イスラーム過激派はいかにして生まれたのか/イスラーム主義とは何か(第11回)

ブリュッセル市内中心部ブルス広場での追悼集会(2016年3月23日・筆者撮影)

厳戒態勢下のブリュッセルでこれを書いている。予定していた出張の当日(22日)朝に連続テロ事件が起こり、1日遅れのユーロスターでのベルギー入りとなった。

捜査当局によれば、事件の容疑者は、過激派組織「イスラーム国」とつながりを持つ複数の個人、ないしはグループだとされる。これが事実だとすれば、ここベルギーも本格的にイスラーム過激派のターゲットになったことになる。

イスラーム過激派には、国や地域によってさまざまなバリエーションがあり、また、時代とともに変化し続けている。そのことが、彼らによる事件を未然に防ぐことを難しくしている。

パリやベルギーでの連続テロ事件の容疑者は、過激派の「第3世代」ないしは「第4世代」に分類される。

今回は、現代のイスラーム過激派の起源とも言える「第1世代」について考えてみたい。過激派とは何か。彼らはいかにして生まれたのか。

イスラーム過激派の「過激」さ

イスラーム過激派における「過激」とは、何を指すのだろうか。それには、手段と目的の2つがある。

「過激」な手段とは、言うまでもなく、それが暴力的であることを指す。政治や社会、すなわち公的領域の「イスラーム化」を推し進めるーーあるいは「反/非イスラーム的」な現状を打破するーーために、武装闘争やテロといった暴力的な手段が用いられる。

他方、「過激」な目的とは、異教徒に改宗を迫ったり、ムスリムに対しても独善的な解釈による「正しいイスラーム」を押しつけようとすることを指す。つまり、個人の信仰という私的領域に対する不寛容を特徴とする。

過激派の多くは、この両方、すなわち暴力と不寛容を兼ね備える。例えば、イラク・シリアの「イスラーム国」やアフガニスタンのターリバーンは、それぞれの国の政権やそれを支持する欧米諸国を敵視し、ジハード(聖戦、義戦)の名の下に武装闘争やテロを行っている。また、自らが実効支配する地域では、異教徒の住民にイスラームへの改宗を強いていることが報じられている。

ジハード主義者とは何か

近年、イスラーム過激派は、アカデミア(学界)を中心に「ジハード主義者(jihadist)」と呼ばれるようになってきている(第3回)。

「ジハード」とは、「神の道のためにおいて奮闘する」ことであり、イスラームにおける義務の1つである。神の意思に従って良き/善きムスリムとして生きようとする努力のことを指すが、イスラームの信仰や共同体が危機に瀕したときには武器を取って戦うことも含まれる。

ジハード主義者とは、さまざまなジハードのなかで、武器を取って戦うこと(小ジハードと呼ばれる)に特に固執するイスラーム主義者のことを指す。

これに対して、多くのイスラーム主義者は、社会や政治の「イスラーム化」を理想としながらも、暴力の行使や他者への不寛容を否定しているのが現実である。そのため、イスラーム主義者とジハード主義者は決してイコールではなく、穏健派と過激派を混同してはならない。

イスラーム主義者になること、ジハード主義者になること

ジハード主義者はいつ、どのようにして生まれたのか。その前に、「イスラーム主義者になる」ということが、どういうことか、確認しておこう。

ある人がイスラーム主義者になる、すなわちイスラーム主義という政治的イデオロギーを選択する動機を持ったとして、そこには、まず何よりも、イスラームへの信仰が不可欠である。イスラームへの信仰がなければ、イスラーム主義者にはなり得ない。

しかし、イスラームという宗教を信じることと、それを政治的なイデオロギーとして奉じることとはイコールではない。イスラームを政治的なイデオロギーとして選択するかどうかについては、どちらかと言えば、信仰よりも理性の問題である。イスラーム主義は、その理念や政策の善し悪しや他の運動や政党が掲げるイデオロギーとの比較のなかで、あくまでも選び取られるものである。

ジハード主義者の登場を考える際にも、これと同様の視点が必要である。確かに、ジハード主義者には彼ら独自の「正しいイスラーム」への異常なまでの執着が見え隠れしているが、それでもなお、ジハード主義には、特定の社会や政治の状況のなかで選び取られてきたことを無視することはできない。

具体的には、1960年代から70年代にかけて、中東の各国で独裁政権ーーその多くが世俗主義や社会主義を掲げていたーーによるイスラーム主義者に対する苛烈な弾圧が広がった。そうしたなかで、彼らのなかから、もはや暴力を用いてでも政権を打倒しなくてはならない、と考える者たちが現れるようになったのである。

クトゥブの善悪二元論

ところが、そこで問題になったのが、イスラーム法における「内乱(フィトナ)の禁止」であった。すなわち、伝統的なイスラーム法学において、イスラーム共同体(ウンマ)の分裂を招きかねないムスリムどうしの争いはタブーとされてきた事実であった。

イスラーム法の「理想の統治者」については多くが語られてきものの、たとえ統治者がその水準に達していなくても、暴力を使ってこれを排除することは認められないというのが一般的な考え方であった。

