「絶望」を糧とする「イスラーム国」/イスラーム主義とは何か(第16回)

スンニ派武装組織 「イスラム国家」樹立を宣言(写真:ロイター/アフロ)

世界政治学会(IPSA)の世界大会が開かれているポーランド西部の街ポズナンから。今回のテーマは、過激派組織「イスラーム国(IS)」。「イスラーム国」は、イスラーム過激派、すなわち、ジハード主義者の「第3世代」に分類できる。

彼らはどのように台頭したのか。「旧世代」とどのような違いがあるのだろうか。

「アラブの春」後の中東に蔓延した「絶望」

2011年の市民による非暴力の民主化運動「アラブの春」は、結果として見れば、長年の独裁政治の時代における人びとの「希望」を背負ってきたイスラーム主義と民主主義の両者にとっての打撃となった。とりわけ、エジプトのムスリム同胞団の盛衰は、「もう1つの近代」を模索してきた思想としてのイスラーム主義への懐疑を増幅させた。

2012年に政権与党となったムスリム同胞団系の自由公正党は、民主化移行期の混乱の最中の難しい舵取りであったとはいえ、山積する政治や社会の課題への取り組みにおいて、エジプト国民の期待に十分に応えることができなかった。

さらに、欧米諸国がクーデタによる軍事政権の復活を黙認したことに加えて、イスラーム主義の伸張を抑止する独裁政権を必要悪と見なしていることが浮き彫りになった。強力なイスラーム主義の反体制派が存在する諸国、例えば、シリアではバッシャール・アサド政権の打倒に及び腰であり、バハレーンにおいては政府による市民に対する弾圧を事実上容認した。他方で、湾岸アラブ諸国の専制的な王政への批判は皆無であった。

欧米諸国の「アラブの春」への姿勢には、民主主義をめぐる明らかな二重基準(ダブルスタンダード)があった。

その結果、イスラーム主義だけでなく、民主主義への信頼も損なわれ、中東の人びとのあいだには思想的な閉塞感が広がっていった。つまり、「相変わらずの独裁政治」の下で生き続けるか、それとも、欧米諸国の顔色を窺いながら「条件付きの民主主義」を運営するか、厳しい選択を迫られることとなった。こうして、人びとのあいだに「絶望」が広がっていった。

「トルコ・モデル」の座礁

この時期のイスラーム主義が見せた陰りを考えるとき、トルコの政権与党・公正発展党の功罪も無視できない。2000年代以降、同党はトルコの国是である世俗主義と国民の99%が奉じるイスラームとの融和を掲げ、安定的な政権運営を行っていた。それは「トルコ・モデル」と呼ばれ、他のムスリム諸国にとってのロールモデルとしての注目を集めた。

しかし、2003年から3期にわたって首相を務めたレジェップ・タイイップ・エルドアン(1954年-)が徐々に独裁の傾向を強め、2014年には新たに導入された直接選挙制度を通して大統領の座に着いた。その後もエルドアン政権による強権的な政治は続き、それにともない、「トルコ・モデル」は失敗したとの見方が国内外に広がった(2016年7月のクーデタ未遂は、同政権によるいっそうの強権政治を正当化する材料となった)。

こうして、やはりイスラームと民主主義は相容れない、といった古典的な警戒論が再浮上し、その結果、欧米諸国を中心に「アラブの春」後の中東諸国の民主化をめぐる楽観的な見通しは完全に過去のものとなった。

「イスラーム国」の出現

こうして生じたイスラーム主義と民主主義をめぐる「絶望」を糧にして、急速に勢力を拡大したのが「イスラーム国」であった。彼らは、世俗化と独裁を否定し、また、西洋的近代化や民主主義をも否定した。そして、指導者のアブー・バクル・バグダーディーがカリフ(預言者ムハンマドの後継者・代理人)を僭称し、自らが主導する「正しいイスラーム」に立脚した新たな国家ーーカリフ国家ーーの建設を謳った。

