「対テロ戦争」が生んだ「テロリスト」/イスラーム主義とは何か(第14回)

グアンタナモ米軍収容所 「テロ容疑者」を収容(写真:ロイター/アフロ)

ある政治系国際学会で発表するために、スロヴェニアの首都リュブリャナに来ている。発表のテーマは、2011年の「アラブの春」後の「反イスラーム主義」を掲げる安全保障同盟の盛衰。今日の国際政治において、イスラーム主義は国家間の同盟関係を左右する存在となっている。

前回論じたように、イスラーム過激派、すなわち、ジハード主義の「第2世代」の登場以降、イスラーム主義は特定の国家に限定されない、越境的な脅威と見なされるようになった。そして、2001年9月11日の米国同時多発テロ事件(以下、9.11事件)は、国際政治におけるイスラーム主義の「安全保障化(securitization)」を加速させる大きな転機となった。

こうして、国家でなく非国家アクターとしてのジハード主義者ないしは組織に対する世界規模の「新しい戦争」、すなわち、「対テロ戦争」が始まった。

「対テロ戦争」の発動

9.11事件から約1ヶ月後の2001年10月、米国は、英仏独加とともに「有志連合」として、「容疑者」のウサーマ・ビン・ラーディンが潜伏しているとされたアフガニスタンへの軍事攻撃、「不朽の自由作戦」を敢行した(アフガニスタン戦争)。当時のターリバーンーー1990年代初頭に結成されたイスラーム主義組織・運動ーー政権が、ビン・ラーディンの米国への引き渡しを拒んだことが、この軍事攻撃の理由となった。ただし、ビン・ラーディンの拘束も殺害も果たせず、その消息は絶たれた。

9.11事件は、第一義的には米国国内で起きたテロ事件、すなわち犯罪の範疇に入るものであった。通常であれば、その対応は、米国国内を管轄する警察による捜査と司法による裁きという手順となる。

しかし、ジョージ・W・ブッシュ大統領は、国内だけでなく国外のテロリストを対象とした、軍を用いた先制攻撃を含む「対テロ戦争」の発動を宣言した。そして、「我々の側か、奴らの側か」という二者択一の踏み絵を掲げ、テロリストだけでなく、それをかくまう者への攻撃も辞さないとの主張を繰り返した。その意味において、この「戦争」は、正規軍による国家間戦争という古典的な戦争の定義を逸脱するものであった。

そもそも、誰がテロリストなのかという問題(ないしはテロリズムの定義自体)が曖昧なままに置かれた。そのため、米国を含む、様々な諸国が自らの国益に沿ったかたちでの恣意的な定義や運用をする事態が生まれたのは道理であった。テロリストもテロリズムも本質的に蔑称・他称であり、一方的なラベリング(レッテル貼り)によって生まれるものである。

「新しい戦争」としての「対テロ戦争」

米国のドナルド・ラムズフェルド国防長官は、ブッシュ政権が発動した「対テロ戦争」を「新しい戦争」と呼んだ。

曰く、それは、従来の国家対国家ではなく、国家対非国家アクターの構図をとり、その非国家アクターの代表格がテロリストである。テロリストとの戦いは、それらが匿名的なネットワークを特徴とすることから、軍事だけではなく外交、金融、情報などの領域に及ぶものとなる。この戦いを勝ち抜くためには一定の流動性を担保した多国間の連合が必要であり、テロリストを支援する国家は「同罪」として先制攻撃の対象となるーー。

むろん、この「新しい戦争」が未然に防いだテロもあった。何よりも、9.11事件を境に、それまでの安全保障のあり方の見直しが急務となったことも事実であった。

しかし、事件のショックをなかなか払拭できない世界において、テロリストと目された者たちの多くがムスリムであった。9.11事件とその後の「新しい戦争」としての「対テロ戦争」は、米国国内のみならず、世界中のムスリムに対する偏見や差別、さらには暴力の対象へと追いやったのである。

アル=カーイダが夢見た世界の「実現」

ビン・ラーディン率いるアル=カーイダは、世界大のイスラーム共同体(ウンマ)が超大国米国による政治的・軍事的・経済的・文化的に攻撃されていると繰り返し主張した。その肥大化した被害者意識こそが、彼ら彼女らのジハードの原動力であり、世界中のムスリムに反米感情を煽るための根拠であった。米国を打倒してこそ、ムスリムの安寧が訪れ、イスラーム的に理想とされる世界が実現すると説いたのである。

こうした過激な思想に感化されたのは、ムスリムたちのなかでも少数派であったことは容易に想像できる。ある人が、自らの生をめぐる環境が思うようなものでなかったとしても、そのすべての原因を米国に見いだすような短絡的な思考回路を持つことは稀であろう。ムスリムといえども例外ではない。

むろん、独裁者の延命や経済活動の停滞・混乱など、米国の言動を原因とする諸問題は確かに存在している。そうだとしても、武力を用いたジハードがそれらを解決するための唯一の手段であるとする考え方は、「通常」であれば多くの人びとに受け入れられることはないだろう。

しかし、「対テロ戦争」という「異常」は、アル=カーイダの過激な思想の拡散を助長するような土壌をつくってしまった。それは、名目上はターゲットをテロリストに限定しながらも、現実には世界中でムスリムへの差別や偏見、暴力を喚起していった。

このことを象徴したのが、キューバのグアンタナモ米国海軍基地に設置された収容キャンプであった。法的地位の「グレーな」この場所に、犯罪者と戦争捕虜のあいだの「グレーな」人びとーーそのほとんどすべてがムスリムーーが強制的に収容され、非人道的な扱いを受けた。

