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それでどういじめ被害者を支援し、加害者加担社会を変えるか?#人権侵害のオリンピック といじめ対策・1

末冨芳日本大学教授・こども家庭庁こども家庭審議会部会委員
コーネリアス・オフィシャルホームページより

小山田圭吾氏による、学校での障害者へのいじめ問題が、バッシングの対象となりました。

日本の学校でのいじめ問題の深刻さ、いじめ対応の課題を日本社会にさらけ出した事件として、教育学者として、いま日本に必要ないじめ対策について考えていきたいと思います。

まず第1回では、いじめ被害者へのケアや支援の認識があまりに薄い、加害者加担社会・日本の問題点について指摘します。

そのうえで、第2回以降で、いじめの被害者へのケアや支援、学校だけにいじめ対応を押し付けるのではなく警察・児童相談所や少年鑑別所等も関わったいじめ加害者への「矯正」や処罰の在り方について考えていきたいと思います。

1.小山田氏いじめ問題にみる加害者加担社会

(1)安直な謝罪ではなく問題を心に落とした「償い」こそ重要

すでにご本人は謝罪文を出しておられますが、加害者の安直な謝罪は被害者への二次加害になってしまいかねません

この点については、弁護士ドットコム編集部「小山田さん辞任で『終わらせてはいけない』障害者問題に取り組む弁護士が考える 『ほんとうの償い』」(2021年7月21日)の以下の指摘に賛同します。

今回、知的障害者やその親でつくる「手をつなぐ親の会」が声を上げました。この会が中心となって、小山田氏とじっくり対談し、知的障害のある方とも会っていただき、その方たちを理解したうえで、現実の謝罪を実現させるべきです。

そのことが意義を持つためには、小山田氏と何カ月かかけて語り合い、勉強をしていただき、問題を心に落としたうえで、謝罪の対面をしていただく必要があります。

仮に、被害者が見つけられなかった場合には、障害者団体で「障害ある人へのいじめ」について、シンポジウムなどを催してもいいと思います。小山田さんは、障害のある方へのいじめについては、その心の意義を伝える発信者になっていただきたい。それが、あれだけの記事を残すことになった償いだと思います。

(2)日本では「いじめ後遺症」のダメージへの認識が浅すぎる!

いじめ加害者から謝罪を受けることすら、いじめ被害者にとっては怒りや恐怖を伴う

「問題を心に落としたうえで、謝罪の対面をする」、このような丁寧なステップを経てもなお、謝罪のためとはいえ、いじめ加害者に合うことは、いじめ被害者にとっては大きな怒りと恐怖を伴うことでもあるのです。

小山田氏事件をめぐるさまざまな言説の中で、いじめ被害者たちはフラッシュバックを起こし、傷つき、加害者からの謝罪のなさに怒りや悲しみをよみがえらせてしまっているという悲痛な声も私のもとにも寄せられています。

いじめが原因でひきこもったり、自殺につながるケースもあります。

いじめ後遺症の深刻さは、日本ではそれほど認識されていないのかもしれませんが、レイプと同じく魂の殺人であるとも言えます。

いじめ後遺症については、滝沢潤東京大学大学院准教授らのチームが、長期のダメージを被害者にもたらすことを明らかにしています。

子ども期のいじめ被害は、児童・思春期や成人早期までだけでなく、さらに長期に中年期に至るまで抑うつ・不安などの精神疾患発症リスクが生涯残ること、心身の健康・対人関係・人生満足度・QOL/Well-beingへの影響も50歳に至るまで残ることを、英国King's College Londonとの英国大規模コホートを用いた共同研究で初めて明らかにしました。

(東京大学大学院・滝沢潤研究室ホームページより)

旭川の女子中学生がいじめを契機として凍死した事件は、いじめが被害者にもたらす深刻なダメージの結果でした。

本物の「償い」や「謝罪」とは、このように、いじめが被害者にもたらす深刻で甚大な影響を認識したうえで、行われるべきものであり、小山田氏だけでなくあらゆるいじめ加害者に求められるものなのです。

それは安直な謝罪で済むようなものではありません。

(3)いじめ被害者へのケアやいたわりの視点があまりに希薄なジャーナリズムやネット発信者たち

教育学の研究者である私が違和感を禁じ得ないのは、いじめの被害者へのケアやいたわりの視点が、ジャーナリズムの公式発信にも、インターネット上でのSNSやブログ等の私的な発信にも、あまりにも不足しているのではということです。

小山田氏自身の酷いいじめとそれを被害者側に寄り添う視点なしにネタ化した1990年代サブカル文化だけではありません。

「いじめは許される行為ではない」とお題目のように唱えつつ、実質的に小山田圭吾氏やいじめ加害を容認するサブカルチャーや出版文化を擁護するかのような発信や「分析」を行う発信者も増えていますが、いじめ被害者への視点をもった発信がとても少ないのです。

同時に、いじめ被害者のケアや保護への視点もなく、ただ小山田圭吾氏へのバッシングで世論を炎上させることが目的なのではないかと思われるSNSやジャーナリズムに対しても違和感を感じています。

(4)加害者加担社会・日本こそが人権差別のオリンピックの土壌ではないのか?

