でも、終了直後、アリーナがすぐに静まり返ってしまい、現実に引き戻されることだ。これは仕方ないことなのかもしれないが、興奮の余韻はそこにはない。現在、“バブル”ではプレーオフの戦いが始まっているが、本来ならドラマチックな優勝の瞬間も今年は例年より軽いものになってしまうのだろう。

安全のプロトコルはかなり細かく定められている。(杉浦大介)
安全のプロトコルはかなり細かく定められている。(杉浦大介)

 ただ・・・・・・新型コロナウイルスによるパンデミックの中で、すべてがこれまでと同じ通りにいかないのは当然ではある。人と人の接触を減らし、関わる人数を減らし、ウイルス感染の可能性を低く抑えるのがスポーツイベント再開に向けた基本コンセプトだった。そんな制限がある中でも、NBAは緊張感のある真剣勝負の空間を見事に作り上げてみせた。同時に“バブル”がオープン以降、選手、関係者の間からコロナ陽性反応者が1人も出ていないことは特筆されるべきだ。

 もちろん財政力が基盤にあればこそだが、同じ米メジャースポーツの1つであるMLBでは複数チームでクラスターが発生していることを見ても、「安全面」と「競技性」の両方をクリアしたNBAは高く評価されて良い。

歴史に刻まれる時間の中で

 「詳細なプロトコルを定め、設備を工夫することで、NBAは素晴らしいものを作り上げたと思う。当初は“バブル”の中で争われる優勝の価値に疑問を呈する声もあったが、再開後、そんな意見は消えてなくなった。この場所で優勝するチームは、これまで通り、いやこれまで以上の達成感を感じるのではないか」

 「グループ2」の記者として取材を続ける米スポーツ専門局ESPN.comのデイブ・マクナミン記者はそう述べていた。同じく「グループ2」の1人として外側から眺めた私も同意見。“バブル”内ではまた別の世界が展開されているとしても、今のところ、そちらから聞こえてくる運営、競技レベルへの評判も上々だ。

ESPN.comのデイブ・マクナミン記者。主にレイカーズを取材し、ファイナル終了まで長期にわたってオーランドに残る予定という。(杉浦大介)
ESPN.comのデイブ・マクナミン記者。主にレイカーズを取材し、ファイナル終了まで長期にわたってオーランドに残る予定という。(杉浦大介)

 「NBAの職員の中には3カ月以上施設内に滞在するものがいれば、数週間で入れ替わる職員もいます。誰もが未経験で、大変な作業なので手分けして取り組むしかありません。ここまで問題は起きてはいませんが、このまま幸運が続きますように。まだ始まったばかりですから・・・・・・」

 あるNBAの職員に「ここまでは素晴らしいですね」と声をかけると、「シッ」と口止めでもするように手を当ててそう述べた。もちろんここまでの成功に対して謙虚になっているわけではなく、正直な思いだったに違いない。

 現在、私たちは歴史に刻まれる時間の中に生きている。新型コロナウイルスによって世界が変わって以降、明日には何が起こるかわからないという不安はすべての人々の頭に常にある。“バブル”にも遠からず陽性反応者が出ても驚くべきではない。クラスターが生まれ、自分もその中の1人になってしまうかもしれない。そんな目に見えない恐怖は、オーランドに来た初日、PCR検査の結果が届かなかった時間に私自身が感じたものでもある。

メディアシャトルもディズニーバス。フロリダのリゾートは完全なNBAタウンになった。(杉浦大介)
メディアシャトルもディズニーバス。フロリダのリゾートは完全なNBAタウンになった。(杉浦大介)

 ただ、1つだけ言えることは、NBAはオーランドのディズニー・ワールドに知恵と資産を総動員し、最善を尽くしているということだ。米4大スポーツの中でも最も先進的と呼ばれるリーグは、これ以上ないと言い切れるものを作りあげた。たとえクラスターが発生したとして、そのときのためのプロトコルも用意し、万全を期しているのだろう。

 わずか5日間の滞在で、そんなNBAの努力を肌に感じることができた。施設内の安全をほとんど確信し、10月まで続く長いシーズンの成功にも自信を持つことができたのだから、やはり私が“バブル”行きを決意したことも正解だったのである。

 ”バブル”での熱戦は10月のファイナルまで続く。(杉浦大介)
”バブル”での熱戦は10月のファイナルまで続く。(杉浦大介)

 【この記事は、Yahoo!ニュース個人の企画支援記事です。オーサーが発案した企画について、編集部が一定の基準に基づく審査の上、取材費などを負担しているものです。この活動は個人の発信者をサポート・応援する目的で行っています。】

スポーツライター

東京都出身。高校球児からアマボクサーを経て、フリーランスのスポーツライターに転身。現在はニューヨーク在住で、MLB、NBA、ボクシングを中心に精力的に取材活動を行う。『日本経済新聞』『スポーツニッポン』『スポーツナビ』『スポルティーバ』『Number』『スポーツ・コミュニケーションズ』『スラッガー』『ダンクシュート』『ボクシングマガジン』等の多数の媒体に記事、コラムを寄稿している

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