ちなみに、今日「イスラーム国」などのジハード主義者が捕虜を処刑するときに着せるオレンジ色の服(バナー写真参照)は、グアンタナモ収容キャンプでの囚人服を模したものであると考えられている。「対テロ戦争」におけるムスリムに対する仕打ちの意趣返しとしての象徴である。

「対テロ戦争」においては、自らが生を営む土地が戦場となったり、「テロリスト」の嫌疑がかけられ拘束・尋問・拷問されたり、軍事作戦のなかで人命や財産を失ったりする者が後を絶たなかった。これらは、多くの場合、「付帯被害(コラテラル・ダメージ)」として処理されたが、苦しみを味わったムスリムたちにとって到底納得できるものではなかった。

そのため、意図せざる結果として、しかしながら、想定され得た結果として、ビン・ラーディンやアル=カーイダへの共感者を増やすこととなった。彼らの「米国を中心とした西洋世界がイスラーム世界を攻撃している」という世界観に、現実の世界が近づいてしまったのである。

「テロの問題」を深刻化させたイラク戦争

ブッシュ大統領が9.11事件直後に「対テロ戦争」を「十字軍の戦い」と呼んだのは迂闊と言わざるを得ず、当然のごとく、世界のムスリム一般の反米感情をかきたてた。この「失言」は、ビン・ラーディンが自らの反米闘争を「十字軍に対する戦い」と呼んだことに合致し、アル=カーイダが掲げる「非イスラーム世界対イスラーム世界」という二項対立的な世界観の強化に荷担することとなった。

しかし、こうした世界観をリアルなものに変えた決定的な事件が、曖昧な開戦理由で強行された2003年のイラク戦争ーー米国を中心とした「有志連合」によるイラク侵攻ーーであった。アル=カーイダやテロリストと無関係であったと見られるイラクのサッダーム・フサイン政権に対する圧倒的な軍事力を用いた戦争は、ムスリムと非ムスリムの違いを超えた、世界規模の反米感情を惹起した。それは、結局のところ、テロを撲滅するどころか、テロを増やす結果をもたらした。

例えば、2006年4月に発表された米国の「国家情報評価(National Intelligence Estimate)」では、「イラク戦争は総体的にテロの問題を悪化させた」、また「イラク戦争が世界のジハード主義者の支持層を増やしている」と総括された。事実、イラク戦争に参加したスペイン(2004年)や英国(2005年)なども、ジハード主義者によるテロのターゲットとなった。

2つのアル=カーイダ

アル=カーイダは、「対テロ戦争」がもたらした憎しみに満ちた世界において、各地で戦闘員のリクルートを急拡大していった。正確に言えば、組織が人びとを動員するというよりも、自発的なファンやアフィリエイトの増加が見られるようになった。

この時点で、アル=カーイダはアフガニスタンに潜伏する(とされた)テロ組織ではなく、ビン・ラーディンを主唱者とする反米ジハード主義の思想潮流に変貌した。エジプトの研究者ディア・ラシュワーンは、前者を「組織としてのアル=カーイダ」、後者を「概念としてのアル=カーイダ」と区別することを提唱した。

すなわち、ローカルな組織としてのアル=カーイダは確かに存在するが、世界各地に広がったテロはトップダウンの命令系統を通して実行されたのではなく、ビン・ラーディンの思想に共鳴した者たちが自発的に行っているものと見られた。事実、9.11事件以後に各地で頻発したテロ事件の捜査において、「組織としてのアル=カーイダ」の関与が立証されるケースは数少なかった。

「概念としてのアル=カーイダ」の拡大浸透を後押ししたのは、当時急速に加速したグローバル化であった。人びとをアル=カーイダに「覚醒」させる媒介については、当初はイスラーム過激派のウェブサイトや地域コミュニティでの過激な宗教指導者への接触などと見られていた。しかし、より重要なのは、人びとが、たとえこれらに触れる意思がなくとも、BBCやCNNといったグローバルなメディアを通して知り、経験するようになったことであった。

その意味において、9.11事件とその報道は瞬時に「ビン・ラーディン的なるもの」を拡散する一大スペクタクルであった。「ビン・ラーディン的なるもの」はーー本人の消息や生死が不明であっても、いや、不明であったからこそーーいわば「オリジナルなきコピー」として多種多様なメディアに包囲された生活空間のなかで再生産された。ビン・ラーディン自身は、紛れもなく反米のアイコンとなり、時としてムスリムと非ムスリムの違いを超えて、その世界観に共鳴する者たちを次々にアル=カーイダに「覚醒」させていった(この現象を、授業では攻殻機動隊SACの「笑い男事件」のアナロジーで説明することにしている)。

「概念としてのアル=カーイダ」に対する米国主導の「対テロ戦争」は、作戦範囲が空間的に分離されていないにもかかわらず、アフガニスタンやイラクといった地政学上の主権国家を攻撃することで自己矛盾を露呈させた。そして、その矛盾はそこに住む住民のみならず、世界中のムスリムに米国に対する不信感を抱かせ、結果的に「概念としてのアル=カーイダ」、あるいはジハード主義へと傾斜する者を世界中で増やしてしまったのである。

この2000年代の「対テロ戦争」の失敗ないし限界は、「イスラーム国」が猖獗(しょうけつ)を極める今日の世界にとっての教訓となり得るものであろう。