精神科医の斎藤環さんが指摘されるように、日本は「社会全体が加害者寄り」という特徴を持っている、と私も考えています。

(ソーシャルアクション・ラボ「いじめによるトラウマ、後遺症は残る」 精神科医 斎藤環さんに聞く、毎日新聞デジタル)

日本は加害者加担社会だ、という特徴が、小山田氏事件にも強く表れていると言ってもいいでしょう。

今回のオリンピックは、人権差別のオリンピックとでもいうべき残念な状況になっています。

-森義郎東京オリンピック組織委員会の女性差別発言による辞任

-オリパラ開閉会式・クリエーティブディレクターの佐々木宏氏の女性芸能人蔑視発言による辞任

-小山田氏の障害者いじめ事件による辞任

-ホロコーストをネタ化してしまうことにより結果としてユダヤ人差別やナチスの許されざるべき行いに賛同する姿勢を示して小林賢太郎氏の辞任

これらは、いじめ・人権侵害の加害者になりやすい男性エリート中心である運営者が、オリンピック憲章の精神を理解せず、人間の権利や尊厳をあまりにも軽く考え、自身の加害者性や過去の軽薄な行いへの謝罪等のリスクをあまりに軽くみつもってしまったために起きた、オリンピック運営のリスクマネジメントの問題でもあります。

今後は、スポーツだけでなく、世界的な大規模イベント開催に際しては、政府や企業含め、いじめや人権問題の被害者に寄り添う研修、障害者や女性、子どもの権利を学び尊重する研修を受けることも必要と考えます。

形式的な研修ではなくワークショップやロールプレイングを通じて、人権侵害の被害者のダメージを理解し、だからこそ、いじめを含むあらゆる人権侵害が許されないことを理解し改善のために行動する日本に成長していく契機とすることも重要でしょう。

また人権尊重を含む倫理規定にサインし、謝罪すべき事項があれば運営者にそれを共有し「問題を心に落とす」対話や学びを重ねたうえで償い、大規模イベントマネジメントが行われていくことも必要になると思われます。

(5)いじめは犯罪であり人権侵害です

誰もが加害者になりうるからこそ、加害者に加担せず、被害者に寄り添う社会に

第2回以降では、いじめ被害者に求められるケアと支援、学校だけにいじめ対応を押し付けるのではなく警察・児童相談所や少年鑑別所等も関わったいじめ加害者への「矯正」や処罰の在り方について考えていきたいと思います。

いじめといっても、子ども若者のケンカではないか、という軽いものの考え方では済まされません。

いじめは犯罪であり、人権侵害であり、誰しも加害者になりうるのです。

だからこそ、どのような小さないじめ・イジリやからかいであっても、加害者を増長させたり加担しないように厳しく対応すべきなのです。

我が子の命や尊厳や人権を守るためにも、同じ社会を生きる人々の命や尊厳や人権を守るためにも。

私もかつて子どもが階段から蹴り落された事件があり、学校からの説明と加害者からのお詫びを受けたことがあります。

しかしその事件のきっかけは、私の子どもが、階段から蹴り落した子どもをからかったことが原因でした。

担任の先生が丁寧に経緯を聞き取ってくれていたおかげで、私は子どもに経緯を確認したうえで、「あなたが相手を傷つけたことが原因だ」ということを伝えることができました。

そして、言葉により相手を傷つけたことが暴力を招いたことを伝えました、子どもも理解し、泣いていました。

どの子どもも、加害者になりえます、そしてそれは被害者の命や尊厳を脅かすことなのです、だからこそいじめは許すべきではないのです。

誰かへの加害を容認することは、犯罪や人権侵害を容認することでもあり、基本的人権の尊重のうえに成り立つ法治国家としての日本の統治を侵食するものでもあります。

日本国憲法第11条には、基本的人権の尊重が、不可侵の権利として規定されています。

「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。 この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる」

あなたは誰かを傷つけ、一生癒えない心の傷を負わせたり、死に至らしめたいですか?

いじめ加害をしたり、加害者加担するということは、それくらい重大な問題なのです。

人権差別のオリンピック、残念なことですが、これを契機に、学校も大人の社会も人間の権利と尊厳を尊重し、あらゆるいじめや人権差別を改善し、なくす日本であるにはどうすれば良いか、真剣に考え、取り組むことが必要になっていると考えています。

読者のみなさんはどうお考えですか?

日本大学教授・こども家庭庁こども家庭審議会部会委員

末冨 芳(すえとみ かおり)、専門は教育行政学、教育財政学。子どもの貧困対策は「すべての子ども・若者のウェルビーイング(幸せ)」がゴール、という理論的立場のもと、2014年より内閣府・子どもの貧困対策に有識者として参画。教育費問題を研究。家計教育費負担に依存しつづけ成熟期を通り過ぎた日本の教育政策を、格差・貧困の改善という視点から分析し共に改善するというアクティビスト型の研究活動も展開。多様な教育機会や教育のイノベーション、学校内居場所カフェも研究対象とする。主著に『教育費の政治経済学』(勁草書房)、『子どもの貧困対策と教育支援』(明石書店,編著)など。

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