20世紀初頭のイスラーム改革者ムハンマド・ラシード・リダー(第6回)や1979年のイラン革命の指導者ルーホッラー・ホメイニー(第9回)は、統治者がイスラーム的に相応しくない場合における「革命権」の思想を説いたが、それでもなお、そのためにムスリムどうしが殺し合うような事態は決して認めなかった。

ところが、ある傑出した思想家の登場によって、この伝統が揺らぐことになる。エジプトのムスリム同胞団のイデオローグ、サイイド・クトゥブ(1906-66年)である。

エジプトでは、1940年代末からムスリム同胞団に対する厳しい取り締まりや弾圧が実施されていた。クトゥブも、54年に逮捕され、同胞団の軍事部門を指揮した(とされる)罪で15年の禁固刑を言い渡された。

クトゥブは、獄中で『その教え(イスラーム)』、『この教えの将来』など数々の著作を残すが、なかでも後のジハード主義者に大きな影響を与えたのが『道標』(1964年)である。そこでは、人間が暮らす地上には善と悪しか存在しないという鮮烈な二元論が展開された。

クトゥブは、現代という時代を「神の主権(ハーキミーヤ)」が欠如した「無明時代(ジャーヒリーヤ)」と捉えた。ムスリムが人口の多数を占める社会でも、イスラーム法が正しく施行されていない状態は無明時代に他ならない。エジプトにおいては、ムスリム同胞団を弾圧する政権こそが無明時代を生んだ原因であり、それゆえに絶対的な「悪」として指弾されなくてはならないーー。彼は、当時のナースィル(ナセル)政権を激しく批判した。

しかし、ここで留意すべきは、クトゥブ自身は、暴力を用いた「悪」の排除を訴えていなかったことである。そうではなく、彼は、社会の側から「正しいイスラーム」のあり方を見せることで、統治者を「改心」させるべきとの論考を残している。たとえ為政者が「悪」であっても、拙速に武装闘争やテロへと向かってはならず、まずはムスリムのひとりひとりが襟を正す必要があると説いたのである。

その意味において、武器を取るジハードへの極端な傾倒を特徴とする今日のジハード主義者たちとクトゥブとは、明らかな思想的な断絶がある。

曲解されたクトゥブの思想

しかし、クトゥブの善悪二元論は、エジプトの内外に大きなインパクトを与えた一方で、彼が1966年に処刑されたことで、結果的に独り歩きを始めることになった。一部のイスラーム主義者たちによって曲解されていったのである。

どういうことか。

第1に、クトゥブが訴えた神の主権を確立をめぐり、悪が支配する体制を力で打倒しなくてはならないとする考え方、すなわち軍事主義への曲解である。先に触れたように、クトゥブは不義の統治者であっても、これを暴力で排除することを訴えたりしなかった。

第2に、クトゥブが論じた「悪」をめぐり、これを不信仰者と同義とする考え方、いわゆるタクフィール主義への曲解である。タクフィールとは他者を不信仰者と断じることを意味する。伝統的なイスラーム法学においては、タクフィールをできるのは全知全能の神だけである(人間にはその能力も権利もないとされる)。

この伝統的なイスラーム法解釈に倣い、クトゥブも、たとえ悪しき為政者であっても、それを不信仰者と断じることはしなかった。問題とされたのは、信仰上はムスリムであっても、共産主義や社会主義などの外来のイデオロギーを奉じる人びとであるが、クトゥブによれば、彼らはいかに不義であっても、不信仰者ではなかった。

これらの2つの曲解によって導き出された軍事主義とタクフィール主義は、冒頭で述べた手段と目的の2つの「過激」にそれぞれ符号する。そして、1970年代以降、エジプトでサーダート大統領(1918-81年)を暗殺したジハード団や外国人観光客への襲撃を繰り返したイスラーム集団などが結成されていった。

ここに、「第1世代」のジハード主義者が生まれたのである。

こうして見てみると、ジハード主義者というものが、その黎明期には国内政治に限定された存在であったことがわかる。彼らにとって、「イスラーム化」の対象もジハードの対象も、自らが生を営む国、それもムスリムが人口の大多数を占める国のなかに存在していた。彼らが目指したのは、暴力を用いた世直しと呼ぶべきものであった。

「第1世代」のジハード主義者は、今回のブリュッセルでの連続テロ事件の容疑者たちとは大きく性格を異にする。彼らは、特定の国の国内政治に限定されることなく、国境を自在に横断していく。彼らがジハードを実践する場所は、必ずしも自身の生と関係を持たない非ムスリム社会であり、その対象も「悪」ーームスリムのふりをした不信仰者ーーの統治者ではなく、異教徒の一般市民である。そこでは、殺戮そのものが目的になっているように見える。

クトゥブの死から今年で50年。この半世紀のあいだに、ジハード主義者は、いくつもの世代を経ながら大きな変容を遂げてきた。今日における「テロリスト」も突如として現れたのではなく、この歴史的な連続性のなかから生まれてきたものとして考える必要がある。そうした地道な作業は、彼らの思想や行動論理についての的確な理解を促すだけでなく、誤解、偏見、差別によってムスリムを追い詰め、新たな「テロリスト」を生み出してしまう悪循環を断ち切るためにも重要であろう。