つまり、彼らは、混乱が続く中東において、独自の国家構想を提示しようとしたものと見ることができる。それは、「アラブの春」以降、イスラーム主義と民主主義への信頼が凋落するなかで、ある種の思想的なオルタナティヴとしての立ち位置を確保するという側面もあった。

とはいえ、言うまでもなく、「イスラーム国」は、国際法上の「国家」ではなく、一方的に「国」を名乗っているイスラーム主義組織である。その源流は2003年のイラク戦争に求めることができる。

彼らは、戦後のイラクの政治的混乱のなかで、さまざまな名称の組織を用いながら、米国の占領軍およびその協力者に対する攻撃を繰り返した。「イスラーム国」は、その後、イラク政府の軍と治安部隊による攻勢によって一時的に劣勢へと追い込まれたものの、2011年の「アラブの春」をきっかけに始まった隣国シリアの内戦ーーバッシャール・アサド(1965年-)政権と民主化を求める反体制諸派との軍事的衝突ーーの混乱の結果、同国内に自由な活動ができる「聖域」を得た。その「聖域」で、彼らは、国外から豊富に流入する武器、資金、戦闘員を享受することで急速に勢力を拡大し、2014年1月、イラクとシリアにまたがる地域で「イスラーム国」の建国を一方的に宣言したのである。

ジハード主義者「第3世代」の特徴

「イスラーム国」が実効支配する地域では、独善的な「正しいイスラーム」に基づく恐怖政治が行われ、異教徒や棄教者・背教者と見なされた人びとが銃殺や斬首などの残忍な方法で次々に殺された。そして、ジハード(聖戦)の名の下に、シリアとイラクの両国の政権を敵視するだけではなく、それらと対立するさまざまな勢力とのあいだでも激しい武力衝突を繰り返した。

その意味において、「イスラーム国」は、紛れもなく、力によるジハードの遂行を至上とするジハード主義者の集団であった。

しかし、彼らは、ジハード主義者の「第1世代」(1960~70年代)(第11回)、「第2世代」(1980年代末~2000年代)(第15回)とはいくつかの点で異なる特徴を持っていた。そのため、「イスラーム国」は「第3世代」と呼ぶことができる。

彼らは、「旧世代」に対する「古さ」と「新しさ」を兼ね備えていた。

「古さ」について言えば、「第1世代」への先祖返りの一面が見られる。すなわち、「イスラーム国」の最終的な目的は(彼らが考える)「イスラーム国家」の樹立とされ、また、カリスマ的な指導者と体系的な組織を有するという、イスラーム主義運動の古典的な「フォーマット」(第7回)が踏襲されている。彼らは、西はモロッコ、東は中国の一部までを含む広大なイスラーム国家の建設を標榜しながらも、実質的にはイラクとシリアという2つの国民国家内での国家権力の争奪戦に拘泥している。このことは、21世紀初頭の中東で猛威を振るった「第2世代」のアル=カーイダが脱領域性とジハードの自己目的化ーー創造よりも破壊へのこだわりーーを特徴とする新しさを見せたのとは対象的である(第15回)。

他方、「新しさ」については、「イスラーム国」が狡猾な外国人誘拐・脅迫戦術を展開し、また、SNSに代表される新しい情報コミュニケーション技術(ICT)をーーアル=カーイダよりもはるかに洗練された方法・様式でーー駆使した点を挙げることができる。また、グローバル化の進展によって人、モノ、カネ、情報がいっそう激しく国境を越えて移動していくなかで、メンバーや戦闘員、資金や物資の効率的な獲得を目指した。その結果、かつて「テロリスト」は中東から欧州に来るものと一般的に考えられてきたが、今や多くの欧州の市民が「イスラーム国」へと参加・合流するような事態が起こるようになり、双方向的な現象が見られるようになった。

「イスラーム国」の凡庸さ

こうして見てみると、「イスラーム国」は、幾分の「洗練」は看取できるものの、思想面でも活動面でもジハード主義者としては凡庸さが目につく。だとすれば、彼らの力は過大評価されているのかもしれない。

だが、「イスラーム国」の脅威を考える際には、彼ら自身のあり方よりも、むしろ、彼らの思想や活動を許し、その目標の達成を可能としてしまった構造的要因に注目する必要がある。言い換えれば、彼らを取り巻く政治環境の「新しさ」こそが、ある種の「古さ」を纏う彼らを「第3世代」として台頭させたことになる。

その政治環境の「新しさ」こそが、前述の「アラブの春」後の「絶望」であり、また、イラクとシリアの紛争による「破綻国家」化ーー国家機能が麻痺することで主権的・領域的な統治が弛緩し、国民が国民としての自覚を失うことで分裂した状態ーーであった。

イラクは2003年のイラク戦争の後に、シリアは2011年の「アラブの春」の後に政治的混乱の度合いを強め、破綻国家へと転落していった。それが、「イスラーム国」のようなジハード主義者の台頭を許し、ひいては領域的な支配を許すことになった。ここに、ジハード主義者による国家建設が体現され、彼らが理想とする政治と社会が具現化した。この結果こそが、「古さ」を纏った「イスラーム国」が「アラブの春」後の中東にもたらした「新しさ」であった。

「イスラーム国」は、残忍な殺人・虐殺行為だけではなく、異なる宗教や宗派に対する暴力と不寛容、奴隷制の再興、人類の歴史的遺産の破壊、兌換紙幣の否定と金本位制の復活を次々に打ち出すなど、自由、人権、民主主義などからなると現代世界が培ってきたあらゆる「普遍的(近代西洋的)価値」を否定した。その過剰なまでの「反西洋」の姿勢は「第2世代」のアル=カーイダなどにも見られた特徴であったが、「イスラーム国」はそれを極限まで突き詰めた上で、一定領域内で制度として確立することに成功した。こうして、シリアとイラクの地に「建設」された「イスラーム国」は、世界中のジハード主義者にとって自らの信仰やイデオロギーが体現されたユートピアとなった。

「イスラーム国」の「魔力」の源泉

「イスラーム国」は、現代世界における「普遍的価値」をグロテスクなまでに徹底的に否定することで、その「新しさ」をアピールしている。

こうした姿勢は、平時であれば多くの人びとに支持されることはないだろう。しかし、現実には「イスラーム国」への支持者や参加者は後を絶たない。それは、「アラブの春」後の中東が政治的に混乱していることだけではなく、(穏健な)イスラーム主義と民主主義への失望が広がるなかで、「相変わらずの独裁政治」でも「条件付きの民主主義」でもない「新しさ」、あるいはオルタナティヴとしての魅力や「魔力」を発しているからだろう。

ここで考えるべきは、今日の世界において、政治的な混乱は中東に限ったことではない、という点である。混乱と呼ぶほどではなくとも、差別や貧困などの社会問題が深刻化している国や地域は無数にある。

しかし、かつての冷戦期のように、これらの諸問題の解決を約束してくれる強力なイデオロギーも、「壁の向こう側」のユートピアも、もはや存在しない。

そうしたなかで実体として出現した「イスラーム国」は、実際にはそれがディストピアであったとしても、いや、むしろ徹底したディストピアであるからこそ、民主主義、自由主義、資本主義の三位一体が席巻した今日の世界に対するアンチテーゼとしての魅力、あるいは「魔力」を醸し出しているのかもしれない。それが、中東だけではなく、世界の各地から共感者や参加者を獲得し続けている理由の1つだろう。

だとすれば、「イスラーム国」が提示する新たな秩序は、「アラブの春」後の中東で生まれた「絶望」だけでなく、「壁の向こう側」がなくなった冷戦後の世界に沈潜してきた「絶望」から生まれた「歪んだ希望」と見ることもできよう。